恩田 陸 42


ネクロポリス


2005/10/21

 懐かしい故人と再会できるという聖地―アナザー・ヒル。V.ファーの人々に受け継がれてきた祝祭「ヒガン」の期間中、死者たちは『お客さん』と呼ばれ、温かく迎えられる。そんな「ヒガン」に、遠く東京から参加することになった大学生のジュン。

 V.ファーで言うところの「ヒガン」とは、日本で言うところの「彼岸」よりは「お盆」に近い。8月13日に家の前で迎え火をたき、故人の霊を迎える。14日から16日まで夕刻に墓前で松を燃やす。そして送り火で故人を送る。亡くなって最初に迎えるお盆は初盆として特に大切とされる。以上は僕の故郷の場合だが、故人の霊を迎えるというのは全国共通だろう。

 現在では、お盆は夏休みと同義になりつつある。僕くらいの年齢になると、帰省しない者も多い。ぶっちゃけた話、僕自身お盆に父の霊が帰ってくると本気で思っているわけではない。それでも年に一度のお盆は守るべき行事だと思っている。なぜかと問われても説明できない。幼少時からの長年にわたる慣習だから、としか言いようがない。

 だから、「ヒガン」を、『お客さん』を自然なものとして受け入れるV.ファーの人々の心はわかるような気がする。アナザー・ヒルという舞台を自らの故郷に置き換えれば、突飛な設定とは感じない。極めて魅力的だ。東京から来たジュンが感じたように。

 ところが、今年のヒガンは何かが違っていたのだ。連続殺人、天変地異、続発する不可解な出来事。アナザー・ヒルが変質しようとしている…。

 ハナがマリコがリンデがシノダ教授が、V.ファーの人々がヒガンを心から楽しんでいるように、読者も作品世界に身を委ねることだ。故人の墓前で手を合わせるように、「モットーに並び立つ陛下に栄えあれ!」と心の中で唱和するのだ。遠く離れた家族を故郷に迎えるように、『お客さん』を受け入れるのだ。ガッチやハンドレッド・テールズなど想定外のイベントさえも娯楽にしてしまうのだ。これは日本人のための物語だから。

 恩田作品を読む上での心得はできているつもりである。それでも、染み付いたミステリー読みの習性は、簡単には抜けてくれないらしい。謎の解決は、アナザー・ヒルという舞台においてはフェアなのである。でも釈然としない悲しい性。こんな僕は、ジュンのように『お客さん』を呼び寄せることはできないに違いない。この思わせぶりなエピローグは…。

 僕は来年のお盆も帰省するだろう。来年もヒガンがあるように。あるんだよね?



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