靖国神社の九六式十五サンチ榴弾砲(資料写真)

1998年頃屋外展示されていたころの同砲を撮影したものです。

今では遊就館の屋内に砲口を開放して展示してあるので、砲尾からのぞけば砲身内の美しい腔旋を見ることができます。松本零士の絵はすばらしいということがわかります。

靖国の展示物はアカデミックな博物館的なものではなく、勇士の記念と鎮魂のための碑というスタンスなので、戦闘や放置された年月による破損箇所がそのままなのは仕方のないことです。

歴史を「きれいに」繕うのはよくないことなのでしょう。

この砲は、沖縄であるじを失って、戻ってきました。

→正面から見た砲。

防盾は失われています。駐退器も破損しています。

撮影当時は砲口にフタがしてありました。

「便所」のカンバンは、砲の右翼側に当時公衆トイレがあったためです。

修正で消すのもなんなので、そのままにしてます。

←左前から見た砲。

砲身は半分駐退した所で止まっています。

生前はもっとたくましく砲身が突き出していたはずです。

←ななめ後ろから見ると、目に、往時の放列の様子が浮かんでくるようです。
↑真横から見たところ。3枚の写真を継いでるので、ちょっと砲身が曲がっちゃった。

手前に砲弾が置いてあるけど、この砲のかどうかは不明。駐鋤は失われてます。放列姿勢だと本来なら脚の先端に3つづつ打ち込み式の駐鋤がついた鉄箱状の駐鋤ハウジングが一個づつつきます。

ビルマではこの巨大な砲車(4トンもある後車、それに加えて前車)を砲兵が300キロも臂力で曳いて逃げてあるいたらしい。最後には谷底へ捨てたらしいけれども。

曳くときの音は、きこきこごとごとうるさいらしい。(これは四年式の方かも)あと、馬の蹄の音。兵のあるく音。

←装填手位置から?というより左の脚上部が撮りたかったらしい。(撮影時の自分の記憶があいまいっす。)

照準器とかも失われています。

→右の脚の上部。

撮影当時、確か接写レンズかなんか使ってたので、うまく収まらなかったです。

この砲は採用当時デラックスな新機軸を多数備え、発射速度もなかなかだったらしいけれど、40キログラムもある砲弾を集積所から砲側へ早い発射速度に合わせて人力で搬送するのはかなり迷惑だったらしい。
←搖架したに左右に付いてる太めのシリンダーは砲の前後の重さの釣り合いをとる平衡器。
ここから下はぼくが大好きな閉鎖器のデテール。閉鎖器は一般的な隔螺式です。
この大砲、よくわかんないことに薬莢式らしい。栓のてっぺんがスパッと斬ったように平らになってるのはこれが正しくて、エジェクターとエキストラクターがあったらしい。(っていうか、よく見たらついてた。)

薬莢に雷管と薬嚢を入れたのか、はたまた装薬量固定だったのか・・・知ったかで無知なぼくを笑ってください・・・

↑鎖栓の下に写っている搖架についた細い筒は後ろに拉縄が付きます。それに連動して鎖栓左横に引き金がついてるはずなのですが、なくなってます。取り付け穴↓だけ見える。
槓桿は鎖栓と写真のような角度を保ったまま開閉し、フタが閉じた後でさらに槓桿を押し込むと、内側の切り込み入りのネジのかたちの栓(写真では銀色に塗られています。)がたぶん反時計回りに45度ほど回転して砲尾をロックします。そこで手を放すと把手が上に持ち上がるでしょう。開くときはその逆。靖国の砲は槓管と栓の連動が失われているので回転部分のポジションはかなり当てになりません。

さらに、鎖栓表側のフタ(↑)の部分も回転してしまっていますが正しいポジションは時計回りに135度ほど回転した位置です。扇型の部分を上に、垂直になります。回りそうで、回りません。右上の穴ぼこに固定ネジかなんかが入るようです。四角に扇型が付いたような形の扇の部分はつまみのついた手動のハンドル式の安全装置レバーが付くらしい。四角いでかい穴は撃針(失われています。)のカムにかかる部品が埋めます。

引き金と撃針はカム付きのシャフトで結ばれ、シャフトはむき出しだったようですが、これも失われています。

この砲の個体としての由来。靖国の展示物には、こうした思いがたくさんこめられてるので、辛いことがある。

最大射程は結構短いですね。

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