17. ポーラ
むかしもいまも
おっかない
きれいなひとは
おっかない
バラキ山は、山というにはおとなしい、どちらかというと丘という感じの木でおおわれた山に見えたのに、登ってみると意外に道がけわしいので、というより道がほとんどなかったので、三人は汗だらけになって死人使いポーラの家をめざしました。
さきにハーコに手紙を持たせてお使いさせたところ、ハーコが持ってきた返事は、「待ってる。ポーラ」とだけ。それを読んだパーチクがぶるっとふるえるのをネーコは見ていたんです。
さらに、山を登るにつれて、パーチクの息がどんどん荒くなっているのに気がつきましたけれど、これはどうも、道がきついからだけではないようで、パーチクはあまりしゃべらなくなって、とってもはりつめた顔をするようになってきていたんです。
「パーチク、きんちょうしてる」
ハーコがズバリといいました。
「なにがこわいか?」
「こ、怖いことなんかないよ!ちょ、ちょっと道がきついから…」
「じゃ、ちょっとおやすみしよ。お水のみたい」
木のまばらになったところに腰かけて、持ってきた革袋から水を飲みました。
「ねえ、なんで弟子なのに怖いの?」
ネーコがたずねました。
「こ、怖くなんてないよ!」
「うそだ、怖がってるもん。顔に書いてあるもん」
からかうような調子でいうと、パーチクは頭をかいて、「だって、いちばん乱暴な子だったんだ」
パーチクはその昔、弟子であるポーラにさんざん痛い目にあわされた話をしました。痛い目というのは、殴られたからで、文字どおり痛かったという話。
ネーコもハーコもおもしろがって聞きました。「それはパーチクが悪いよ!」
これで気分がほぐれたのか、パーチクはちょっと落ちついてきました。さあ、あともう一息。
死人使いのポーラは、騎士の身分から魔法使いになったという変わった人だっただけに、どことなくきびしい色のみえる人で、まっしろな髪をきちんと後ろにたばね、黒い修道士の服を着て、石造りのけっこう立派な家に住んでいました。
パーチクたちのあいさつに、すました顔でこたえます。
「久しぶりだね、パーチク」
「や、やあ、ポーラ…」
やっぱりパーチクは押されぎみです。いまにも逃げだしそうです。
「怖がらんでもいいだろ、わたしゃあんたの弟子なんだから」
「そう、そうだね」
「パーチク、ポーラってそんなにしわしわのおばあちゃんじゃないね」
ネーコはひそひそ言ったのに、パーチクはとびあがってネーコの口を押さえようとしました。
「まあ、会うのは五十年ぶりくらいだから、ほかの女に当てはめればわたしもけっこうシワクチャじゃなきゃならんだろうがね。あいにく若作りでここまで来ちゃって、罪だね。わたしゃ」
パーチクの頭をなでて、すごい笑顔をつくり、「あんたもまた、えらい若づくりだね!初めて会ったときより若いような気がするのは気のせいかい?」すごい皮肉。
「し、死に損なったんだよ」とパーチク。ポーラは肩をふるわせて口を押さえて笑いました。
「ウフフフ。死に損なうなんて、あいかわらず抜けたことをするねえ。やっぱりパーチクだわ」
そういうと、みんなを家の中へまねきました。ネーコは、なんでそんなにパーチクがこのおばあちゃんを怖がるのかよくわかりませんでした。やさしそうなのに。おいしいお菓子くれるし。
パーチクとポーラはいまのテーブルをはさんで、お茶を飲みながら昔の想い出や、だれかれのその後についてなど、世間話をひとしきりしました。どちらかというと、パーチクの方が弟子みたいな話し方になって…
「まあ、あんたと別れてからの来し方はざっとこんなものか、わたしはそれなりに年をとったし、あんたは自分でもわからない方法で若返ったと。で、せっかく若返ったのに…」
ポーラはひとさしゆびでパーチクの額をこづいて、「また歳をとりたいと…バカだね!」
パーチクは額をさすりながら、でもポーラの顔をみあげてまじめにいいました。もうさっきまでのへらへらした顔ではありませんでした。
「バカかもしれない‥でも、もう十二年も子供のままでいたから、子供のままの不便さはよくわかったし、もうあきたの。子供の器は、子供のためのものであって、ぼくの魂のためのものじゃあない」
「その猫人間と釣り合いもとれないしね。そうさね、もう五歳くらいとらないとね」
ネーコは「猫人間」というのが自分のことだと気がついて、自分の名前を教えてあげることにしました。
