荻原 浩 11


明日の記憶


2004/11/14

 立ち読みするなら66ページからどうぞ。

 書店で荻原さん自筆のポップを見かけたのは、本作読了後のこと。ここでは敢えて省略するが、本作のp66〜70に書かれているやり取りは、簡易知能評価スケールというテストである。立ち読みはこの部分に留め、できればそのままレジに行ってほしい。

 テストの結果、本作の主人公の男性は若年性アルツハイマーの初期症状と診断された。ようやく50歳になったばかり。広告代理店の営業部長としてまだまだ働き盛り。最初は物忘れ程度に思っていたのに。他人事だと思っていたのに。

 兆候は仕事に表れていた。ちょっとした固有名詞が出てこない。物の場所が思い出せない。直前に交わしたやり取りを覚えていない。そして約束をすっぽかす。「告知」を受けた後は、以前にも増して徹底的にメモを取る。行き慣れた場所の地図を常備する。スーツのポケットというポケットが溢れたメモで膨らんでいく様子が痛々しい。

 長く連れ添った妻の気遣い。食事は栄養最優先。これがいい、あれがいいと言われれば何にでもすがる心情を責められるか。それなのに…。苛立ち。気詰まり。それでも、結婚を控えた娘には隠しておかねば。それまでは仕事を辞められない。

 だが、ある意味で最もショックだったのは、家族以外で心を許せると思っていた場所でのエピソードではないだろうか。おそらく、この世のどんな悪意よりもだ。

 このようなテーマを扱う場合、いたずらに悲惨さを演出しがちである。荻原さんらしい柔らかな筆致だからこそ、刻一刻と記憶が失われていく主人公の恐怖が、周囲の戸惑いが手に取るように伝わってくるのだ。それ以上の演出など必要があるだろうか。

 僕の読書経験を振り返っても、これほどまでに美しく、なおかつ酷なラストシーンはなかった。憎い、本当に憎い、荻原浩という作家が。読書好きの端くれとして言いたい。読書好きを自認するなら、本作を話題にするべきである。



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