奥田英朗 18


オリンピックの身代金


2008/12/14

 長編としては約3年ぶりとなる奥田英朗さんの新刊は、東京オリンピックがテーマである。現在、東京都は2016年大会の招致を目指しているが、今になって西暦1964年、昭和39年に着目した理由は何か。それは僕が生まれる前、戦後復興目覚ましい時代。

 国全体がオリンピックに沸きかえる昭和39年、妨害を企む若きテロリストがいた。彼はオリンピックの身代金を要求する。開会式が迫る中、警視庁は国家の威信にかけてテロリストを追う。事件は一切報道されることなく、極秘裏に捜査は行われる。

 東京オリンピックの時代を記録した白黒映像はときどき目にするが、それらは古き良き時代の象徴として伝えられている。しかし、高度経済成長で国中が恩恵に与ったのかといえばそうではない。地方出身者が大量動員され、苛酷な労働条件で使い捨てられる。地方との格差、非正規雇用者問題。現代社会にも通じる裏事情は伝えられない。

 若きテロリスト島崎は、秋田の寒村出身にして東大生。本作に多数登場する秋田出身の労働者の中でも、島崎は異質な存在である。将来を約束された島崎が、出稼ぎ労働者だった兄の死を機に、肉体労働に身を投じる。誰はばかることなく、もっと安い労働力が必要と建設会社は言う。現代のように。彼をテロへと駆り立てたのは、義憤だったのか。

 国家を相手に脅迫するには、島崎は甘すぎる。本当のテロリストなら、一般市民の犠牲など厭わない。事実、島崎は警察をなめていたことを痛感するのだった。「革命ごっこ」に酔う学生活動家と同様、島崎の行為がパフォーマンスに映り、感情移入できなかった点は否めない。刑事部と公安部が反目し合い、何度も島崎を取り逃がすのも滑稽だ。

 本作の読みどころは、サスペンス性よりも「昭和」を描くドキュメント性にあるように思える。大東京の光と影。やくざ者でさえも、東京オリンピックの妨害には難色を示す。それほどまでに全国民が成功を祈る気運は、僕には想像もつかない。

 初代0系新幹線が引退した今、本作が刊行されたことは偶然なのか。車両技術者の苦労は語られても、路線建設に動員された労働者の存在には一切触れられない。2016年東京オリンピックの招致に成功したとしても、全国民が高揚することはないだろう。僕にできるのは、今のところは雇用が守られている現状に胸をなで下ろすことだけだ。



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