16. 騎兵
最後に馬がつぶやいた
おい相棒、楽しかったぜ、
いままでありがとな
おれは泣いたよ
びしょぬれのアルシヘが将軍に報告すると、将軍は急いで総攻撃の準備を命令しました。
アルシヘはお城の中の細かいことがらを幕僚に教えるために司令部に留め置かれました。
夜があけはじめました。
地上のいろいろなものの形が、白く浮き上がってきました。
「メブチ街道に敵騎兵出現!規模は連隊!」
街道方向を見張っていた寄せ手の騎兵が叫びながら飛び込んできました。
将軍は幕僚に、総攻撃の準備はそのままに、手持ちの護衛部隊を急いで自分たちの後ろに布陣させるよう指示しました。
「やるわい!至近距離から伏せてにじり寄っての襲撃だとばかりおもっていた!街道を長駆駆けてくるとは!気迫を感じるぞ!」
還ることをおもえば、馬を疲れさせないために近くまでにじり寄ってそれから襲撃というのが定石だったのでしょうが、馬を乗りつぶす覚悟で遠くから全速力で一撃するだけというのであれば、街道をひたすら駆けるという方法もありです。なにより、このほうが勢いがあります。常識的に「還る」事を考えていた寄せ手の将軍は、この敵の覚悟にちょっと感心しました。なにしろ総攻撃のために寄せ手のうしろはほとんどがら空きです。
「荷車を集め、街道を塞げ!」
街道をながめると、レドの方向からこちらにむかうものすごい土ぼこりが見えました。
「いい気合いだ!これこそ合戦!」
将軍は張り合いが出てきたようです。地味な城攻めより、勇ましい野戦の方が闘いがいがあるというもの。
おっとり刀でかき集めた、まだ荷物を下ろしていない荷車などのかげに隠れた寄せ手の兵士達は、かたずを飲のんでメブチ騎兵団の襲撃を待ちかまえました。
そのとき!
「城門が開くぞ!」
司令部がある側のお城の門がすごい勢いで倒され、メブチ軍がものすごい叫び声を上げながら剣やヤリをふりかざし、あふれるように押し出してきました。攻撃準備中だった寄せ手の司令部正面の部隊は、あわてて必死に防いだものの、思ったより数の多いメブチ勢の勢いと、不意をつかれたということはどうしようもなく、押しに押しまくられてだんだん司令部のある村の方へ下がってくるのが見えました。
「ミーレ殿の部隊に走れ、急ぎシルバ隊の側面を手当てしろと言え!」
「ハレ殿に、予定通り総攻撃を開始せよと伝えろ!」
「メブチ騎兵が来ます!」
くわえてお城のドラゴンが司令部のある村を目標に砲撃をはじめたので、司令部のまわりは蜂の巣をつついたようなさわぎです。
メブチとレドをつなぐ大街道を土ぼこりたてながら駆けるメブチ騎兵団の先頭集団の騎士たちのひとりの背にしがみついているのはだれあろう、あの年老いた秘書です。寄せ手に一矢報いようと一旦城をぬけ、あえて首都の方へ向かい、はるばる大迂回をして街道を堂々ともどってこようというのはこのじいの考えです。老いぼれた体では馬も剣もあやつれないものの、いっしょに襲撃をしたいと必死で頼み込み、旗のかわりに旗手の馬にのせてもらうことになったのでした。
お城ではこれを見てあわせてほとんど全力で押し出すことにしたのです。
じいは旗手の脇から前をのぞきました。荷車を盾に、右往左往する敵兵がぐんぐん近づいてきます。
「わはははは!いい!じつにいい気分じゃ!男児の本懐これにあり!殿!じいの最後、とくとごらんあれい!」
馬のひづめと武具の立てる音で、じいの叫びはかき消されましたが、そんなことは問題ではなく、敵があわてるのをみて、メブチ勢の意地を見せることはじゅうぶんできたと思ったので、じいはひたすら満足でした。
騎兵団長が片手のヤリを振りかざしました。かんだかい大きな声。
「しゅうげきい〜〜い!」
さっと前にふりおろしました。
「おそえ〜〜〜イ!」
村入口近くの民家の屋根に登ったアルシヘは急いで自分のドラゴンたちを呼びました。まずいちばんさしせまった危険は、やっぱり街道の騎兵。ドキドキするのを押さえてドラゴンたちに指示します。
「みえる?みえた!ぅて〜!」
三匹のドラゴンがそれぞれ火を吐いたことを感じました。敵騎兵団はどんどん迫ってきます。やつらの目の前に落ちればいいけど…火の玉がとどくのがまちどおしい!
