18. よびだす
きみを埋めた場所
ぼくが死んだ場所
歌って、おねがい。
「ああ、パーチク、よくきたな!ネーコも!さあさあ、入りな、ネーコや、おれの防具をちゃんと着ててくれてるな、どこか具合のわりいとこはないかい?」
「きごこちいいよ。好きだよ、この防具」
パーチクとネーコは、また、あの村へ帰ってきました。革細工師のモラレスの家に顔を出しました。モラレスはおおよろこびです。
「ハーコはどうしたね?」
「知り合いのとこにいるよ。元気だよ」
「そうかい、また会えるといいな」
モラレスは店の閉じまりをはじめました。
「今日はもう仕事はおわりだ。パーチク、いっしょに呑みにいこうや。な、いこう!」
「うん、ネーコもきていいよね」
三人はモラレスの行きつけの酒場にゆきました。
モラレスとネーコは酒。パーチクは安ワイン。鳥のあぶったのと、焼いたかぶらと、酢漬けのキュウリと煮た干し魚、かんぱい。モラレスはひとくち飲んでから、鼻からおもいっきり息を吸い込んで、トローンとした目になり、コップをテーブルに置くと、パーチクを見やりました。
「お前とこうして酒飲むのは、おまえが、いきなりちっさくなって帰ってきたとき以来だなア」
「さいしょはぼくだって言っても信じてくれなかったよね」
「そりゃあ、おまえ、若返りなんて恐ろっしいことパーチクがやるなんて思えねえもん。てっきりお前の子供だと思ったさ」
「孫たちは元気?」
「ああ、ああ、そろそろ末孫のとこにもひい孫ができそうだで。息子の跡取りもいい親方についてひとりまえになったし、もう、おれァ、満足だで」
モラレスはほんのり顔を赤くしながら、残り少ない歯であぶり肉をかじり、また酒をあおりました。
ネーコは、コップの酒をなめながら、じぶんが自分の子供たちに囲まれている未来を思い浮かべてみました。たくさんのちいさなネーコとパーチクが、自分たちのまわりをかけまわるすがたを。そしたらとってもおかしくなって、飲みかけていた酒を吹きそうになりました。ああ、おぎょうぎわるい!
「なんだい、ネーコ、むせたかい?」
「くっくっくっ…」
「このこは飲むとゆかいになるたちだな」
パーチクもモラレスもつられてもっと愉快になりました。
「オイねえさん、もういっぱい酒をくれ。この小僧にはさっきの安ワインと、おまえ、にんじん好きだったよな、そう、にんじん生で切ったやつ。ハハ、ウサギみたいだろ?」
「小僧はないよ…」
「いやいや、おまえはその小僧っぽいとこが昔からおれ、好きだったんよ。おまえ、じじいになってからも小僧っぽいとこあったからなあ」
「ううん、そういえば、そーとー年とっても子供とかにからかわれたりしやすかったなあ…」
「そうそう、パーチクって、かわいいんだよ。ちっちゃいからじゃないんだね」
「そうさな、ちっちゃいからってわけじゃねえな。いまはみためも小僧だが。あははははは!」
「あはははは」
ネーコとモラレスはパーチクについての見方が同じだったのですっかりご機嫌です。パーチクも赤い顔をしながら、悪い気はしてません。これはほめられてるんですから。
「むかし、な、おれ、おまえがもどかしくってなあ」
モラレスが急にとおい目をして話しはじめました。
「フェリシアのこと好きなのに、ちっとも前にでないから、もどかしくってなあ、ヒック」
「なんだいモラレス、急にしんみりしちゃったね」
モラレスは照れたみたいにコップをフラフラ振りながら、もう一方の手でパーチクの頭をクシャクシャッともみました。
「パーチク、おまえ、このこ、大事にすんだぞ!悲しますな!」
「…うん…」
「じゃあ、おれの前でちゅうしてみせてくれ」
「え〜〜!?」
モラレスが急にへんなことをいいだしました。ネーコもパーチクも顔を見あわせてもじもじ。
「なんでそうなるかな…」
「おれも人の倍は生きたし、お迎えも遠くはなさそうだからな、おまえの幸せなのを見てから死にたいんよ。親友なのに、おれだけカカアもらってしあわせで、お前はあんなことになって、それだけがおれ、残念なことだったんよ。おまえ、おれの友達だったから…」
ネーコは、前からなんとなくモラレスが好きだったけれど、いま、その理由がわかりました。モラレスもパーチクのこと、好きでいてくれるから、それがうれしくてわたしもモラレスが好きなんだなって。よし!
