20. そしてネーコは・・・

  君の思うこと、
  ぼく、感じられた。
  なんてすてき!


 
 パーチクの、いまはもう、ただの土に還ってしまった身体のあとを前にひざをついて、ネーコはぼんやりしています。
 「パーチク…」
 パーチクだった土の中に手を差し入れてみました。土は湿って、重たく、あたたかく、ネーコの手をおさえつけます。まるでにぎり返してきているみたい。
 「のろい、解けちゃったんだね…フェリシアと、仲直りできたんだね…」
 ぽっかりと、心にぽっかりとまっしろなところができてしまったみたいです。
 「…」
 ぼんやり。
 ネーコはそうして、しばらくのあいだ、パーチクだった土の山に手を差し込んだまま少し首をかしげて、すわりこんだかっこうでうつむいていました。森のかさなりあった木の葉のすき間から、ほんのわずかに差し込むことを許された日の光が、ネーコのオレンジ色の柔らかい髪を優しくなでました。こうたずねるように。
 「どうするの?ネーコ?これから。あなたは猫でもなきゃ、人でもない。守ってくれる人もない。守るべき人もいない…」
 でもネーコは、なんにも考えることができないでいました。ふつう、人間以外の生き物は、明日の心配なんてしないで毎日を精いっぱい生きているものですから。いま、この瞬間、パーチクがいなくなっちゃったってことを受け入れることでせいいっぱいだったものですから。
 「こうして、ずうっと、パーチクのあったかさを感じたまま、いつまでもこうしてたいな…」
 どうやら、ネーコは現実逃避という、かんたんそうでいて、実はとても危険な迷路にふみこもうとしているようです。
 日が、いつのまにかかげってきました。そうして、ネーコにとって幸いなことに、ぼくたち怠惰でいることのできない生者の証し、空腹がやってきました。
 ぐうう…
 おなかが鳴ると、ネーコの考えも生きることの方に向かざるをえません。
 「パーチクの袋に、なんか入ってたな…」
 土の塊から手を抜くと、パーチクの持っていたずた袋をひきよせ、なかをさぐってみました。
 「あ、干し肉だ…」
 土まみれの手で口に入れて、ゆっくり、もぐもぐかみはじめました。いつだったか、そうだったように、干し肉は口の中で塩辛くほぐれて、舌の上に香ばしく広がりました。
 「ゆっくりゆっくりかむんだよね、こうやって、もぐもぐ…」どこかで聞いたような…
 「うぐしゅっ!」
 これは唐突なしゃくりあげの音です。声にならないおえつの発作です。
 悲しみがあまりにも突然おそってきたので、ネーコは踏みこたえることもできずに、その場につっぷして、背中を震わせて、声を上げて泣きはじめました。
 「ひどいよパーチク!ひどいよ!わたし一人ぽっちだよお!…パーチク、自分だけしあわせになって、わたしはこんな気持ちなんて、…
 こんな気持ちにするなんて、…ひどいよお!…」
 ネーコの非難はもっともです。パーチク!聞いてますか?…おっと、語り手は語ることしか許されていません…でも…
 でも、悲しくて悲しくて、苦しくて苦しいとき、あなたはどうしますか?
 語り手のぼくが知っている、こういうときのいちばんの方法は、そう、疲れるまで、疲れきって、なんで泣いてるのか、なにを苦しんでるのかがわからなくなるまで、一度に徹底的に泣くことです。徹底的に苦しむことです。そうすると、あるとき、ある瞬間に、ぱっと、答えは出てくるものです。


