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■マガジンタイトル 【僕らはみんな生きている!】
■発行周期 週刊(水曜日発行)
■内容 五十代からが人生楽しい! そんな私自身の生き方をテーマに、
興味津々のアンテナでキャッチしたホットな話題、読んだ本、見た映画、
懐かしい思い出など、感じたこと考えたことなどを、心に残るエッセイで
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   ◇◇◇◇◇◆武子のエッセイ&コラムマガジン◆◇◇◇◇◇

【僕らはみんな生きている!】

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         今週のお題   「いただきます考」

私の生まれ育った地は福岡県南部の筑後平野のど真ん中。米作りが盛ん
で造り酒屋も多い。そこで戦後のベビーブーム時代に生まれた私には、
ご馳走に関して忘れられない思い出がある。

毎年正月と旧盆の食卓には必ずご馳走が並んだ。骨付きの鶏肉を使って
作る「ガメ煮」だ。たいていの家では卵を取るために鶏を飼っていた。
当時新鮮な卵は貴重な食材であり、祝い事があると親鶏も食材になった。

ガメ煮をこしらえるのは母や祖母の役目だったが、十羽ほど飼っていた
鶏の中から、卵を産まなくなった一羽を選んで屠殺するのは父の役目だ
った。

父はいつも納屋のむき出しの梁に長いロープを掛けた。首が締まりバタ
バタと暴れながらやがて動かなくなる鶏の様子を、子供の私はいつも胸
をドキドキさせて隠れるように見ていたものだ。

あとは鶏に熱湯をかけて子供達も羽根むしりを手伝い、手際よく父が捌
(さば)いていく。解剖され肉や肝や砂肝などに分けられる内蔵を、父
は一つひとつ目の前で名前を教えてくれたものだ。それからは母や祖母
の出番で、鶏は皮から骨まで一つの無駄もなく調理されていく。

私がそんなことを思い出したのは、最近、大学生の研修レポートを読む
機会に恵まれたからだ。講義の一環としてタイの農場や少数民族の家に
ホームステイしながら農作業を体験する、そのコースを終えて書かれた
レポートだ。

タイ奥地に住む少数民族の村に1泊のホームステイをする学生達を、村
人は総出で温かく歓迎しご馳走の準備をしてくれる。高地で焼き畑など
をして生計を立てる彼らは、年に一度のお祭りの日だけしか食べないと
いう貴重な豚を、日本から来た客のためにご馳走しようというのだ。

一匹の豚が選ばれ、屠殺され、解体され、調理され、食卓に上るまでゆ
うに2時間はかかる。その一部始終を目の当たりにした学生達は、少な
からぬショックと感動を味わったようだ。別の農場でもカレーを作るの
に何羽もの鶏がやはり屠殺され、タイの高校生たちが慣れた手つきで捌
くのを日本の学生達は感心して見ている。

そうやって出された夕食を、ある学生は今までの人生で最高の感動的な
食事だったと書いている。肉のひとかけらも残せないねと、友人と話し
ながらいただいたと書いた学生もいる。5分も歩いてお金さえ出せば食
べ物にありつける日本での生活。その対極にあるスーパーもコンビニも
ないタイの農村での生活体験は、貴重といえる以上の何かを多くの学生
達に与えたようだ。

そこでは「食べる」という人間生存の根本的な行動が、自分たちで育て
た野菜や家畜の命と引き替えに成り立っている原則を、何の隠し立ても
なく、そのまま見せてくれたのだ。「食べる」つまり「生きていく」た
めに学校にも行かず親の農作業を手伝う少数民族の子供や、寮生活をし
ながら農業技術を学ぶ高校生達の姿を、大地にしっかり足を踏まえて逞
しく生きる意欲に満ちあふれていたと、ある学生はまぶしく見つめた。
それは今の自分に一番欠けていたものだと。

今の日本のように物が溢れ、生存の危機に乏しい環境では、この学生達
のように「食べる」ことの大変さについて生々しい体験をすることは難
しい。

私の子供の頃のあの体験も、日本が高度成長期にさしかかった頃、突然
終わりを告げた。父が屠殺を止めたのだ。近所に肉屋さんが開店したこ
ともあったのだろう。どうして?と問うた私に、父は「もう戦争の時代
でもないし、鶏であっても殺生を見るのはもう嫌だ」と答えた。父の鮮
明な思い出の一つだ。

ところで日本には食事の前に神様にお祈りをする習慣はほとんどないが、
「いただきます」と幼児期からしつけられる習慣がある。この「いただ
きます」とは、私の生存のために植物や動物の命を「いただきます」と
いう意味だという。

つい40年ほど前まで、日本は食料難の時代だった。栄養失調という言
葉も生きていた。どんな山間地でも棚田を作って食糧を確保してきた先
人達のご苦労と、食べられることへの感謝の気持ちは、手を合わせ「い
ただきます」と発音する言葉の中に込められているように思えてならない。

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