火の玉は一発が完全に誰もいないところへ、次のが騎兵たちの後ろの方に落ち、後ろを走っていた数騎を吹き飛ばしました。最後の一発は左翼前面の騎兵たちを吹き飛ばしました。
「もう一回いくよ!」
三回目を撃とうとしたときに、荷車や建物のうしろの寄せ手が弓を一斉に撃ちはじめ、騎兵の数はさらに減りましたが、残りは勢いを緩めずにあっという間に荷車陣地の中へ飛び込んできました。たちまち敵味方入り乱れての殺し合いがはじまりました。突かれる兵士、引きずり落とされる騎兵、さおだちになる馬、そして土ぼこり…アルシヘはここで砲撃をあきらめて、目をすわらせ、屋根をおりて、引きつった顔で剣を抜きました。
「殿!秘書殿の狙いは当たりましたな!敵は混乱しておりますぞ!うまくいけばわが領内より打ちはらうこともできるやもしれません」
将軍が興奮して叫びました。彼らの目の下に広がる戦場は、メブチ勢にとってかなり有利に見えました。
しかしそれもつかの間、ほかの正面の寄せ手は危機に陥った司令部にかまうことなく、手順通りに落ち着いてお城を攻撃しはじめたのです。
寄せ手の放列ドラゴンの火が、風の傘をなくしたお城の壁を、容赦なくそこにいた兵士たちもろとも吹き飛ばし、消し飛ばし、まだ砲撃の最中だというのに恐れげもなく飛び出した工兵たちが堀に浮舟を投げ入れます。とうとうひとつの城門が砲撃でたたき壊され、寄せ手はなだれをうって城内に飛び込みました。たちまち剣や棍棒を振るっての殺しあいがくりひろげられます。しかし敵司令部方面攻撃に兵力を集中した城方の守りはどうしても手薄で、たちまちあちこちでかこまれ、斬り伏せられ、殴り倒されててゆきました。こうなると、生き残った城方はもうお城の上の方に追いつめれれてゆくのみです。
メブチ公と幕僚たちは、砲撃のまとにされだして危険になった見晴らし台をおりました。
取り外した戸板や机を盾に、じりじりと夜通しかけて回廊を進んだゴブ中尉たちはついに味方と出会いました。城門から攻め込んだ兵士たちが、とうとうお城の中に入り込んだのです。夜通しにらみ合っていた城方は、はさみうちにされて降参しました。ゴブ中尉たちはそのまま上へ攻め上がることにしました。
寄せ手の司令部正面の部隊はついに突き崩され、勢いづいた敵と混ざるようにして司令部のある村の方へ逃げてきました。すでに中までメブチ方の騎兵がはいりこんでめちゃめちゃだった村は、あちこちで火の手も上がって、ますますひどいことになってきました。アルシヘは、将軍を守って剣を振り戦っているあこがれの砲兵司令官の姿を横目でちらりとみましたが、すぐに目の前の敵と斬り結ぶことになり、そちらへは行けないまま土ぼこりの中に見失ってしまいました。
砲兵司令官は幕僚や護衛の兵たちとともに一軒の家の庭で将軍を守って斬りあっていたのですが、とうとう疲れてしまいました。振りだす剣も鈍っていき、ついに、横から出されたヤリが彼女のやわらかい腹を刺しつらぬきました。
「ああああああ…」