「わたし、ネーコだよ。ネコ人間じゃないよ」
ポーラはネーコの顎にゆびをかけて、自分の方にひきよせました。
「あら、そういえば、このネコ、しゃべるね!これはびっくり!ふつう、ネコのカサをまして人間にしてもしゃべったりはできないはずなんだがねえ。こりゃおもしろい!」
「ポーラ!その子はちゃんとあつかってあげて!そんな失礼なことしないでよ!ちゃんとネーコってよんであげて」
パーチクがそんなにけわしい声を出したのは初めてだったので、ポーラも、ネーコも、そしてハーコもビックリして彼の顔をみました。ポーラはネーコの顎から手を放すと、その手をきまり悪げにちょっとぶらぶらさせて、ネーコにいいました。
「わるかったね、ね、ネーコ、悪気はなかったのさ。パーチクに久しぶりに会えたから、ちょっとはしゃいじまって、ごめんね」
「う、うん、いいんだよ。わたしネーコだよ。わたし、ポーラってよんでいい?」
「ああ、いいよ。じゃあ、いまからわたしとあんたはともだちだ!」
「マブダチだね!」
こんどはパーチクがびっくりしました。ああ、こんな言葉、あの盗賊の人におそわったのかな?ポーラはにっこりしてからパーチクにやさしくききました
「じゃあ、わたしのマブダチのパーチクや、機嫌なおったかい?で、歳をとるにはその、死んだ女の呪いを解けばいいのかい?魂を呼びだして、解けるものなのかい?」
「うん、話しあうしかないだろうね。彼女と。彼女の怒りを静めないとだめだとおもうんだ。ぼくは彼女に一生懸命あやまって、誤解されてるところはちゃんとそういって、彼女の気持ちもちゃんと聞いて。そうしたら、きっと、このぼくに起きてるこの変なことは全部なんとかなるとおもうんだ」
「それからネーコと暮らすのかい?」
パーチクはうなづいて、ネーコはきょとんとして、それからうれしさで体があつくなりました。
「それで、この子が歌ってフェリシアの魂を呼びだすのに、わたしの術が必要だと」
「きみは面影の呼び出しがぼくよりうまいからね。師を越えてるから」
「あんたがぶきっちょなんだよ。絵なんてものは、あきらめないでよく見れば描けるもんなのに、せっかちに描こうとするから似ない。それでなにか似た芯が必要になるんだ。あんたに絵心があればねえ」
「だって、うまくかけないんだよ。心の中に描く面影はハッキリしているのに、いざ描こうとすると、細かいところがはっきり浮かばなくて」
ポーラはネーコの顔を見ながら、板きれになにか書きつけています。
「できた」
板きれには、ネーコにそっくりな女の子の顔が。
「わあ、そっくり」
「やっぱりポーラは絵がうまいね」
「感心してないで、このわたしがせっかく描いてあげた絵をよく見て、練習だよ!けっきょく、あんたが呼び出さなきゃダメなんだから」
「はあい…」
パーチクは庭にでて、棒切れをひろい、土の上に、ポーラが描いてくれた絵をまねして描き始めました。横からポーラがきびしく教えます。
「ちがう。目と目の間は目の長さと比べてどのくらいか、測ってごらんよ。鼻はそんなに長いかい?ネーコの顔もよく見て、顎はこんなにとがってないだろう?やりなおし!」
それからその日は一日お絵描き。陽がくれて、地面が見えなくなるまでお絵書き。
ネーコはパーチクの前にしゃがんできいてみました。
「なんでお絵描きするの?」
「死人の面影を呼び出すには、地面にその死人の姿をできるだけそっくりに描かなきゃいけない。死人はその姿を借りて地面から姿をあらわす。そっくりじゃないと、その人の面影にならないからね。出てこれないのさ。死人使いはこれができると、それだけで商売ができる。ポーラは死人のかおかたちについて客からの話だけでもそっくりな絵を描けるから、それはたいしたものなのさ」
それから数日のあいだ、パーチクはポーラのもとでお絵描きの修行を積みました。
「ちっとは似てきたね。そろそろ一度、よびだしてみたら?」
ポーラがすすめたので、パーチクもその気になりました。目をとじて、心のリズムをととのえると、地面にていねいにフェリシアの顔を描きはじめました。ポーラほどではないにせよ、けっこううまく描けてます。顔ができたので次は首、胸、うで…書き終えて、一歩下がり、両手を広げ、面影をよびました。
「われ、いまよりここに
死人と生者の誓いを立てん!
