辻村深月 03 | ||
凍りのくじら |
辻村深月さんの作品は長い作品が多く、なかなか読めずにいたのだが、比較的短い(それでも文庫版で550p程度あるが)本作をようやく手に取ることにした。
ミステリー的要素がないこともないが、純粋な青春記と言っていい。進学校のF高に通う理帆子は、同級生とも、他校の知り合いともそつなく会話できるが、心の中では見下してもいた。決して口には出さず、ただ相手に合わせる。器用というより断り切れない。
理帆子は、父同様に藤子・F・不二雄を藤子先生と呼び、特に『ドラえもん』を愛する。藤子先生にとって、「SF」とは「サイエンス・フィクション」ではなく、「すこし・ふしぎ」なのだという。理帆子は他人を「Sukoshi・F○○○」と分析するのを好む。当人が知ったらいい気分はしないだろう。一方で、自分自身をも「Sukoshi・Fuzai(少し・不在)」と切り捨てる。
理帆子の父は5年前に失踪し、母も入院中で余命は少ない。加えて、母との関係は複雑。そうした背景を考えても、10人の読者がいたらおそらく9人は共感できないだろう。僕もそうだ。だが、誰にでも理帆子のように他人を見下す心理があることは、認めなければならない。理帆子は一見共感できないようで、読者を映す鏡のような主人公と言える。
そんな理帆子だが、「Sukoshi・Fukenkou(少し・不健康)」な1つ上の先輩別所には徐々に心を開く。そして不思議な少年郁也との出会い。詳しくは触れないが、終盤に近づくと、理帆子は自分が思っていたほど孤独でなかったことを知る。このまま何事もなく終わればよかったのだが…理帆子は別所の、友の言葉を甘く見ていたのだった。
別所の警告と、「28」という数字に戦慄させられる。理帆子が「Sukoshi・Fuhai(少し・腐敗)」と分析した男の腐敗ぶりは少しどころではなかった。理帆子の煮え切らない態度が事態を悪化させたのは否めない。いよいよクライマックス…またこういう手ですか…。
本作の各章のタイトルは、『ドラえもん』の秘密道具である。作中にも秘密道具をテイストとして取り入れ、興味深い。全体的には疑問も残るが、人間は常に理性で動くわけではない。きれいなだけではない人間の内面を描きつつ、透明感がある。おそらく僕には本作の真の魅力がわかっていないが、本作は「Sukoshi・Fushigi」な物語だ。