痛みと死の恐怖と怒りの悲鳴。将軍はあわてて彼女を家の中へひっぱりこみ、寝台に寝かせると、手当てしようとしましたが、ヤリをねじり抜かれたときにいっしょにはらわたが巻きついてあらかた引きずりだされてしまっていたので、もう望みはありませんでした。
「わたし、おもわずおこって…わたしのドラゴンが…怒ってしま…鎮めなきゃ・・」
もうなにも見えないらしい目をさまよわせながら、かすれ声で彼女が話そうとしていることの意味を知って、将軍はあわてました。消えそうになる彼女の心を呼び起こそうとするように、彼女のほおをたたきながら叫びました。
「そうです!もうこちらが勝ったのです!あなたのドラゴンは鎮めてください」
彼女は一生懸命に自分の最後の任務を果たそうとしました。一生懸命に。荒い息で。
「わたしのどらごんを…わたしのために…いかり…しずめなけれ‥」
言いかけたまま残りのことばが吐息になって口から抜けてゆき、まぶたは凍りつき、黒目がちなひとみはくもり、彼女のドラゴンを鎮めることをしないうちに、きれいな砲兵司令官は死にました。彼女のドラゴンは…
地面がいきなり激しくゆれました。
あちこちで斬りあっていたものたちは一斉によろけて、斬りあいどころではなくなりました。
司令部が逃げ込んだ家の下あたりから地割れがおきました。石造りの家は割れ、粗末な板の屋根は落ち、地割れはものすごい早さで村をぬけ、お城の方へ走り、お城に近づくにしたがってその地表の傷口をおおきく広げていきました。
将軍は砲兵司令官の体を抱きかかえながら、恐ろしさに震えました。
死んだ砲兵司令官は普通のドラゴン使いではなく、最強といわれる地竜の使い手だったのです。
ドラゴンの究極に育ったひとつの形である地竜は、すでにみなさんが知っているような竜の形をしていません。地脈にそって地上に大被害を与えるおそろしいドラゴンです。強力なので城攻めにはもってこいなのですが、今回の作戦ではメブチの縦坑を無傷で手に入れることが第一目的だったので、「ほどほどに壊す」ことが苦手な彼女のドラゴンは切り札としてとっておかれたわけで、しかも、彼女がドラゴンの力をおさえながら使わなければならなかったのに、彼女が死んだことで、おさえるもののない地竜は全力を出しきることになりました。襲撃されるおそれのある司令部に彼女を留め置いたことは、結果として寄せ手の将軍のミスだったようです。
激しい地震で斬りあいどころではなくなった敵味方は、ただただその地割れが家や兵士たちを巻き込みながらくねくねとお城に向けて走るのをながめるだけでした。
ごおおおお!
腹をたたかれるような重たい響きがきこえました。
揺れる城の回廊を、パーチクはふらふらとさまよっていました。これでチャンスをのがしたのは何度目だろう、さすがにつかれました。もう、なにもかもイヤ。でも、ネーコを助けなければいけないという気持ちは残っていたので、くさい泥だらけの体でようやく立ちあがったのでした。
「縦坑って、どっちだったっけ…わかんなくなっちゃった…」
ここまで落ちこむのは重症です。元気を出して!