「パーチクとわたし、いつもちゅうくらいしてるよ。ひとの前だとはずかしいの。わらっちゃう」
「そ、そうだよ、モラレス、こんなとこでできないよ。ホラ、ぼくの顔、まっかになちゃったよ…」
モラレスはパーチクの頭をまたクシャクシャッとしてから、にこにこしていいました。
「ああ、そうだよな、ごめんな、おれとしたことが、ついよっぱらって調子にのっちゃった。なんかよう、パーチクがおれの子みたいな気がしちゃってなあ、やっぱもうろくしたなあ」
ネーコはにっこりすると、モラレスに片目をつぶってみせてから、いきなりパーチクの顔をだきよせて、ちゅ。
「こんなふうにしてるんだよ」
モラレスは大喜び。
「あははは、そうかそうか、うらやましいナ!これからもケンカするなよ」
「しないよ。わたし、パーチク愛してる」
パーチクはまっかになってキュウリをかじりはじめました。
「あはははは、いいこだネーコは」
ご機嫌でよっぱらったモラレスをささえて、ネーコとパーチクは彼を家まで送ってゆきます。
「もう、ネーコもモラレスも飲みすぎだよ!」
「お前がいて、たのしかったんよ。ごめんなあ」
「わたし、そんなにのんでないもん。あははは」
「もう、それが飲みすぎてる証拠だよ…でも、モラレス、」
「なんだあ?」
「きょうはたのしかった。ありがとね」
「なんだいいきなり、まるで…」
「まるで?」
「いいや、なんでもねえ」
ネーコはなんでモラレスは言いかけてやめたのかな?っておもいましたけど、酔っぱらっていたから考えはとりとめもなくほかの方にいってしまい、気がつくと宿屋のベッドでさしこむ朝日をながめていたのでした。
「おはよう、ネーコ。水のむ?」
パーチクもおきぬけのボサボサ頭で、水差しからコップに水をくんで飲んでいるところでした。
きいろい朝の光がまぶしくパーチクを照らして、パーチクの姿は光の中にいまにも溶けてなくなりそう。
本当に溶けてなくなっちゃうような気がしたので、ネーコはあわててベッドから降り、パーチクのそばへいきました。起きあがると、ネーコの目の高さよりもパーチクの方が低くなったので、パーチクはもう光ってはいなくて、ネーコをみあげながらコップをさしだしてくれています。
「あ、ありがと…」
寝ぼけてあわてたのが恥ずかしくて、でもパーチクにはばれなかったかな、なんて思いながら水を飲みました。おいしい。パーチクにコップを返しました。
「あたま、ぼさぼさだよ」
消えそうでないことを確かめるために、コップをもっていないほうの手でパーチクのボサボサな頭をなでつけてあげました。うん、ちゃんといる!消えないね。
「二日酔いにはなってないね。朝ご飯たべたら、すぐにでかけよう」
「うん」
宿で出された朝ご飯をたべて、二人は村の外れからはじまっている森の中へとはいってゆきました。
ネーコは鼻をひくひくさせました。
「おちつくかんじがするね。土がいいにおい」
「いわれてみるとそうだね。この森の土は、ネーコがいた森とも、ほかの森とも違うにおいがするね。おちつくのはぼくがここで育ったからなのかと思ってた」
森といっても木はそんなに多くなく、ところどころに草の茂る空き地があり、緑の下生えがあって、花さえ咲いていました。遠くで鳥の声。木の実の落ちる音、そして二人が積もった落ち葉や枝をふみわける音がきこえます。心がなぜかほっと落ちつくのは、風に木々がゆれるやさしい音のせいでしょうか。木や草の少ない場所のつながりでなんとなく道のようなものができていて、パーチクたちはそれにそって進みました。
「あのころと、そんなに変わってない。そこの木も、(ほら、大きなこぶがあるやつ)ちょっと太くなった気がするけど、むかしのままだ。ここに突き出てるでっかい根っこも。村はあんなに変わっちゃったけど、森は変わらない」
パーチクの声はうきうきしています。ネーコもなんとなく心がときめいています。手をのばして、先をゆくパーチクの手をつかまえました。パーチクはビックリした顔をして、でも、その手をにぎり返したままネーコの手を引いて進みはじめました。
がさがさと進んでゆきました。ネーコはまわりをキョロキョロながめながら手を引かれてゆきます。
「ここ、なんか、来たことある。みおぼえがある」そう思いました。口にださなかったのは、いま前を歩きながら、いろいろな思い出を語ってるパーチクが、いつか草を食べたときみたいにまた困ってしまうと思ったから。
そうそう、そこで横にのびた大枝があって、それをくぐって、あ、あのおおきいモミの木は枯れちゃったのか…なんて思いながらどんどん森の奥へ。
「ここだ!」
パーチクが立ち止まり、ネーコにはもうここがどんな場所なのかはっきりとわかっていました。夢の中で小さな二人がちゅっとしたあの場所。ちょっとした森の空き地。まわりを取り囲む木々も顔ぶれはほとんど同じで、フェリシアが小馬をのりいれてきたところの、双子の門のような二本の木もそのまま。モラレスもまぜて三人で腰かけた平べったい岩もそのまま。
