恩田 陸 44


チョコレートコスモス


2006/04/17

 読者は小説に何を求めているのかと考えてみる。それは面白さであったり、スリルであったり、感動であったりするだろう。求めるものは人それぞれでも、自分ではない誰かになって非日常を体験したいという点は共通しているに違いない。

 舞台についても同じことが言える。そして小説も舞台も、少なからず羨望を抱かせる。小説の場合、読者が羨望を向けるのは作者だ。一方、舞台の場合、観衆が羨望を向けるのは役者であって、脚本家や演出家ではない。その点が小説と舞台の大きな違いだと思う。などと書いている僕は、舞台を観た経験がほとんどないのだが。

 恩田陸さんの新刊は舞台がテーマである。最初に言っておきたいが、やはり普段から舞台に親しんでいる人の方が楽しめる作品だ。さらには、観劇専門の人よりも演劇部などで演じた経験がある人の方が、より深く作品世界に浸れるだろう。

 それでも、舞台に関わる人間たちの「舞台裏」は僕が読んでも大変興味深いと言える。新進気鋭の劇団の初舞台。稽古で火花を散らす共演者たち。遅々として筆が進まない脚本家の煩悶。ある意味で、舞台という完成品よりも魅力的な世界。

 しかし、僕が何とか入っていけたのはここまでかな。この物語の深淵は、いわば天才同士が共鳴し合う点にある。選ばれた者のみが到達し得る境地を、凡人が理解することは叶わない。本作は、努力というものを否定しているとさえ言えるのだから。演劇経験がない弱冠20歳の飛鳥は、周囲の人間たちに天賦の才というものを見せ付ける。

 もっとも、飛鳥本人にはそんな意識はない。自分というものがないのだから、感情移入できないのは当然というわけだ。そういう点では、芸能一家に育ち、恵まれた環境にある響子の方がずっと人間臭さを感じる。響子もまた若き天才だが、役者らしい自意識のかたまりだ。いずれにせよ、二人の天才だけが感じた何かが、何人の読者に伝わるだろう。

 一つ言えることは、恩田陸は僕が強い羨望を向ける作家の一人であるということだ。



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