また揺れがきて、こんどは転んでしまいました。もう、起きたくない。このまま埋まっちゃえば…そのとき…
「パーチク?」
ハッとして声のするほうに頭を向けると、そこには壁につかまってやっと立っているネーコがいました。背中にはあの手琴をせおって。
「ネーコ!」
ネーコはパーチクにかけより、しがみつきました。それから、ちょっと顔をはなして‥
「パーチク、くさいよ…」
「ごめん…」
二人はにっこりして立ちあがり、パーチクはさっきの弱りっぷりがウソのようにネーコの手を引いて、元気よく出口へ向かいました。
「きてくれたんだね。パーチク!」
答えるかわりに、パーチクはにぎる手に力をこめました。
城は響きとともにゆれ、城壁は割れ、倒れます。
城もまた二つに割れ、小さいほうは縦にずれるようにたちまちつぶれてゆきました。屋上では幕僚たちが崩れた側とともに落ちていくのをメブチ公とセラは抱きあいながらどうすることもできずに見ていました。
城はゆれつづけ、さらにあちこちが崩れはじめ、二人は立っていることができずに抱きあったままその場にすわり込み見つめあい、セラはメブチ公を抱きよせるとくちづけし、二人はさみしくほほえみました。
次の瞬間、メブチ城は完全にくずれおちました。大きな土ぼこりの雲が、まるで巨人のように空高くまいあがり、太陽はその日の午後までかすみがかかったようでした。
あるじを失った地竜はそのままルステワンデの方まで走って力尽きたらしく、ルステワンデまでのびた地割れはこれ以後も残ったままで、死んだ地竜のあるじの名を取って「マガリの地隙」と呼ばれました。いまでは細長い湖になっているということです。
身体じゅう土とほこりにまみれたゴブ中尉とその生き残りの部下が報告のために司令部へ戻ると、あちこち傷だらけでほこりまみれになったアルシヘが、やはり生き残った自分の部下といっしょに自分の司令官を埋めるための穴を掘っているのに出会いました。砲兵司令官の遺体は、毛布でくるんであって、顔には娘らしい、きれいなお化粧がしてありました。胸の上には、アルシヘの刃こぼれしてひん曲がってしまった剣がのせてあります。これがアルシヘの尊敬した人への精いっぱいの贈り物なのでしょう。
「あのちっちゃい子は?」
アルシヘがたずねてきたので、中尉は首をふり、アルシヘはちょっと暗い顔になりました。
「あれだけすごい魔法使うんだから、きっと生きてるよね」
これには中尉はうなづいてみせました。二人はにっこりし、敬礼をかわして別れました。
四本の脚を全部空に向けて転がっている馬の死骸や、ケガ人、降参したメブチの兵士たちがぼおっとすわり込んでいる中をようやく司令部を探し当て、将軍に報告をしました。
こうして、メブチ領はこの世から消えました。このあまり豊かではない領地は、こまぎれに、別の貴族たちが受け継ぐことになるのでしょう。
お城を無事にぬけだしたネーコとパーチクは、土ぼこりにまぎれて戦場をはなれましたけれど、パーチクがあんまりにもくさいのでどこかで水浴びをすることにしました。しかも前の晩に兵隊たちに塗りたくられた油まじりの炭も身体にべっとり。それに土ぼこりがまぶされたからもうすごいことになってます。そんな彼と抱きあった関係でネーコにもちょっとよごれとにおいが移ってしまっています。
ふたりはときおり自分の服やうでのにおいをかいでは、顔をしかめてみせて、見あってからニッコリするというたあいもない遊びをしながら道をゆきました。
「わたしのこと、盗賊さんがしらせてくれたの?」
「うん、でもケガをしててね、ひどかったから、しばらくは寝たままだろうね。アリエールとヤールガーマス師とおばあさんが看病してる」
「ハーコは?」
「アリエールについてるよ。毎日盗賊さんに話しかけてるみたいだ」
「本は、全部よんだの?」
「…結局、ぼくがほんとにほしいことは書いてなかったよ」
こんなことを話すうちに、とうとう小川を見つけて、人気のない岸をさがしあてました。
水のにおい。岸の土のにおい。この朝にあんなにものすごい殺し合いがあったなんて信じられない、のどかなかたむきかけの陽射し。水の流れる音。
パーチクとネーコはさっそく川の中でからだを洗いはじめました。
「よごれもにおいもなかなか落ちないな。この服は、もうダメかも…」
