思い出の上高地ベースキャンプ(BC)
80年記念事業の際に収集した資料から古幡開太郎(22回卒)先輩が記したものを参考に、BCの歴史について紹介します。
誤っているところや、詳しい事情(思い出)等を事務局あてお寄せいただければ幸いです。
初代テント
昭和初期、おそらく昭和4・5年にダブルの大テント二張を上高地に張ったのが最初で、大学山岳部に先駆けて張った学校山岳部最初のBCであると思われる。
第2代テント
昭和9年(1934年)に絹のテントを新調。さぞ自慢のテントであったであろう。
第3代テント
昭和12年(1937年)購入、県下随一の50人用の大テント、「雷鳥」という名で呼ばれたフライシートつきのテント。
このテントは上高地に毎年7月20日から8月末日まで常設されたが、一時期は中房温泉に張られた時代もあったという。
残念ながら戦時中の混乱で散逸し、昭和20年には他の装備・写真等の資料とともに姿を消してしまった。
戦後しばらくの間はBCがどのような状態だったかは不明。
第4代テント
OBのはからいで、米軍放出の八角錐刑テントを入手、昭和30年代までBCとして活用されていた。顧問小野朋士先生の記録によれば、テントの中には薪ストーブがあり天辺の空気抜けは下にいて開閉できる本格的なものであったとある。小生の父も山岳部でこのテントにお世話になった話を聞いたことがある。
第5代テント
昭和40年(1965年)、黄色いテントがOB会から寄贈された。鉄骨ではなくポール式のテントで「OB天」と呼ばれていた。
第6代テント
学校側のはからいで、同型の白いテントが作られ、OBテントとともに二張りのテントが上高地に張られた。
30回卒の小生が現役当時の1976年頃には、この白いテント(古くて白とは言えなかったが)とOB天の二張り設営していたが、OB天は台風で破損し設営しなくなった。
第7代テント
昭和53(1978)年頃(小生の記憶があやふやです)、当時顧問をされていた渡会意士先生を中心に深志10回生より黄色いテントを寄贈したいただく(80年記念誌の古幡開太郎氏の文では「白いテント」となっているが)。
第8代テント
昭和61年(1986年)、当時顧問の小野朋士先生により設計され、松中57回生卒業50周年記念として黄色いテントが寄贈された。
1995年頃より、諸事情により現役BCキーパーが常駐できなくなる。
第9代テント
平成12年(2000年)、小梨平に大型のテント設営が難しくなりOB会で小型(14人用)テントを購入し寄贈する。フライシートに往年の大テント「雷鳥」の名を刻む。
しかしこのテントも平成15年までの短命に終わる。アルプス観光(株)より設営自粛依頼(というよりは厳しい通達)があり、現在に至っている。
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