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文字と数学

マヤの文字と数学のシステムの起源は、(マヤ分明でない?)トレスサパトス、ベラクス(オルメカ)、モンテアルバン、オハカ、チャルチャパ、エルサルバドールの土地の一部に溯る.初歩的な数と絵文字は(長暦の日付をすでに使用しており)紀元前300年から150年前のオルメカの記念碑に見られる.最も早い文字記録の日付はチアパ高原の紀元前三十六年に一致する.マヤ文明の早い日付はガテマラのチカルのもので紀元二百九十二年に一致する. 数を記述するマヤのシステムは、コロンブスのアメリカ発見の前の中では、最も洗練されたものであった.それは点(数字1)、横棒(数字5)巻貝の貝(ゼロ)を使っている.一から二十までの値は、人間や動物の頭の絵文字でも表された.一から十三迄の数字はさらに身体全体を描いた絵文字もで表現された.普通、点と横棒の文字は桁の低い所に小さな値を配する約束の横書きの中で使った.すなわち、桁の位置で値の大きさが変わる方法をとり、夫々の桁の値の二十倍の値は、その値が一桁上がり、元の桁にはゼロが配され表現される方法をとった.たとえば、二十の値の記述ははじめの桁にゼロを書き、次の桁に点を書いた.この数学システムを使い、マヤはあらゆる数字の記録と数字演算を行った.わたしたちの知りうるマヤが実施した数字演算は、すべて時間の計測に関わることでしかない.しかし、マヤは他の分野でもこの数学演算を適用したと思われる. 数字に関すること以外では、このシステムは変化部分を持つ絵文字を有していた.すなわち、夫々の絵文字は主要素部分と、変化する要素部分とで構成した.この絵文字のいくつかで文章を作り、さらには、テキストを作った.約三百五十の絵文字の主要部分と、約三百五十の絵文字の変化部分、さらに、神々を表す約三百の絵文字の図柄が確認されている. マヤは多様な素材の上に書きものをした.マヤの写本は、植物を叩いてその上に漆喰を薄く塗って、書いた.それをスクリーンのように巻いて保存した.ただ三つだけの写本が、スペイン侵略当時の破壊から免れ、マドリッド・パリ・ドリスデンに保管されている.それ以外に、かれらはテキストを石、漆喰、粘土、骨、貝等の上に、彫刻し、かたどり、残している.また、布の上に刺繍を行い、祭礼センターの建物や陶器の上に描いている. これらテキスト上に、マヤは科学的知識、神話、執政の歴史(彼らリーダにまつわる年代記、伝記、軍事・政治的偉業、祭礼等)を書き込んでいる.





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