「日干しにすれば、なんとかなるよ。お日さまって、すごいんだよ」
ネーコにいわれたとおり、手早く服を洗って日なたに広げました。
ネーコはおおはしゃぎでパーチクの身体じゅうに岸のドロをこすりつけてから念入りにゆすいであげました。においはなんとか消えたみたい。
「ぼくたちも日干しになろう」
やわらかな草が生えているところを選んで、ぬれた体でならんですわりました。ネーコは手琴をかかえて。
「この手琴、カルメンにもらったの。カルメンに歌をおそわったんだよ」
パーチクはさっきからその琴について聞きたくてたまらなかったのですが、すなおになることができなかったので、さっきからちらっ、ちらっと物欲しそうに盗み見していたのにネーコも気がついていたんです。
パーチクが聞こうか聞くまいかとためらっているうちに、ネーコはあっさりとパーチクにいいました。
「これ、ひゃくななせいのしゅきんていう名前なんだって」
パーチクはもう本当にドキドキして、顔がまっかになり、目をみひらいて、ぱくぱく。ことばが口からでてきません。ネーコはにっこりしてつづけました。
「うそ」
パーチクが泣きそうな顔になったのであわてて、「っていうのはうそ!ごめんね。かまってみたかったの」
パーチクは泣きそうな、笑いそうなとってもへんな顔になりました。ネーコは思わずニッコリしてしまいました。パーチクかわいい。
「これ、ほんとにひゃくななせいのしゅきんなんだよ」
パーチクの頭をなでて、「歌もおそわったよ。魂のよびだしかたもおそわったよ」
まじめな顔になって、「でも、パーチクにはたましいはあつかえない」
「…どうして?…」
パーチクの声はかすれています。
「パーチク、声がちがうの。パーチクの声のぶんはもうこの手琴の音の中にはいってる。だからパーチクが歌ったんじゃ、声は百七人分にしかならない」
「ネーコの声ならいいの?」
「うん」
日はさらに落ちかけて、日差しはどんどん赤くなってきました。すわっている二人の影も、地面にながくのびてゆきました。日にやけた草の香りがただよいはじめています。
ふたりはそのままだまって、自分たちの影が小川の方にのびてゆくのを、風にふかれながらながめていました。ネーコはかげの頭を見たままで、いおうとおもっていたことを話しはじめました。パーチクにいいたかったことを。
「わたし、パーチクがいまわたしにおねがいしたいことわかってるよ」
「え?」
「パーチクはわたしに歌ってほしいとおもってる。フェリシアの魂を呼んでほしいとおもってる。でも、わたし、その歌はうたわない」
「ど う し て…?」
「そのかおなら、きっともうわかってるはず。わたしがフェリシアをよびだして、パーチクがファリシアと仲直りしたら、呪いとけたら、きっとパーチク死んじゃうんだもん。それ、わたし、いや」
「…」
ネーコはパーチクの方を見ませんでした。見たら、この、自分がきめた、「パーチクを死なせないこと」が押し通せない気がして、パーチクの悲しそうな顔を見てしまいそうな気がして、でも、それは絶対さけなければとおもったから。ぜったい別れたくなかったから。
突然にパーチクは笑いはじめました。大きな声で、うれしそうに。
「あはははは、ネーコ、あはははは」
ネーコはびっくり。なんでいっしょうけんめいなお話なのに笑うのかな?おもわずパーチクの方を見てしまいました。
「なんで笑うの?」
「あはははは、ご、ごめん、でも、なんで呪いとけたらぼくが死んじゃうとおもうの?」
「死んじゃうっていってたじゃない…」
「もうそんなことはない。ずっとまえアリエールがいってたみたいに、呪いがとけたらぼくは歳をとりはじめることにきめたのさ。それから、きみとずうううう〜っと暮らす」
パーチクが口をとがらせながら「ずううう〜っと」というときにいっしょにおかしな感じで両手を横にだんだんと広げてみせたので、ネーコはおもわず笑ってしまいました。それから手琴をわきに置いて、パーチクを抱きしめました。
「ほんとに?」
小さな声で、「ほんとだ」
そのまま小さな手でネーコの顔をつかまえて、自分の顔の前にひきよせると、ちゅっ。
そのままネーコの重みを支えきれなくなって、パーチクはネーコを上にあおのけにひっくり返ってしまいました。彼の目はネーコの頭ごしに赤い色から紫に変わってきている空をみつめていました。
