真保裕一 26


覇王の番人


2008/10/26

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三武将の名は、どんなに歴史に疎い人でも知っているだろう。これら三武将は、NHK大河ドラマなどで何度も取り上げられた。そんな中、明智光秀の視点で描く、前例のない時代小説が発表された。真保裕一によって。

 「本能寺の変」で信長を討った卑劣な逆臣にして、三日天下に終わった笑い者。というのが、多くの人が明智光秀に抱くイメージだろう。歴史は勝者の視点で記されるのが常。本作に描かれたのは、裏切り者の代名詞と言える明智光秀の、知られざる姿である。

 室町幕府の末期、越前の朝倉家で燻っていた光秀は、朝倉家を頼ってきたある人物との出会いをきっかけに、新進気鋭の信長に仕えることを決意する。この時点で光秀が望んでいたのは、義秋(後の義昭)を奉じての上洛より何より、働きがいだった。

 光秀が度量を見込んだ信長という男は、家柄よりも武功を重んじる。知略にも長け、いわば成果主義のお手本のような主君である。当然家臣は目の色を変える。揺るぎない決断と光秀らの尽力により、破竹の勢いで領地を拡大し、京に迫る信長。

 ところが、そんな信長も敵の計略に嵌りかける。信長の戦といえば、桶狭間の戦いや長篠の戦いなどの大勝利が有名だが、光秀らの進言により窮地を脱したことが、語られることはない。信長が戦地に赴かなくなっても、光秀は各地の平定に奔走する。

 本作に描かれた光秀は、気配りの人である。悪く言えばお人好し。戦においても調略を優先し、犠牲を最小限に留めようとする。そんな光秀であるから、配下に慕われ、信長を親の仇と考えていた小平太も主と認めた。そして、付け入る隙にもなった。

 延暦寺焼き討ちに代表される信長の非道にも、すべては天下布武のためと配下を宥め、自身も疑問を押し殺してきた光秀が、ついに信長を討つことを決意したきっかけとは。真保裕一が、戦国の世を終わらせたのは光秀だと主張する理由が、ここにある。

 信長討ちは果たされた。ところが天下は続かない。本能寺の変までに多大なページ数を割き、長い年月が経過しているだけに、光秀の転落がいかに早かったかを強く印象づける。それもそのはず、手は回されていた。天下を取るには甘すぎた、悲運の光秀。

 明らかにフィクションと思われる箇所もあり、史実かフィクションか迷う箇所もある。あくまで一つの見方に過ぎない。だが、本作が面白いということだけは、断言できる。



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