花折峠の邂逅


三橋節子「花折峠」

「寝たきり関白」中野隆夫氏はかつて滋賀県の同人誌に作品を出してみないかと勧められ、奥方と相談してご近所の書店ホロホロ堂で地図を求め、琵琶湖の西に「花折峠」という美しい地名をみつけ、これをもとに民話風の物語を創作し発表した。

新進日本画家三橋節子氏はガンのため利き腕である右腕を失くしたばかりであったが、驚くべき努力でその困難を克服し、近江にまつわる伝説民話を題材に創作を続けていた。中野氏のこの物語に接した彼女はそれをまったく近江に伝わる民話と考えて、これをモチーフに渾身の力を振り絞って100号の大作【花折峠】を描き上げた。やがて彼女は肺転移のため35歳で帰らぬ人となった。

一面の花ばたけ、中央に横たわる(流される)少女、そしてその枕元に花を頭に載せて立つ小さな少女・・・斯界の絶賛を浴びたこの絵を評して梅原猛氏は、「彼女が自らに捧げた花の涅槃図であり、もう一面では花売り娘に起きたような(蘇りの)奇蹟を祈願する意味をもっていた」と述べられた。

三橋画伯は生前に中野隆夫氏の存在を知ることはなかったのだが、後になって二人の“出会”いを実現させたのは思文閣であった。正確には三橋画伯の夫(同じく日本画家)の鈴木靖将氏と中野氏が思文閣を通じて互いの存在を知り合い、以後両氏の心暖まる交流が続いたのである。

中野隆夫氏自身は花折峠は行ったことも見たこともなかったのだが、後年鈴木氏に招かれて実際に花折峠を訪れた際、「頭の中で描いていたとうりだ」と興奮した面持ちで語られたいう。

*なお、三橋節子(みつはしせつこ)氏、鈴木靖将(すずきやすまさ)氏については数
多くのホームページが上梓されているので、YAHOO等でご検索の上、ご参照下さい。

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