「ネーコ、そろそろ服を着ようよ」
ネーコは答えずにパーチクをますます強く抱きしめました。
夏の夜空は、星ぼしだけではなく、いろいろな音にもいろどられています。そしてやわらかい。
ネーコとパーチクはさっきと同じ場所にすわって、ネーコは手琴をかかえて、なにかつまびいています。もう服は乾いたみたい。
「このしゅきんはね、星の声で鳴るんだよ。ほらね、ほら」
ネーコがつまびくしらべは、かるくやさしく星の中へすいこまれてゆきます。パーチクは空を見上げたままぼお〜〜っとそのしらべを聞いています。
ネーコはちいさな声でしずかに歌いはじめました。
しずめ、しずまる、すべてのことども、
といき、やすらぎ、ねむりににて、
こころ、いまは、よこたわりぬ
ひとみ、ひかりを、うけいれて、
たいだのこころとかたらわん
歌のあと、すこししてネーコは手を止めました。
「これが魂をよびだす歌。でもね、いま歌ったのに、だれの魂もでてこなかったでしょ?」
「うん」
「わたしはまだしゅぎょうがたりないから、だれかがいっしょに「おもかげ」をよびだしてあげないといけないんだって」
「おもかげって、ぼくのしってる面影?」
「そう。わたしをこのかっこにしたときにつかったやつだね」
ネーコは自分の胸に片手をあててみせました。パーチクは困った顔をしました。
「あれ、ぼく、生き物使わないとできないかも…」
「ああ、わたしもそうしたんだもんね」
「でも、それじゃ、もとにした生き物の魂、どうなっちゃうの?」
「まじっちゃうんじゃない?ア!…」
ネーコは意味がわからないままケロッと答えたあとで気がつきました。ア、そんなことしたら、もとにされる子がかわいそうって。それに、まじっちゃったらもうその魂はフェリシアのとはいえません。
パーチクはそのままうしろにひっくりかえって、そのまま星を見ながら、なにかをおもいだそうとしているみたいに口をとがらせました。ネーコもマネをして、うしろにひっくりかえり、胸の上の手琴で別の、でまかせの曲を引きはじめました。
「だれかいた…たしか…しってた…だれだっけ、女の子だったな…」
パーチクのひとりごとにネーコの耳がピクッと動きました。女の子?だれ!?
「あ、ポーラだポーラ!でも、まだ生きてるかな…もうすごいおばあちゃんになっちゃってるな‥きっと…」
なんだ、おばあちゃんか。ネーコの耳はまたもとの位置にもどりました。
「ポーラっていって、ぼくの弟子がいるんだ。ちょっとおっかない子なんだけど、ぼく以外にはやさしい。彼女も死人使いなんだけど、彼女ならなんとかできるかも。彼女にたのんでみようかな」
「パーチク弟子がいたの?すごいんだね。ヨーペ先生みたい」
「すごいでしょ?ほかにもいたんだよ。全部逃げられちゃったんだけどね」
「そういうおはなし、ききたいの」
「いっぱいあるよ。ウサギになりそこなった子もいたな…」
「おもしろそう!それ話して!…」
パーチクは話しはじめたけれど、途中でネーコが眠ってしまったことに気がついて、自分も眠ることにしました。
「ああ、よくかえってきました」
「ほんとに、もう、心配だったんだからね!」
「ネーコぶじ!えへへへへ」
パーチクたちの帰りを心配しながら待っていたデ・ロタールたちは、口々によろこびの言葉でネーコをむかえました。ネーコはちょっと恥ずかしかったけれど、すなおに、かってに飛びだして心配をかけたことをあやまりました。
ヒリヒはまだ起き上がれませんでしたけれど、ネーコが無事に帰ってきて、「冒険、たのしかった」なんていったので、なにも言わずににっこりしました。
パーチクはみんなに、これからのことを話しました。弟子のポーラに会いに行かなくてはいけないということを。
デ・ロタールが、とってもいいにくそうに話を切りだしました。
「あのね、わたし、ここに残る」
ネーコとパーチクは顔をみあわせました。
「ここにそろっている本、すごくおもしろいの。それで、量もすごくて、こんなすごい知識、一刻も早くぜんぶ自分のものにしたいの。…」
「わたしはかまわないのです。むしろ、これからもアリエールと議論できることはまことに意義深い」
デ・ロタールはもうヤールガーマス師の許しはもらっていたみたいです。
ははあん、とパーチクは察しました。さては?