死人の国の大地から、過去の記憶を呼び寄せん。
若き女の記憶より
古き器をかたどらん。
死せる泥土の世界に願う!
死人の国のあなたに願う!
面影を貸したまえ!
この土に貸したまえ!
我が懐かしの面影をっ!」
土に描いたフェリシアの絵の輪郭がぼんやりして、盛り上がっているような気配。動いているようには見えないのに、いつの間にか起き上がりかけている女の姿になりました。
あ、わたし、ここで歌わなきゃいけないんだな。ネーコは気がついて、手琴をつまびき、歌いました。
しずめ、しずまる、すべてのことども、
といき、やすらぎ、ねむりににて、
こころ、いまは、よこたわりぬ
ひとみ、ひかりを、うけいれて、
たいだのこころとかたらわん、
おもかげのぬしとかたらわん、
そこなおもかげにおりきてよ
フェリシアの面影は、ただおきあがっただけ。まったく魂のない、かたちだけ人に似たただの土の塊だということが、パーチクにも、ネーコにも感じとれました。失敗。パーチクはため息をついて、両手を押さえるようにおろしました。土でできたフェリシアの人形は、そのままどさどさと崩れて、小山になりました。
「これは疲れる…」
パーチクはかなり疲れたみたい。彼らしくもなく、すごく緊張したみたいです。汗をかいて、肩で息をして。
ネーコは、ちょっと自信がなくなりました。おかしいな、カルメンにおそわったとおりなのに。あのとき、念のために、カルメンは黒小人にたのんで、自分の身体と引きかえに、ネーコの頭の中に彼女の知識を植えてくれたのです。カルメンの怠惰の歌と知識を。
「いい線いってるように見えるんだけどね。あんたの呼びだした面影は完璧に近そうだったし」
ポーラが感想をいいました。
「ネーコの歌も完璧ではないにしろ、リズムは悪くはないんじゃないのかね。問題は…」
ポーラとパーチクは同じようにみけんにしわを寄せ、同じように耳の下に手をあてがい、同じように首をかしげて、同じようにハッとした顔をして、お互いを指さし、同じ言葉を叫びました。
「フェリシアが死んだ場所!」
パーチクはちょっと暗い顔になりました。
「あの宮殿はまだ残ってるだろうね。あんまり行きたい場所じゃないけど」
「どこだい?」
「ナイメ森」
「ゴルグリヒかい…わたしたちの歳の人間は、みんなゴルグリヒだね…」
「あした、ここを出るよ」
「そうかい、じゃ、今夜はごちそうにしなきゃね」
ネーコは「ナイメ森」ということばをきくと、なぜかすごく心が重たくなる気がしました。あんまり行きたくないな。でも、パーチクのために、行かなきゃいけないんだね。
四人はポーラが用意したとっておきのおいしいごちそうを食べて、おはなしをして、笑って、おやすみをしました。
「じゃあ、ポーラ、ありがとね。いくよ」
翌朝、パーチクたちはポーラに別れをつげて、ナイメ森へむかいました。
しばらくあるいたあとで、ネーコは思いきってきいてみることにしました。
「パーチク」
「なに?」
「ポーラって、パーチクの恋人だったの?」
パーチクは首をふりました。
「ううん、はじめて会ったときに、もうポーラには好きな人がいたのさ」
「どんなひと?」
「ぼくより素敵な人。会ったことはなかったんだけどね。素敵な人にちがいないよ」
「ふうん」
ネーコは、パーチクより素敵な人って、どんな人だったのかなって思いました。
「わたしには、パーチクが素敵な人」
「あははは、ちょっとはずかしいよ。あははは」
「パーチク照れた。ハーコもちょっと照れた」
ネーコはとりあえず、なぜか心を重くするナイメ森という言葉を、頭の中から消しておきました。
西イファン州は、すでにお話したように、森の多い土地です。最初にネーコとパーチクが会ったルステワンデ森をはじめ、パーチクのふるさとにもあるし、ほかにもたくさん森があるのですが、北西のナイメ森は後ろに大きな山脈を持つ、遠くからはどす黒く見える森です。まるで山が血を流して、それが固まりかけているかのような。とにかくあまり入ってゆきたいような気がおこらない、とてもおおきな森でした。山脈のふもとは、もともとは多くの町や村のある土地だったのに、いつの間にか、山脈から黒い森が押しだしてきて、数百年のあいだにそれらの町や村を押しつつんでしまったのです。なぜ人々がこの土地を捨てていってしまったのか、いまとなってはそれはよくわかりません。とにかく、森の中にはいまでもくちはてた町や村の残がいが多くあり、にぎやかだった当時の地図も残っています。この土地に目をつけたゴルグリヒがここに自分の死人の王国を築こうとしたのは、それらが消えうせて、さらにもっとあとになってからのことです。
