終戦詔書と教育勅語
いまなぜ終戦詔書と教育勅語か…
 プロフィールに記したように中学2年の時、校庭で聞いた終戦を告げる陛下のラジオ放送が強烈な印象として残っている。しかしその放送は、ザーザーという雑音でほとんど聞き取れなくて、理解できたのは「耐えがたきに耐え、忍びがたを忍び…大平を開かんと欲す…」という言葉位であった。この言葉でどうも戦争が負けたらしいとみんな呆然としたのを覚えている。
 一体、陛下が長々と何をi言われたのかは、疑問点として残ったままになっていた。
 これがラジオでほとんど聞き取れなかった、陛下の生の声と終戦放送の内容である。
 折も折り、首相の”神の国”、”日本の国体”発言が話題を呼んだ。一方、17歳の犯罪多発で学校での教育に問題があるのではないかと論じられている。そう言えば良し悪しは別として、われわれの小学校時代にはあの教育勅語を暗誦させられたものだった。
 いま,終戦詔書と教育勅語をじっくり見直すのもまんざら意味のないことでもないように思われ、旧い資料を見つけ出してわかりやすく書き直して見たわけである。
終戦放送余談
 昭和20年8月15日の正午,NHKからラジオ放送された陛下の終戦放送(当時は玉音放送といった)は、当然生放送ではなく,テープ録音機はまだ開発途上で、アセテート盤という録音盤によるものであったが、放送の裏で大事件が起きていたことは後で知られた事である。
 放送前夜、最後の一兵まで戦おうと、終戦を阻止しようとする若手軍人達が宮内庁とNHKに押し入り、録音盤を奪おうとしたのである。しかし、録音盤はいまだ宮内庁にあり、各担当者の機転で彼等は見つけ出すことはできず,翌日無事、放送が行われたのは幸いであった。
内容所感
 戦後処理も終わったころ、下記にあげた終戦放送の内容が公表された。当時の主権者天皇が”朕”とか”爾臣民”とか”国体の精華”などいまは死語になっている表現を使いながらも、伝統ある国と国民の将来を憂いて、「耐えがきを耐え,忍びがたきを忍んでほしい」とこいねがっていて、神州の天皇ならぬ人間らしさが出ているようにも思えるのだが…。しかし、本人、身内の戦争体験者や,全くの戦争未体験者など、その立場立場によって受け取りかたは各人各様であろう。
 教育勅語については、100年以上も前に明治天皇の発布されたもので、現代の考え方とは違和感の感じられるところが多い。一方、17歳問題ともからんで今はテレビやインターネットほかの影響、その他核家族化など社会状況の変化で人間関係が希薄になり、親から子,子から孫への伝承が少なくなっていることが一つの原因と言われている。この際教育問題について、「古きをたずねて新しきを知る」ことも意味のあることと思う。しかし、読んでみて、どの部分をどう受け取るかは人それぞれの問題であろう。
詔書や勅語の原文は大変読みにくいので、「、」や「。」で文を区切り,旧かな使いを現代風に直し,また難しい漢字にフリガナを振った。フリガナ(ルビ)は、IE−5で確認済みです。
終戦詔書 教育勅語


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