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天文学と時間の計測

この文字システムによって、マヤは驚くべき天文学の記録を行った.先ず太陽の一年を三百六十五日と計算した.これは太陽年にほぼ一致して、十七コンマ二0八秒の差の誤りである.月の一年は二十三秒の誤り、金星(五百八十四日)は六千年に一日の誤りである.また、三十三年先までの日食の予定表を作り上げている.その外、火星、木星、土星その他多様な星;プレアデス星団、双子座の周期を測定した. この素晴らしい天体観測は初歩的な器具を使って行なった.一本の棒を地面に突き刺し太陽の影を観測した.二本のクロスした棒ないし糸を使って、季節が異なるときに星が上がる時と沈む場所を読み取るために、水平線上に描かれる星の動きをプロットした.また、天文観測のために天文台を建設した. これらの天文観測によって、マヤは一年が三百六十五日で、二十日を一ヶ月として十八ヶ月、それに五日の特別な日を加えて構成する太陽暦を作り上げた.この暦とは別に月の暦(別の解明されていない暦もある)が作られ、社会や個人の運命を支配した.これは二百六十日を持つ祭礼暦で二十の絵文字と十三の数字で表現され、太陽暦と組み合わせて一年の特別な日が決った.それ故、毎日は新しい組み合わせあり、同じ日が来るためには一万八千九百八十日の経過を要した.別の言葉で言えば、同じ日は太陽暦で五十二年、祭礼暦で七十三年毎に繰返した.この繰り返しは「円形カレンダー」としてよく知られている.スペインが到達したときにはマヤはこの円形カレンダーを使っていたが、古典期では長暦を基本に考えた周期を編み出していた.これにより夫々の日が長暦元年の前後数千年にわたり、元年から数えて何日目にあたるか特定することが出来た.数えられる期間は六千四百万年に渡る.マヤの数学、天文学、年代に関する知識は、従来の西洋的見地からすれば、冷静な科学的なものであった.これらを創りあげた個人の意見という様なものでもなかった.かれら自身の特別な宗教的な世界観、人類への見方と考えて行かねばならないだろう.マヤにとって世界は"神聖なる力"の居住地で、その力が執り行われるところであった.星々は神々であったから、人は自分の存在を託した.マヤの天文学は神々を理解し、親密になるための方法と考えた.その大事な役目は世界に放たれ、時に人に敵対する"超自然の生き物"から人を守ることにあった.この生き物が長らえるのを助け、その運命を統御しようとした.というのは、過去を知る事により、未来を予言することが出来ると考えた故である.科学は信仰の領域に深く落ち込んだのである.



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