人里も遠いので、パーチクは袋にたくさん食べ物を入れてかついでいます。ネーコもハーコも、森に近づくにつれ、気が重くなってあまりしゃべろうとしなくなってしまいました。
「ぼくたちは、二度目にここから攻め込んだ。ほら、あそこのまっくろい木と木のあいだ。ここは、ぜんぜん変わってないんだな」
パーチクはやはり暗い顔でネーコたちに景色を説明しながら進みます。ついに森の中へ。
「まっくらだね。やな感じ…」
胸がしめつけられそうな気さえします。
「さすがの盗賊もこの森だけはねぐらにはしないみたいだ。いつ来ても同じなこのいやな気配のなかじゃ、とても落ちついてらんないからだろうね」
足早にどんどん進みます。
ゆくてを、朽ちた木が積み重なって壁みたいに塞いでいるところにでました。
「ここはビマンとりでのあとだ。ぼくたちは二手に分かれて、このとりでをはさむように越えて進んだ。ぼくたちは右に行った。右にはあまり敵はいなかった。左に行った部隊は別のとりでにぶつかってすごく苦労したみたいだ。それでも最後にはどうにかハサミを閉じたんだけどね」
パーチクがいってることはむつかしくてよくわからなかったけれど、ネーコは緊張した顔でうなづきました。ハーコもうなづきました。
三人は壁にそって進み、壁の切れ目をみつけて通り抜けました。そのつぎにも壁。壁は三列も重なっていました。
「敵といえばみんな死んだ者たちだった。もう死んでるから、たたきつぶすようにしないと動きつづけるんだ。それでみんな、くたびれて、まいってしまってね」
そんなふうにいくつかとりでや村のあとを越えて進んでゆき、陽がくれて、なにも見えなくなってきたので野宿することにしました。ハーコは怖がってパーチクにピッタリとくっついたまま。ネーコもパーチクのわきにくっついてすわっています。火をたかなかったのでまっくら。
「パーチク?」
「なに?」
「ほんとになにもいないんだね、ここ。さっきからずっと、この森に、生きてるものはだれもいちゃいけないって気持ちがすごくする」
「みんなそういうよ。そう感じるよ。いっしょに攻め込んだ仲間たちもみんなそういってた」
「眠るの、怖い」
「だいじょうぶだよ。さすがにこの森の中でも眠っただけで死ぬようなことはないよ」
ハーコが小さく「ぴー」といいました。そのまま三人は夜明けまでだまったままでした。
森に入って四日目のお昼過ぎ、ついにパーチクたちは、ゴルグリヒの死の宮殿あとにたどりつくことができました。この建物はなにかの神殿だったらしく、コケでおおわれた石の階段の上の石の大きな建物は、きっと草やコケにおおわれていなければ美しい姿をしていることでしょう。しかし、森は、そんな人間の想いには関係なく、その緑の手のひらで、すべてを包もうとしていたのです。
三人は神殿の奥へ入ってゆきました。
「…ここだ…あそこにゴルグリヒがすわっていて、フェリシアが…」
パーチクの声は荒い息でかすれています。ネーコはそのようすを想像してみようとしましたが、胸がドキドキして、とっても苦しい気持ちになって、パーチクの腕をうしろから一生懸命つかみました。
パーチクは部屋のまんなかへ歩いてゆき、まわりを見回して、そこにひざまづきました。
「…フェリシアは…ここによこたわって…そう、ここに…」
そのままだまって、しばらくうつむいていました。あとになってからネーコは、このときに彼が泣いてたのかなと思ったものでした。
しばらくしてからパーチクは目の前の床のコケを払うと、持っていた木炭で、そこにフェリシアを描き始めました。一生懸命に。ネーコとハーコはそれをぼおっとながめています。
「…できた…ネーコ?」
ネーコはたちあがったパーチクのわきに立ちました。ネーコは手琴をかかえて、つまびく用意をしました。ついにフェリシアの魂を呼びだすときがきたんだね。
「われ、いまよりここに
死人と生者の誓いを立てん!…」
パーチクが面影を呼び出すと、石の床が粘土のようにやわらかく盛りあがり、人の姿を形作ってゆきました。ネーコは手琴をひきました。歌いました。
石でできたフェリシアが、目をひらきました。暗い中で、まわりよりもっと暗く、光を吸い込むようなひとみ。
「フェリシア!」
パーチクの声に、石のフェリシアは答えました。
「…われはフェリシアにあらず…わが眠りを妨げるはたれぞ…」
ネーコはびくっとしました。パーチクの声、魂魄にはきこえないはずなのに…!
