小野不由美 22 | ||
屍鬼 |
待望の文庫化である。何と全五巻。長いってば。
人口千三百人、三方を尾根に囲まれ、土葬などの古い因習が根強く残る「外場村」。ここは行政区分上溝辺町の一地区でありながら、村としての独立性を頑なに維持していた。ある夏以降、外場村では原因不明の死者が続出した…。
本作のポイントとなる「土葬」の習慣だが、調べてみたところ日本では現在98%が火葬だという。法律上土葬も認められているが、特殊なケースに限られるだろう。未だに土葬にこだわる外場村の設定。タイトルは『屍鬼』。どんな内容かは推して知るべしである。
文庫版の一、二巻まではとにかく人が死ぬ死ぬ死ぬ。ここまででも十分に長いのに、ちっとも話が見えないではないか。しかし、三巻以降からようやく物語は動き出す。クライマックスになると、嗚呼、グサ・ズブ・ベキ・グチャ・ズビュの阿鼻叫喚の世界が…。
と書いてしまうと、ひたすら内臓が飛び散るかつてのスプラッター・ホラーを想像するかもしれない。もちろんこうした残虐なシーンの凄みも特筆ものだが、それは決して本質ではない。読者の価値観を強烈に揺さぶるところに、本作の凄さがある。この長さをもってしても溢れんばかりのパワー。それは怒りであり悲しみである。
中盤までは、明らかに人間は善の側にいる。だが、終盤に近づくとどうだろう。相手は愛する人を奪った憎き敵。だが、人間の行為は正義か? 人間と屍鬼の形勢が逆転すると、もはや善悪の区別は意味を為さない。
屍鬼を狩るべし。狩らなけらば殺られる。しかし、累々と築かれる屍の山は人間側の価値観を揺るがせる。一方の屍鬼の側の価値観も揺らぐ。人間を狩るべし。狩らなければ死ぬ。だが、誰もが嬉々として人間を狩るわけではない。人間と屍鬼、それぞれの価値観と死の恐怖がせめぎ合う。読者の価値観は、果たしてどこに?
宮部みゆきさんによる文庫版解説は卓見である。経済の世界で日本的価値観が「悪」と断じられている今だからこそ、本作の背景にある日本的価値観を失ってはならないと思う。強国アメリカでは決して受けないし、決して生まれない作品だ。