柳 広司 05


新世界


2010/06/15

 第二次大戦中、米国ニューメキシコ州の砂漠に極秘に設立された、ロスアラモス国立研究所。当時、所長としてマンハッタン計画を主導し、「原爆の父」と称された物理学者ロバート・オッペンハイマーの名は、知っている人もいるだろう。

 本作は、作家の「私」が米国人のエージェントから売り込まれた原稿の翻訳という、作中作のスタイルをとっている。その原稿の作者はオッペンハイマーで、第二次大戦が終結した夜にロスアラモス国立研究所内で発生した殺人事件を描いているという。

 日米関係、とりわけ日米安保を語る上で、「原爆」はタブーである。広島と長崎に原爆を投下しなければ、本土決戦に突入しさらに多くの犠牲者が出ただろう、だからやむを得なかったのだ。米国側の言い分を、戦後世代の多くは受け流してきた。作中の「私」も、いまさら読みたがる読者がいるのかと出版に難色を示す。

 読み終えて強く思う。若い読者こそ、本作を読むべきだ。柳広司さんは、敢えてミステリーというフォーマットに落とし込むことにより、タブーを破った。

 日本人の側から広島、長崎を描いた例は数多いが、原爆開発者の側から描いていることに大きな意味がある。オッペンハイマーを始めとした科学者や、広島に「リトルボーイ」を投下したエノラ・ゲイ号のパイロット、ポール・ティベッツらが実名で登場する。

 オッペンハイマーは語る。私たちのしたことは間違いではなかったのか? 実際、彼は戦後に核兵器反対に転じ、一時的に公職追放された。しかし、本作中後悔の念を滲ませるのは彼1人。部下たちは居直る。すべては所長の指示だと。

 驚いたことに、本作の文庫化時点でもポール・ティベッツは存命であった。彼は一切謝罪することなく、2007年11月に死去した。作中のポール・ティベッツは笑う。皆もつられて笑う。後悔こそ口にしない彼らも、笑うしかなかったのではないか。

 原爆がもたらしたのは、一触即発の『新世界』だった。



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