「フェリシア!」
「われはゴルグリヒ…永遠の怠惰を愛すもの…怠惰を嫌う青年よ…おまえの心はここにはない…娘の心もここにはあらず…」
「なにをいっているんだ!きみは…」
石のフェリシアに必死になって語りかけるパーチクの肩を、ネーコはそっとおさえました。
「パーチク!これ、フェリシアじゃないよ…これ、別の人…」
パーチクはすごい勢いでふり返り、ネーコを見上げると叫びました。
「なにを言ってる!これはフェリシアだ!ここで死んだ魂魄だぞ!ここで死んだ…!」
「おちついて!あれ、ここで死んだ別の人。このへやはこの人の心でいっぱい!わたしにはわかる!」
「じゃあ、どこなんだ!フェリシアはどこなんだ!どこだ!どこ…」
パーチクもやっと呼びだした魂魄がフェリシアではないことを認めたようです。でも、怒りで肩がふるえています。石でできた面影にむかって叫びました。
「きみは、ゴルグリヒなのか!なぜフェリシアを呼ぶじゃまをする!おとなしくきみの好きな怠惰へと帰るがいい!」
石のフェリシアは、みじろぎもせず、黒い穴のようなひとみでこちらをみつめたまま、こたえました。
「煩悩多き青年よ、なんじの求む魂はここにあらず…魂は、悲しみよりも楽しきを…・」
石のからだが崩れはじめました。
「楽しきを…もとむべ‥し…さ・ら…ば…‥・」
面影は消えうせました。
パーチクはその場にしゃがみ込んでしまいました。
「も、もういっかい呼ぶんだ…いまのは練習さ…そう…こんどこそ…」
ネーコはパーチクのわきにしゃがんで、彼の肩をなでました。この部屋の気配と、自分の魂魄への知識と、いまゴルグリヒがいったことをきいて、なにがいけないのか、わかってきたような気がしました。
「ここじゃだめみたい。わたしの力じゃ。それに、ここは魂を呼んじゃいけない場所みたい。へんなことになってる…ねえ、もっとフェリシアとパーチクの想いのある場所のほうがいいよ。いま出てきた人がいってたみたいな、楽しかった場所。悲しいだけのこの場所じゃなくて…」
パーチクはうなだれたまま、ひとりごとのようにいいました。
「楽しかった場所は…いまじゃ悲しすぎるからいきたくない…」
「でもここじゃだめなんだよ。ここは…そう、静かすぎる…それから、いまのひとが強すぎる。いまのわたしじゃ勝てないんだよ」
パーチクは立ちあがるといいました。
「かんがえよう。この森は…出よう…」
泣きだしそうなハーコがパーチクにすり寄りました。こわかったんです。
数日ぶりに浴びるお日さまの光は、まぶしくてきもちいい。ネーコとハーコの心はうきうきしましたが、パーチクは雨雲のようにどんよりしています。ネーコが手琴を手に入れたことで見えた希望が、また縮んでいってしまいそうだったから。あの長いもがきを、また最初からか、と思うと、いくら彼でも、どうしてもじめじめしてしまいます。
でも、たまにネーコが心配そうにこちらを見ていることに気がつくと、あわててにっこりして、つまらない冗談をいったりして、いつものパーチクらしくふるまいました。いつものパーチクらしく。
三人はまたポーラのもとへと帰ってきました。
「ひとちがいとはいえ、魂は面影に入ったんだろ?じゃあ、パーチクの面影よびがまずかったんだよ。あんたの気持ちに、そいつのこともひっかかってたんじゃないかい?」
ポーラが言うことはもっともだったので、パーチクもそれをみとめました。
「…う…そうだね…たぶん…あそこじゃ、ゴルグリヒを感じずにいられないからね…無駄足だったよ…」
「でも、死んだ場所はあそこなんだしねえ…ところで、怠惰には場所なんてものは関係あると思うかい?」