ネーコはフェリシアとして、この場所のすべてを覚えていました。すべてを覚えていたから、なつかしくて、パーチクの手をにぎったまま、そのまましばらくボオッと立っていました。この森の土と葉の香りがなつかしいのは、わたしが本当になつかしいからだったんだ…
パーチクはそのまま空き地のはしに歩いてゆき、茂っている草をかきわけました。人の頭ほどの、小さな石がありました。
「…ここだ…」
しゃがむと、石のまわりの草を抜きはじめました。だまったまま。抜いてはわきにほうりなげ、また抜いて・・ネーコもだまってそれを手伝いました。やがて、十歩あるいたくらいの広さに、土の地肌があらわになりました。
パーチクはいままでしていた草取りのせいで肩で息をしながら、石の前にひざまづきました。
「フェリシア!ぼく、帰ってきたよ。ぼく、決心できたよ。これからぼく、きみと話をする。きみにぼくのことわかってもらう!きみは怒りを解かないかもしれないけれど、それでもぼく、きみと話しあわなきゃならない。そう、きみにぼくの心を見せなきゃいけない!」
たちあがりました。それから何歩かあとじさって、かがみ、しばらく目をつぶって心をととのえると、土の上にフェリシアの絵を描きました。いままでで一番のでき。一歩下がってネーコをふり返り、思いつめた顔でネーコにたのみました。はじめて修道士の家でネーコにたのんだときのように。
「これからフェリシアの面影をよびだす。歌って、おねがい。ネーコ」
ネーコは、ああ、パーチク、本気なんだなって思いながら手琴をかかえました。
「いいよ、パーチク、いつでもよびだしていいよ」
パーチクは一歩下がって小さなからだをせいいっぱいのばし、つま先立って、両手を高くさしあげ、フェリシアの墓にむかって叫ぶように唱えました。
「われ、いまよりここに
死人と生者の誓いを立てん!
死人の国の大地から、過去の記憶を呼び寄せん。
若き女の記憶より
古き器をかたどらん。
死せる泥土の世界に願う!
死人の国のあなたに願う!
面影を貸したまえ!
この土に貸したまえ!
我が懐かしの面影をっ!
フェリシアーッ!」
フェリシアを埋めた黄色い土の地肌が、だんだんに色を失い、気がつくと光を吸い込んで、そこからとても暗い色の、人の形をした「面影」がおきあがりはじめたので、ネーコはリズムを見計らって手琴をつまびきはじめました。歌はこれまでとまったくちがうものでした。ネーコはいま、本当の魂魄のリズムをみつけたんです。魂魄の秘密を。カルメンにもらったリズムの活かしかたをみつけたんです。
しずめるきおくの
しずめるたまよ、
いまこそおどれ
われらがために、
いまこそうたえ、
わがうたにあわせ
たいだのなかより
おどり来よ。
ここな面影をかり、
生者の姿を我らが前に。
我今汝と、
生者の会話の橋とならん
語れよ死人
きけよ死人
この庭にて語らい!
この庭にて語らえ!
パーチクの呼び出した面影は、暗い、よく見えない人型の影からネーコの歌に合わせるように光を取り戻しはじめ、もとの土の色に変わってゆきました。面影は、その土の色をのぞけば姿かたちはネーコにそっくりです。でも、よく見ると耳も手も人間のもの。だからネーコではありません。
ネーコは、フェリシアの魂を呼び出せたと思いました。これはフェリシアにまちがいない。やったよ!パーチク!パーチクの願い、かなったよ!パーチクもついに成功したことがわかったみたい。ネーコをふり返った顔は、喜びで輝いていました。
墓から呼びだされたフェリシアは、目を閉じたまま、だるそうにたたずんでいます。
「ああ、フェリシア、ぼくだよ。パーチクだよ!フェリシア!」
パーチクは、われを忘れて叫びました。八十年あまり待ちつづけた瞬間が、いま、ようやくきたのですから。
ネーコはパーチクに注意します。
「だめだよ、パーチク、魂魄には、魂魄の言葉で話しかけなきゃ、フェリシアにはパーチクの声は聞こえてないんだよ!」
いいながら後ろからパーチクの肩をおさえました。
「う、うん、そうだったね、…」声をひそめて、「どう話せばいいの?」魂魄については、いまではネーコの方がくわしいんです。
「わたしが、パーチクの話したいことを、魂魄の言葉に変えてあげるよ。なにを話したいの?」
パーチクはつばをのみこみ、それからあわてて言いました。
「ぼくがパーチクで、フェリシアに会いにここまできたこと。カミュのことで、話し合いたいこと。それから…」
小さな声で、もじもじと、「ずっと愛してるって」
ネーコは息をのみました。パーチクが愛していたのは、やっぱりただひとり、フェリシアだけだった!パーチクにとって、ネーコはただの面影にすぎなかった!フェリシアを呼びだすためだけの!恐れていた事実がいきなり目の前にあらわになったのです。胸が、せつなく締めつけられるような気がして、頭の中が…
ネーコはそのまま気を失い、手琴をかかえたまま草の中にたおれました。
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