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山中: 「飛行機画報」という絵本を買ってもらって嬉しくってね。空襲は恐ろしいとは書いていない。空襲のすばらしい力と書いてあるのよ。子どもがこれを見たら、絶対そうだと思うよね。 俺をお袋があと1年早く生んでくれれば、俺も祝賀行列に旗を振って参加し、「天に代わりて不義を打つ…」と歌って歩けたのにと思ったね。 |
学校には奉安殿と呼ばれる建物があり、そこには御神影とされた天皇、皇后の写真や教育勅語が収められていた。子どもたちは、奉安殿の前を通るときは、必ず最敬礼することが義務付けられた。 アジアに君臨する大日本帝国の子どもとして、天皇の御民として強く正しく生きることが求められた。 昭和16年、山中が4年生のとき、これまでの尋常小学校は国民学校と名前が変わり、皇国民を練成するという目的が一層強化された。 山中: 軍国日本の少国民として、先生、親の言うことをよく聞き、兄弟仲よく、ものを大切に、きちっと勉強して、いつでも明るくね。やったね、これがまた。恥ずかしいね。やっちゃったもんね。ずっと小学校を終わるまで優等生だよ。 国民学校では、戦争遂行のため、男子も女子も体錬が重視された。毎月一日は興亜奉公日と定められ、戦勝祈願や奉仕活動が行われ、子どもたちも参加した。 |
先生は作文を書くよう指導した。 山中の作文より: 12月8日、いつもより早く起き、玄関に新聞を取りに行ったとき、いつもより激しいラジオの音がした。お母さん臨時ニュースだよといった。”帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋において米英陸海軍と戦闘状態に入れリ”と報じた。 とうとうやったぞ。さあこれから、大人も子どもも一体で総力戦だ。ラジオは、”敵は幾万ありとても…”という軍歌で勇み立っている。敵の軍艦を轟沈、撃沈のニュースに、思わず皆拍手喝采した。 真珠湾から2ヶ月、シンガポールを攻略、日本全体が祝賀一色、山中も祝賀行列に参加した。 山中: 行列に参加すると、キャラメルの配給があるんだよ。また嬉しかったのは、ゴムボールの配給もあったんだよ。当時ゴムボールなんかないんだよ。みんな喜んで校庭で、白い花が咲いたみたいにゴムボール遊びだよ。その時、戦争に勝つって、ほんとにいいことだと思ったね。 職員室に入るときだけど、前は一礼すればよかったのに、「何年何組だれだれが、何々先生に用があって参りました。」と自己申告する。「よし入れ」という。これは、陸軍の内務班教育の作法なんだよ。それを俺たちにやらせるんだ。学校の先生は怖いんだよ。何かすればぶん殴られるし、先生は絶対権力者だからね。 |
11歳の山中は、少国民の務めを積極的に果たした。 山中: 慰問文をたくさん書いたね。兵隊さん、天皇陛下の御ために勇ましく死んでください。あとは僕らが続きますと。兵隊さんに死ね死ねと書いて、表彰状をもらっちゃったんだけど、その時は本気だったもの。 山本元帥戦死。 6年生の山中は、勉強机に山本元帥の写真を貼り、海軍兵学校を目指していた。 山中: あのえらい山本元帥が格好よく死んで、若い海軍士官たちがね、口を真一文字に結び、挙手の礼でね、山本元帥の棺に向く。このシーンは忘れがたいですよ。この一員に俺はなりたいと思ったわけですよ。
18年4月、山中は中学生になっていた。 20年3月、山中は親に説得され、いやいやながら北海道に疎開した。昭和20年、日本全国の都市が空襲に見舞われた。山中は、海軍兵学校を目指すことを断念する大きな決断に迫られた。議会は、本土決戦に備え、15歳以上の男子を、国民義勇兵として動員する法律を定めた。学校は、15歳未満の生徒たちにも、国民義勇兵学徒隊に志願するよう説いて回った。 山中: いま国が求めているのは、国民義勇兵になることなんだ。兵学校に行って、何年後かに士官になることではないんだよ。みんな、何の疑問もなく署名してるんだよね。俺ばかりではないんだよ。いずれ皇軍本体の土台にしかならないのに。それで名もなく死んでも仕方がないなあ。お国のためだもの。あまり悲壮感がなかったね。これで、海軍兵学校は遠のいたなあと思ったよ。 |
「ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。…」 8月15日、ポツダム宣言を受諾、太平洋戦争は終わった。 山中: 日本は神国で絶対負けないと教えられてきたんだもの。日本が負けるときは、宇宙がパンクすると教えられてきたんだもの。 陛下のご宸襟を安んじ奉るため、がんばってるのに、それができないんじゃ不忠の極みだろう。だったら自決すべきだろうと僕は考えたね。純粋といえば純粋、ばかばかしいと思うかもしれないけど。これは伝えにくいね。 ところが同級生がね。負けたら死ねといった先生が、まだいるじゃないか。見習って死んでも遅くはないじゃないかって。大人に、先生に、二重にたぶらかされて、負けたんだなあ。そのせつなさ、情けなさね。 アメリカ軍上陸。 山中は、戦争の終わった秋、アメリカ軍が上陸するのを見つめていた。 山中: 海が、真っ黒なアメリカの軍艦、上陸用舟艇で一杯になっていてすごかった。大人が、神国日本として、ずっと締め付けて教育してきたものが、だんだん化けの皮がはがれてくるし、国も俺たちをだましてきたんだなあと思うと、よい少国民だったことが次第にいやになってくる。ものの見事にだまされたピエロのような気がして恥ずかしい。そういう思いが強烈に襲ってきたんだよね。
作家山中恒、69歳。21世紀に入っても、これまで生きてきた世紀にこだわり、少国民であった自分を見つめていく。 |
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