柳 広司 13


ジョーカー・ゲーム


2011/06/30

 柳広司さんの出世作とも言うべき本作がついに文庫化された。僕自身、本作のヒットで柳広司という作家に興味を持ったが、本作は文庫化を待つことにして、他の既刊作品を読み漁っていた。ようやく読んでみて、わかった。本作は柳作品としてはむしろ異質だ。

 最初に本作を読んだ読者が他の作品に手を出すと、歴史ネタを好む柳作品本来の作風に戸惑うだろう。本来、柳作品は読みやすいミステリーとはいいがたい。『ジョーカー・ゲーム』は、戦中という時代背景を生かしつつ、単純に楽しめるミステリーだったのだ。

 陸軍内に極秘裏に設立されたスパイ養成学校、D機関。発案した結城中佐自身、かつてはスパイだった。軍隊の慣例にとらわれないばかりか、軍隊のあり方まで真っ向から否定するD機関は、当然猛反発を招き、ろくに予算もつかない。だが、結城中佐の優れた采配により、世界各地で実績を挙げるD機関は、次第に無視できない存在になっていく。

 表題作「ジョーカー・ゲーム」。スパイ容疑がかけられた米国人宅に、D機関が踏み込んだ。既に憲兵隊による家宅捜索が行われ、証拠一つ見つかっていなかったのだが…なるほど、これは憲兵隊には見つけられまい。そんなことは彼らにとって聖域ではない。

 「幽霊(ゴースト)」。秘密の通信手段など現代ならばいくらでもあるだろうが、こういう時代を感じる手段にこそ膝を打つ。「ロビンソン」。ロンドンで捕らわれの身となったスパイに、脱出の手段はあるか? マニュアルのない世界。だが、実は訓練の賜物。

 「魔都」。抗日運動が激化する上海は、欲望渦巻く魔都だった。いや、真の「魔」は結城中佐と言うべきか。「XX(ダブルクロス)」。監視していた二重スパイが死んだ。自殺だとすればあってはならない失態…。結城中佐にも人の情というものがあったのか。

 常人の精神では務まらないスパイの世界。007シリーズのような華麗さとは縁遠い。だが、迫り来る危険さえもスリルや快感に変えられるのが、スパイの資質なのかもしれない。いずれ劣らぬD機関の精鋭たちの活躍は、蠱惑的な香りに満ちている。

 しかし、彼らは誰一人、結城中佐の足元にも及ばないのだろう。



柳広司著作リストに戻る