「たしかに、これからいくところは死人使いのところだから、アリエールには得るものがあんまりないかもしれませんね。それに…」
パーチクは意味ありげにデ・ロタールとヤールガーマス師をかわりばんこに見てデ・ロタールをどぎまぎさせながら、横のネーコの腰をだきよせようとして、自分の方が軽かったのでよろけてネーコの腰に倒れかかりながら、「ぼくたちも、うまくいってるし」
ネーコはきょとん。つぎにまっかになりました。
デ・ロタールは彼女にはめずらしく目をみひらいて、「そうなの?」
ネーコはうれしくて、「そうだよ」
ヤールガーマス師はなんのことかわからなかったので、ちょっととまどっていました。そういえば、デ・ロタールが残りたいといいだしたもう一つの、そして本当の理由を知らないんでしたね。
ハーコは当然パーチクといっしょにゆくことになりました。
三人はまたイファン国へもどってきました。死の森、あの修道士エーコ殿の家へ。
道も家も前にきたときよりもっと草におおわれていて、もう、どこから森でどこから家なのかちょっとわからないことになっていたんですけれど、三人はなんとかなつかしい家にたどりつくことができました。
「レド騎士のザレブ殿、どこいっちゃったのかな…?」
気がかりだったのはそのこと。ザレブはちゃんと暮らしていけているのでしょうか。
床の割れ目から草がのびている部屋の中の修道士の使っていたベッドの上に、ザレブはピクリともせずあおむけに横たわっていました。パーチクもネーコもドキドキしました。死んでるのかな?
恐る恐るちかよって、顔をのぞき込んでみました。目をひらいて、ピクリともしません。し、死んでる…!?
「お、おお、帰ってきたんか?」
ザレブはビックリしたように目を動かし、ゆっくり起き上がって三人をむかえました。
「ああ、びっくりした!おどかさないでくださいよ」
「うごかないんだもん」ネーコは半泣き。
「ああ、びっくりしたか、いや、こうして屋根を透かして星の声をきいとったのよ。こうしておると、何日かは別段腹も空かんでな。マア、このまま近いうちに仲間のとこへいくんじゃろうが。心配無用じゃ。わしゃこうしてこの家ごと朽ちたいんじゃ」
「でも、なにか食べないとダメですよ。食料、あんまり減ってないですね」
戸棚をしらべながらパーチクがいいました。戸棚にはチーズやらかたくなったパンやらがいっぱいのこっています。
「巨人のとこの草をな、裏にほおっといたら増えてな。そればっかり食らっとるんじゃ。アレが一番口に合うでのう」
パーチクたちが家の裏に回ってみると、たしかにあの草が巨人の頭にはえていたときよりも勢いよく茂っていました。まるで別の種類みたいに。
「それじゃ、ぼくたち、いくとこがあるんで。またきますけど、里から人が見にくるように手配しましょうか?」
「いや、いい。もう、だれにも会いたくない。わしの知っている人里は、もう時間のむこうへいってしまいおった。まるで遠くの島へ流されたかのようにじゃ。ここでは、この時代ではもう誰も知らんし、新しく知りたくもない。わしはただ、昔から同じにきこえる星の声を聞いて朽ち果てたいんじゃ」
「ザレブ殿の話、ちょっとだけわかる気がする」
つぎの目的地、弟子のポーラがいるバラキ山にむかいながらパーチクがぽつりといいました。でも、ネーコにはわかりませんでした。
「へんなの。あたらしいことって、おもしろくてわくわくするとおもうんだけどな」
三人は森を出ました。
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