マニア?常識?

 2003年のイラクでの戦争で、取材にいった新聞記者が不発弾を持ち帰ろうとして税関で爆発事故を起こすという大変にお粗末かつ無駄な事件がありました。

 日頃反戦平和を訴えていたはずの大新聞社の記者が、なぜに爆弾などというそれこそ戦争の肯定的な記号を持って帰ろうとしたのか、これは考察に値する問題だと思います。おそらく、このひとの動機としては、

1)お土産が欲しかった

 戦争という世紀の大事件に肌でかかわった記念になにか欲しかったという、非常に人情的に理解できる動機。これはだれでもそうでしょう。興奮状態ですし。ただ、なぜ爆弾なのか。現地の新聞とかではダメだったのか・・・

2)爆発しないと本気で思っていた

 これこそが今回の悲劇のもっとも悪魔に魅入られた部分であると思います。

 なぜに国内で太平洋戦争中の50年以上も前の不発弾が発見されるとあれだけ大騒ぎになるのか、なぜ、世界中の元戦乱の地であれだけ地雷処理に困っているのか、地雷禁止条約キャンペーンまで持ち上がるのはなぜなのか・・・戦争という事件を扱うマスメディアに務める者として、反戦平和、地雷禁止キャンペーンなどををうつたえる者として、これらの「なぜ」について知識を持っていることは当然のことと思うのに、そうした知識をこの記者が持ち合わせていた形跡はありません。もっていたら爆弾の形をしたものには近づきもしなかったはず。持っていなかったのでしょう。兵器というものの本質を知ることは「軍事マニアの無駄知識」として軽蔑していたのでしょう。取材してるのは「戦争」なのに・・・

 社の方針として、ただ巨大な米国資本主義に押しつぶされる中東ということだけを伝えるために赴いたのでしょう。反戦ではなく反米。一歩譲って、反戦だとしても、「戦争」という言葉に反対するためだけの「反戦」というスタンスだったのであって、死ぬのはあくまで他人。それも「現地のしいたげられた土民たち」であるという他人事としての認識が彼にはあったのではないでしょうか。

 戦争で人が死ぬということは、果たしてどういうことなのか、理不尽に誰かが死ぬ、大量に死ぬ。それは自分かもしれない、友人、家族かもしれない。いつ死ぬかはわからない。そこには心の平安はない。すがれるものもない。まさに身も心も地獄。さらに戦後には負の遺産、代表的なのが遺棄爆発物。悪夢は尾を引きます。何年も、忘れたあとまで。

 そんな地獄がいやだからこそ人々は反戦を叫び、抑止しようとしているのであって、「戦争」という「言葉」だけを削除しようとしているのではないはず。言葉だけではないなら、自分たちが否定しようとしているもののアウトラインくらいは押さえておくべきだったのかと思います。そういう意味ではこの記者は怠慢であったというべきで、そこに罪があるのでしょう。

 戦争はいやなのに止めることはあきらめている卑怯者のぼくなので、真に戦争を起こすまいと努力する方々の姿勢には頭を下げます。とやかく言われた「人間の盾」だって、実行する人はすごいと思う。言うは易し、行うは難し、ですね。(ただ、彼らが真に人々のためを思うなら、戦争が一段落したあとの復興にこそ力を尽くすべきであるのではないかと思うのですが・・・人々の幸せを祈るなら。またアメリカの暴力への無言の抗議として。戦争終わってそのまま帰ってきちゃったら、やっぱり言葉にたいしてだけの行動なのかな、ゼスチャなのかなと。)

 ところで、言葉といえば、自衛隊って、言葉だけで装備してる感じがしませんか?

 とりあえず戦車、野砲、小銃、機関けん銃(これなんか、「短機関銃」という「言葉」では買ってもらえないから「けん銃」としてごまかしたといわれていますね。しかもこんな底辺の技術力しかいらない製品、わざわざ外国の何倍も高いカネ出して国産にしてるのは「武器商人に飲まされてんじゃないの?」)、高機動車(ハンビーではだめなの?)などという、言葉だけ世界の一般的なレベルで装備してて、その実北海道でしか使えないような無駄にスケールのでかくてコスト高な車両や砲、しかも本体しか買うカネなくて弾はちょっぴりで訓練できず、「国産自給」にこだわっても短期決戦予定の有事には納品が間に合うわけもなく、政治家はとりあえず世界に併せて「PKO」とかいうけど、どんなドクトリンでそれにはどんな装備でという検討はまじめにした形跡がない。たぶん。ちょっと突っ込んだことをいうと、「やつは軍オタ政治家だ!そんなのは官僚の仕事で、政治家というものは瑣末なことは知る必要がないのだ!」などとやっつけられちゃうんでしょうね。でも、欧米の侵略を受けないような国々の政治家って、たとえ革新系でも意外にそういうところの知識も持ってるみたいですよ。それで国情と世界情勢をにらんで適正なものをそろえる。その際に調子づいた官僚が無意味にマニアックな装備を要求してもちゃんとブレーキをかけることができる。あえて必要ないものは外交努力で済ます。足りなきゃバランスのいい外交手腕でよそから買う。技術官僚(軍人)との会話には適切な深度の専門用語が最低限さらりとでる。ううん、うらやましい。日本の野党は言葉にだけ反対するから、採決済んじゃうともうどうでも良くなってる。そのあとでむだな予算が流れっぱなしになるという問題意識がない。なんのために反対しているのか、国民の幸福のためではないのか。あとは役所の内輪の監査頼み・・・

 われわれは日常生活でも言葉の響きだけで物事を決めがちです。美しい言葉が、うまいコピーが、本当にその響き分の価値のあるものなのか、また、その言葉を使うだけの知識が果たして自分にあるのか時には考えることも無駄ではないと思います。「感傷的な歌」で食えるのはレコード産業の関係者だけ。しかも彼らもそれを売るために日々熾烈な「戦争」で生きているのです。ちなみに、ケンカは歌では止められません。ただ腕力と気迫に頼るか、警察権力の介入に頼るべき。歌でとめられる才能がある人は、ぜひ紛争地帯へ歌いに行くべきです。そういう人こそ、世界がもとめる人だと思いますよ。まじで。

 ちょっとまじめにねちねちしてみたけど、理想とおつむのギャップが・・・越えられない壁なのね・・・わらってくらさい・・・

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