〜略)

生産は1940年遅くに、別のピストルであるモーゼルM1934の生産シリアルナンバーの延長である、シリアルナンバー700000をもって始まった。初期のピストルは丁寧に造られた木のグリップが付いていて、よく磨いてあり、豪華なブルーイング仕上げであった。グリップスクリューの位置が低いところにあったため「ロウグリップスクリュー」種として知られることになった最初の1350丁は一般市場向けに作られた。この初期生産分のおよそ半数をドイツ海軍(クリーグスマリネ)が購入した。これら初期のローグリップスクリューモデルは今日とても希少である。おそらくシリアルナンバー701345号のグリップスクリューはもっと中央の確実な場所に移動している。

ドイツ陸軍は1941年最初に、シリアルナンバー701345から始まり、とびとびに712000番までの3000丁のイニシャル発注でHSCの調達を開始した。これらのピストルにはトリガーガード左側後部に「Eagle/655検査」マークが、トリガーガード右側後部に「王冠にN」マークが、グリップ中子の左後部(訳注:ハンマーリブがコックしたときに来る辺りの突出部、グリップで隠されていない)にライヒスアドラー検査マークが刻印されていた。次の発注はヴェアマハトからまとめて戦争の期間中、警察や海軍と共同で調達され、さらに総生産数252000丁のピストルの24パーセントが民間市場に回された。

ヴェアマハトの二度目のおよそ5000丁のピストル発注には、#712000からおよそ#745000までに断続的に続くシリアルナンバーのピストルが充てられた。これらはトリガーガード左後部に「Eagle/655 WaA(ヴェアマハト承認)」とトリガーガード右後部に「王冠にN」民用検査マークがあるがグリップ中子の左後部の、ライヒスアドラー検査マークはない。これらのピストルの仕上げは最初のものと同じ品質である。

次のおよそ4000丁のピストル発注は、#745000からおよそ#790000までのシリアルナンバーが断続的に続いた。これらにはトリガーガード左後部に「Eagle/135」承認マーク、トリガーガード右後部に「王冠にN」民用検査マークがきざまれ、品質マークはない。この発注分から初期のピストルにあった高品質の仕上げに陰りが出始める。

第四回の発注は#790000から#886000までの断続的にナンバリングされた31000丁がそれにあたる。これらには前と同じく「Eagle/135」承認マークと「王冠にN」民用検査マークがある。#855000号より後のピストルには今やスライド左側面に3-ライン模様がバナーに沿って掘られている。(訳注:これは刻印の方法がエッチングからロールスタンプに変わったため)これらのピストルの磨きはラフで軍用の「黒ずんだブルー」がいまやはっきりしてきた。照準溝の内側の精密な機械加工はもはやない。

最後の発注分、、#886000から#952000までの断続的にナンバリングされたおよそ32000丁は、スライド左側面に3-ラインデバイス、「Eagle/135」承認マークと「王冠にN」民用検査マークを掘られている。#940000番台後期のいくつかのピストルには黒いプラスチックのグリップが付くようになった。#949500番から952000までの最後期のピストルは、米軍のM-1ライフルやM-1カービン、M1911ピストルに使われたパーカライジング仕上げにいくぶん似た、モーゼルの燐酸塩仕上げで仕上げられていた。モーゼルの燐酸塩仕上げは、ダークグレイからほぼ緑色まで、色にばらつきがあった、これら燐酸塩仕上げのピストルは、今日かなり希少で、「Eagle/135」承認マーク付きのものは軍事コレクター垂涎の的である。面白いことに、「Eagle/135」承認マークは、初期の燐酸塩仕上げの銃ではたいてい右側が上だが、後期のものでは逆立ちしている。これら最後期の燐酸塩仕上げピストルの多くに使われる小物部品は、たいてい初期のブルーイングされたものと後期の燐酸塩仕上げのものが混ざっている。フレームとスライドが異なった仕上げのHScは実在するはずで、超レアかもしれず、軍事コレクター垂涎の的である。

最後のドイツのWWIIの生産は1945年4月末に米軍によるオベルンドルフ地区の占領で終わった。その後その地区はフランス人がフランスで使用するための生産を再開するために明け渡され、1947年に閉じられた。

ピストルそれぞれの完全なシリアルナンバーは、グリップフレーム正面のマガジンの(訳注:マガジン底部のつまみの)すぐ上にある。シリアルナンバー末尾3桁がバレルのチャンバー部下(打刻)とスライドの銃口部がくる真下の平らな部分(電気ペンで手書き)にある。

サイドアームを支給されないすべての階級の軍人が、しばしばHScを民間市場で買い、野戦に持ち歩いた。そんな民間用ピストルがしばしば第二次大戦のベテランの戦利品としてしばしば軍用規格のHScのホルスターに入って帰ってくる。

HScピストルの生産品の配給先(1941〜1945)

・陸軍(Heer):137121(54.4%)
・海軍(Kriegsmarine):27100(10.8%)
・警察(Polizei):28300(11.2%)
・一般市場(Civil):59467(23.6%)
・合計:251988(100.0%)

HScピストルは1945年から46年までフランス人によって「RW証印」を刻まれて製造された。これらのピストルの大部分はフランス軍の最初のインドシナ戦争を戦う運命にあった。高品質な民間市場向けピストルの製造が1968年から1977年までオベルンドルフのモーゼルの工場で再開された。これらは第一に米国の民間市場へ輸出され、ブルーフィニッシュやニッケルフィニッシュのものを買うことができた。

このピストルの口径は7.65mm(.32ACP)だが、1970年代の大多数のモーゼルHScは9mm Kurz (.380ACP)仕様である。