 小さな子供が泣き疲れて眠るのとまったくおなじふうに、ネーコもいつのまにか、夜になった森の中で、パーチクだった土の山を抱えるようにして眠り込んでしまいました。
 ネーコは純真な分、ぼくたちより素直に、徹底的に悲しみを悲しみきることができたみたいです。体力の限界を超えることもなく…
 …
 「…ネーコ、ネーコ、聞こえる?わたし、フェリシア。ごめんね、わたしもパーチクも、あなたのことなんかまるで考えてなかったわ。でもそれじゃあいけないのよね。わたしはあなたの部分でもあることだし、あなたがそうやって悲しむと、わたし、怠惰でいられなくなっちゃう」
 「あ、フェリシアの声だ!じゃあ、そこにパーチクもいるんだね?パーチク!」
 「ちがうの。わたしはあなたの怠惰の部分としてあなたの心にひっかかっているから、あなたがいちばん怠惰でいるときに、眠ってるときにだけあなたと話せるの。パーチクはあなたの心とはまるで無関係だから、会うことはできないの」
 「どうして?どうしてパーチクとわたしが無関係なの?いっぱい関係あったよ!人間にされたよ!ちゅってしてくれたよ!フェリシアともちゅってしたことあるくせに!フェリシアだってそれでパーチクのこと、いじめたくせに!関係ないわけないじゃない!」つっかかってゆきました。
 「う…た、確かにちゅってしたことはあるけど…こっちの世界は、そっちとちょっとルールがちがってて、その、ちゅっとかはあんまり意味のないことなのよね。パーチクはいま、ちゅうのことなんかきれいに忘れて、とっても安らかにしてるわ。それが怠惰。あなたのことも、わたしのことも忘れて、というより、なにも感じなくなって」
 「そんなの、わたしわかんない!」
 ネーコはだだこね攻撃に出ました。フェリシアがネーコをふびんに思っていることを感じたので、それに乗じてなんとか自分の中のフェリシアをパーチクに結びつけようと思ったから。
 「うう〜ん、わたしだってなんとかしてあげたいけど、世界が違うからねえ…それにしても、なんであなた、パーチクが消えても猫に戻らないのかしら?」
 「パーチクが好きだからだよ。きっと、パーチクもわたしのこと好きだからだよ」
 ネーコは自分で信じていることを素直に口にしました。
 「そうね、そうじゃなきゃ、パーチクの怠惰じゃない部分が残らないわよね。ということは、かれ、わたしのことも…まだ…」
 急にフェリシアの声が、うきうきしたような響きを帯びたのです。
 「それから、わたしも!わたしも…まだ…!」
 ちょっとはずかしそうに続けます。
 「パーチクと冒険したい…」
 ネーコはうれしくなって、夢中であいづちをうちました。
 「そうでしょ!そうでしょ!フェリシアもそう思うでしょ!わたしもまだまだパーチクと冒険したいの!きっとパーチクもいきたいんだよ!ほんとは!でも、ホラ、そそっかしいから…」
 「わたしと仲直りできたもんだから…」
 「ホッとあんしんしちゃって…つい…」
 「うふふ…」
 「あはは!」
 「思わず怠惰になっちゃったのね!くすくす…じゃあ、三人とも…」
 「ほんとはまだまだ冒険したいんだよ!」
 怠惰なフェリシアは、怠惰でいられない気分になってしまいました。温かい、うきうきした気分。そう、子供のころ、絵本に出てくるような素敵でかっこいい騎士にあこがれて、小馬に乗って、いるはずのない悪者退治に出かけたときの、初めて森の中でパーチクにであったときの、あの新鮮で素敵な夢見がちの気分がよみがえってきたのです。そうして彼女はその気分が、ネーコがいつもパーチクと感じていたときめきと同じものであることに気がついたのでした。
 「そうよ!この気持ち!今度こそ本当にこの気持ちを裏切らないすてきな冒険をしなきゃ!それにはまずパーチクを怠惰の中から無理やりに引っ張りもどさなきゃいけないのよね!それには、ええと…ちょっとまって!…ああ、そう!そっちの世界でこっちの世界とつながりを持てる人を探せばいいのよ!あ、バカね!あなたがその第一人者なんじゃない!」
 「あ、そっか!じゃあ、あのしゅきんを弾いて歌えばいいんだ!さっきフェリシアを呼びだしたみたいに!」
 「それから、パーチクの魂をいれる身体を用意しなきゃ!これは死人使いの仕事だわ!誰か知ってる?」
 「うん、バラキ山のポーラばあさん。パーチクのマブダチだって自分でいってたから、きっとやってくれるよ!」
 「あとは、あなたがいまだっこしてる土の山ね!きっとほかの土よりはいい結果になるわ!」

 「ちちち…」
 鳥の声にネーコが目をさますと、もう、朝がきていて、優しい朝の木漏れ日が彼女の頬をなでていました。
 ネーコはぱっと飛び起きて、きのうまでパーチクだった土をかき集めると、パーチクのずた袋の中に詰め込みはじめました。
 「待っててね、パーチク!またいっしょに旅をしようね!それに、わたしのなかのフェリシアもね、まだパーチクと冒険したいみたいだよ!」
 詰めるだけ土を詰めた袋を抱えると、「百七声の手琴」を背負い、元気よく歩きだしたのです。
 がんばれ!ネーコ。
 

おしまい