さよなら さくら組

 

辞めるに当たって、思い出などをフランクに語りましょう。

1.はじめに

 思えば俺の30代は演劇と共にあり、演劇の殆ど全てはさくら組であった。

 始めた時、深く考えて無かった。
 劇の中身はかっこよければいいと思っていたし、楽しければいいと
 思っていたし、活動自体、すぐ止める気も無かったけれど長く続ける気も
 無かった。だからこそ長く続いたのかもしれないが。

 改めて考えると、現時点で設立から9年半。14回の公演で出演者は
 37人、スタッフも30人以上。 産業文化会館、エネルギーホール、
 長岡リリックホール、柏崎市民会館、閻魔市、いろんな所でやったし、
 ラジオドラマも2回やった。何か、意外と実績ができたねえ。

 その全てを俺が仕切った訳じゃないけれど、全ての公演で大なり小なり
 関係してきた。


2.やってきた事

 さくらは存在意義があったのだろうか。
 やってきた人に対する存在意義は別として、外部から見て。

 柏崎の他の劇団との色分けは明確に成されていた、と思う。
 方向性としては、若者志向、ライト感覚、笑い、素人志向、みたいな所かな。 
 県内の他の劇団との差別化、はどうかな。
 脚本、演出、演技、舞台、音響、照明・・・技術レベルとしては・・・
 当然ベストとは言えないね。
 まあ、比較のためにやってる訳じゃないけど、認識はしている。

 公演の中身としても、毎回毎回反省はありますね。
 演劇の方法論についてもっと勉強しておけば良かったかなとか。 
 勉強して、果たして公演の影響に結果が出たか?というと、わからないけれど。
 基礎練もやれるだけはやったつもりだったが、やれるだけ、ってのが
 チャランポランな「やれるだけ」だった気もする。
 所詮素人だから、エネルギーとアイデアで勝負、って感じもするし。
(どっちも不足だったかな)

 あと、巧くなかったな、という反省としては、運営、裏作業がね。
 任せれば良かった部分を任せずに自分でなんでもやってしまった、と言う
 のは、任せた結果を考えると、しかたが無かった部分でもあり、また俺が
 やりたいようにやった、わがままだった、という部分でもある。 
 まあ、さくらの最初のコンセプトが、「劇団」じゃなくて「プロジェクト」
 だったから、結局各公演を仕切る人間の個性と努力で変わるのは仕方が
 無かったかもしれないけれど。

 現実的な制約(ヒト、時間、金、才能)なんて物は、もう、掃いて捨てるほど
 有ったけれど、自分としてはやっていて、充実はしていたと思う。
 何かできないか、とか、その中でもかっこいい事やれないかとか、試行錯誤しながら
 やれる、という事は喜びであった。 負担に感じた部分も大きくあったが、それも結局
 充実していた時間が過ごせた、とは言えるだろう。
 自分、という物が、総合芸術である、演劇の中で、充分発揮できたと思う。

 まあ、正直、俺がやってきた事が「演劇」だったかというと、多少疑問は残る。
 「イベント」「公演」「遊び場」が目的でその手段が「演劇」だったかな。

 演劇と言うメディアにも、始めた時は全くこだわっていなかった、むしろ最初は
 慣れていない分、不自由に感じていた。でも、何年かやってきて、さすがに愛着が
 湧いてきたし、作品を作るにあたっての方法論についても、やっとノウハウが
 掴めたかな、という感じもある。
 ここで辞めるのももったいない、と言う気もする。
 ただ、それが発揮できないなら、結局、倉庫にしまわれた自動車と同じ。
 ただの場所ふさぎでしかない。


3.辞めるにあたって

 沢山の人達に協力をしてもらったのに、自分がやれなくなったら
 勝手にやめる、と言うのは身勝手だよね。
 すみません。
  
 前の劇団を辞めた時の理由は「やりたい活動」と「人との繋がり」
 の両方が俺と劇団の間で大きなミスマッチを起こしていたためだった。
 どちらか繋がっていればよかったが、どちらも駄目だった。

 今回は、どちらもそれほど大きなミスマッチは無かった。少なくとも
 直接原因としては。
 辞める理由、を揚げ連ねてみればは沢山ある。でもそれは単なる、
 細かい事の積み重ねだ。最大の要因は俺の情熱が無くなったせいかな。
 細かいミスマッチを埋めるための情熱が無くなり、続けていく大きな
 意義が感じられなくなってしまった。

 まあ、だらだらと在籍していても、居心地はいいし、またやりたい事が
 できたら、またやればいいし、面倒な仕事は人にやって貰って、なんて
 気軽なスタンスで今までどおりいても良かったのだが。

 だが、自分が長く、深くかかわってきたいたおかげで、さくらというカタチ
 にも愛着が湧いていたので、そんなダラけた状態には、ちょっと納得
 できなくなっていた。
 また、なまじ目が肥えてきているから、実行できもしないアドバイスを
 投げつけて自己満足している批評家にもなりそうだったし、そんなのは嫌だし。

 辞めてから分かったが、結構つらい。
 築いてきた自分の居場所が無くなり、何かをやれる土俵も無くなった、
 と言う事は、予想以上にさびしい物だった。
 でも、状況から今までどおりにはやって行けないのも事実だし、
 慣れるしかないね。

 沢山の人たちに支えられて、活動を続けられた事を、今は感謝するのみです。

 心残りと言えば、もう1回、パーっと一発派手に公演をやって引退
 したかったねえ。
 懸案だったダンスもやれんかったし。(青空位だったなあ)


4.最後に言っておきたいこと

○ご来場してくださったお客様に。
 つたない芝居を見てくださってありがとうございました。

○今まで協力してくださった皆さんに。
 ありがとうございました。 皆さんのおかげで充実した30代でした。
 皆さんも楽しんでいただけましたか?

○今活動している皆さんに。
 「私生活に流されないで日々積み重ねていく努力」
 「細かいニュアンスをおろそかにしない几帳面さ」
 「失敗を恐れずに新しい事にチャレンジするエネルギー」
 これを持ってやっていってくれるといい物ができると思う。
 製作にあたっては、
 「役者、スタッフ、お互いの存在を認め合い、尊重し合って。
 でも馴れ合わないで。」
 そんな所かな。


最後にもう一度言おう。

さよなら さくら組。


⇒ 初代組長へ捧ぐ に戻る