「巨人に聞いた感じだと、ぼくたちの感じてる世界とはぜんぜんちがうみたいな、ひょっとすると、そんな物もないのかも…」
「ふうん、でもここでは呼べなかった。ナイメ森でもムリだった。でもそこで死んだゴルグリヒは出てきた。それはお前さんの心に引っかかったから。…ようは、お前さんの心に引っかかればいいだけの話じゃないのかね…うん、死んだ場所に近い性格の場所を探しゃいいんじゃないかねえ」
ポーラとパーチクは同じようにみけんにしわを寄せ、同じように耳の下に手をあてがい、同じように首をかしげて、同じようにハッとした顔をして、お互いを指さし、同じ言葉を叫びました。(ネーコはこの光景を前にも見たので、思わず笑ってしまいました。)
「墓!」
パーチクは悲しいような、うっとりしたような、へんな顔になりました。
「やっぱりフェリシアを埋めた場所になるのか…あそこには二人の想い出しかないものなあ…お墓、まだあるかなあ…」
「フェリシアは騎士の家なんだろ?まだあるのかい?ないにしても、騎士の家なんだからそうそう消えてなくなるような作りじゃないのだろ?」
「彼女、自分の家のお墓には入れなかったんだ」
「どうして…」
「ああ、ポーラにもこの話は初めてだったね…」
パーチクは語りはじめました。
…ゴルグリヒ事件がおさまって、ぼくたちはフェリシアの遺骸を彼女の家に運んでいった。親御さんの前に出るのは怖かったけれど、フェリシアの最後を話してあげなけりゃならない。親御さんのために、話してあげなけりゃならない。それが最後を見届けたもののただひとつしてあげられることだと思ったから。
親御さんである大騎士ド・ラビエール殿は、むすめの遺骸を見て、こぶしを握りしめ、天を仰いでから、剣を抜き、そばにあった石の柱に切りつけた。剣は折れて飛び散った。
「話してくれ。フェリシアの最後を、話してくれ」
向こうを向いたままで言った。
ぼくは話した。彼女の最後を。力尽きてぼくの目の前で死ぬさまを。いっしょにいた兵士たちがうなづいてくれた。
大騎士は涙をみせなかった。騎士は泣いてはいけない。だからぼくたちの前では泣かなかった。
「愚かな娘だ。あまりに愚かだ。このような娘を育てたわたしもまた愚かだ。この悲しみは、わが愚かさの報いだ」
彼は娘の遺骸のほおを打とうとして、さすがにそこまではできずに手を下ろし、さみしく彼女の青白い額をなでてやり、そこで決意した。
「この子はもはや我が子ではない!このような愚かな娘は、騎士の家の面目として、許すわけにはゆかん!わが家より追放する!」
ぼくはなぜにこのようなことをとつぜん彼がいいだしたのかわからなかった。あわてて聞いた。
「とのさま!なぜ、なぜお嬢様をそのような…?」
大騎士はものすごい目でぼくをにらみつけた。
「剣の修行とわたしをたばかり、おまえのような身分も得体もしれぬ男にだまされて、フラフラとつまらぬ戦でつまらぬ死に方をするような軽薄な女が、騎士の家の娘にふさわしいと?おまえは、わたしに、わたしにそのようなことが、よくも言えるわ!おまえが娘をそそのかし、このような恥ずべきことになったのではないか!おまえのせいでっ!おまえの!」
いいながら大きなこぶしでぼくを何度もなぐりつけて、ぼくはそれから気を失ってもめちゃめちゃになぐられたそうだけれど、気を失ってたから思い出せない。とにかく散々に打ちのめされたらしい。
これはあとで知ったことなんだけど、フェリシアはたまに家に帰ったときや、手紙で、よくぼくの名前を出していたらしいんだ。とにかく、ぼくが気がついたときは、フェリシアの遺骸といっしょにならんで森の中に寝かされていたのさ。
「自分の娘のなきがらを捨てるなんて、ひどい騎士もいたもんだねえ」
