荻原 浩 14


ママの狙撃銃


2006/03/27

 『ロング・キス・グッドナイト』というアクション映画をご存知だろうか。記憶を失いながらも小学校教師として一児の母として平穏に暮らしていた女性が、実は腕利きのCIAエージェント、つまり殺し屋だった…という内容である。日本公開は1997年だが、今でもよく覚えている。僕が観たアクション映画の中で、最も面白かったと断言していい。

 しかし、そこはハリウッド映画である。次々となぎ倒す敵に対していちいち罪悪感も感じなければ、引き金を引くのに逡巡もしない。終わってみればまた平穏に暮らす主婦に納まっているのである。めでたしめでたし。よくも悪くも、娯楽作品とはそういうものだ。

 さて、本作である。少女時代をオクラホマで過ごした曜子。育ての親である祖父から戦闘術の手ほどきを受けていた彼女は、暗殺者という過去を持っていた。ごく普通のサラリーマンとごく普通に結婚し、平穏に暮らしていたのだが…。よき母の顔と、冷酷な暗殺者の顔。記憶こそ失っていないが、設定だけなら『ロング・キス・グッドナイト』を彷彿とさせる。

 しかし、そこは荻原浩である。25年前の仕事は、日本人の血を受け継ぐ曜子の心に、今でも影を落としている(アメリカ人なら平気でいられると言うつもりはない、念のため)。そんな曜子が再び仕事を受ける。愛すべき夫を、子供たちを、家庭を守るために。

 狙撃の腕前はゴルゴ13以上かもしれない。横浜みなとみらいを舞台に、曜子がミッションを遂行するシーンにはしびれた。もちろん、家族を守るためという大義名分は殺人の免罪符にはならない。それでも曜子の苦悩に感情を揺さぶられるのはなぜだろう。詰まるところ、ドライに徹するハリウッド製アクション映画に対して、本作はウェットなのだ。

 『ロング・キス・グッドナイト』よりも、家庭人という面がずっと強調されている。やんちゃな未来の水泳メダリスト、秀太。私立の学校に馴染めない珠紀。反抗期に手を焼きつつ、娘のためなら敵地(?)に乗り込むことも辞さない。「母は強し」と言うけれど、ああすっとした。お人よしぶりに呆れるが、曜子の過去を詮索しない夫の懐の深さ。

 最後はちょっと読めてしまったかも。曜子は主婦である以前に殺人者。それでも彼女が、福田家が平穏に暮らしていけることを願わずにはいられない。



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