ポーラが怒ったように口をはさむと、パーチクは弱く笑って手をふりました。
「そうじゃない。とのさまは、ぼくに、フェリシアをくれたんだ。死人使いには、死人の娘をやろう。一緒に出てゆけって、手紙がぼくの胸に挿してあった。きっと、ぼくがフェリシアを好きだって知ってたから…そうだとすると、ひところ、フェリシアもぼくのこと好きだったのかな…?でも、でも…カミュが…」
パーチクがまたおかしくなりそうだったので、ネーコは彼の頭を抱いてあげました。もう、ほんとうにはやく呪いをといてあげなきゃ。みてられない。かわいそう。
ようやく落ちついたパーチクは、やさしくネーコを押しのけると、話をつづけました。
フェリシアの遺骸は操りたくなかった。それはやるわけにはいかない。彼女の前では強くて輝く騎士のようにありたかった。ぼくは、彼女をせおって、歩きはじめた。はじめてであったあの場所へ。ぼくの村の、あの森の、二人の想い出の場所へ彼女を埋めたかった。いっしょに草をしゃぶったあの場所へ。カミュと会う前の彼女でいてほしかった。小馬にのった、かわいいフェリシアでいてほしかった。せめて遺骸だけでも、あそこにいてほしかった。
ゴルグリヒ事件の戦闘で受けた傷と、身体中のなぐられたところがきしんで、一歩あるくのもくるしかったけれど、ぼくはあるいた。彼女が腐ってしまう前にあそこにつきたかった。彼女がまだきれいなうちに。
身体中悲鳴を上げてたけど、ついにあの場所について、ぼくは彼女を埋めた。魔法は使わずに、騎士がするように自分の手で穴をほって、自分の手で穴の底に横たえ、自分の手で埋めて、自分の手で作った墓標をたてた。魔法を使わずに、騎士らしく!
それからそこには行ったことがないんだ。行きたくなかった。つらいんだ。
大騎士の家は絶えた。いまじゃ別の騎士があの一帯を治め、村もすこし位置が変わって、あの森ももう顔が変わってしまってるから、みつけるのは一苦労だろうね。でも、みつけなきゃね…
ネーコは、ずっとまえ夢で見たあの景色のあの場所が、小さな二人がかわいらしくチュっとしたあの場所が、おなじく二人の悲しい別れの場所であることを知りました。きっと、あそこへ行けば、全部終わるんだね。パーチクの苦しみと、わたしのこころのよくわかんないことが、全部終わるんだね。
「じゃあ、またお別れだね。あした出るかい?あしたにしなよ」
「う、うん、あしたにする」
ポーラがちょっと切なそうにいったので、パーチクは彼女の願い通りにすることにしました。本当は一刻もはやく出発したかったのですけれど。それから、ちょっとポーラに甘えてみる気になりました。
「ポーラ?」
「なんだい?」
「ハーコをあずかってくれないかな。この子、ナイメ森ですごく怖がってたから、また怖い思いさせちゃうとかわいそうだから」
「ハーコはそれでいいのかい?」
ハーコはうなづきました。
「パーチクとネーコ仲良くしすぎでハーコちょっとてれくさかった」
ネーコはまっかになりました。
「そうかい。じゃ、うちにいてくれるかい?」
「いるいる。ポーラやさし。すき」
その晩はまたごちそうでした。パーチクまで酒を飲んで、ゆかいに食べました。
みなが寝静まったあと、ネーコはねむれずにパーチクのわきに横になって、彼の寝顔をながめながらぼんやりと考えました。パーチクがフェリシアと仲直りできたら、パーチク、どんなひとになるのかな?やさしいままでいてくれるかな。もう急に泣かなくなるかな…
パーチクのほっぺに自分の鼻を押しつけて、目を閉じました。ちょっとしあわせ。
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