ロータリークラブの誕生
20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、商業道徳の欠如が目につくようになっていました。
ちょうどそのころ、ここに事務所を構えていた青年弁護士ポール・ハリスはこの風潮に堪えかね、友人3人と語らって、お互いに信頼のできる公正な取引をし、仕事上の付き合いがそのまま親友関係にまで発展するような仲間を増やしたい、という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。ロータリーとは集会を各自の事務所持ち回りで順番に開くことから名付けられたものです。
こうして1905年2月23日にシカゴロータリークラブが誕生しました。
それからは志を同じくするクラブが、つぎつぎ各地に生まれ、国境を超えて、今では世界214か国(2011年5月現在)の地域に広がり、34,164のクラブ数、会員総数1,223,083人(2011年5月31日RI公式発表)に達しています。
そして、これら世界中のクラブの連合体を国際ロータリーと称します。
このように、歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、ロータリーは世界に眼を開いて、幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって多大の貢献をしています。
RI統計資料より
日本のロータリークラブの歩み
日本のロータリークラブは、1920年(大正9年)10月、その頃の三井銀行重役米山梅吉氏が、国際ロータリーから委任されて、東京に設立したのがはじまりで、世界で855番目のクラブでありました。続いて1922年大阪、次に神戸、名古屋、京都、横浜に、また当時日本の統治下にあった朝鮮、台湾、さらに満州国にも設立され、昭和15年には48クラブ、2,000名の会員を数えるまでになりました。
ところが太平洋戦争直前の昭和15年には国際団体に対する圧力がロータリーにもおよび、ついに日本のロータリーは国際ロータリーから一時脱退しなければならなくなりましたが、戦時下にあってもその精神と組織は失われず、例会は続けられ、戦後の平和回復とともに、国際復帰を目指す努力が実って、1949年(昭和24年)3月、東京、大阪をはじめ7クラブが国際ロータリー復帰を認められました。
以来めざましい進展をつづけ、北は稚内、南は沖縄、サイパン、グアム、ミクロネシア、マリアナまで実にクラブ数は2,300を超え会員数約9万名余に達しています。現在なお、日本のすべての都市、すべての町にクラブができるよう努力が続けられています。
これは、すべての会員が、住みよい世の中を目指してロータリーの奉仕の理想を広めようとの、強い願いのあらわれにほかなりません。
現在日本の会員数はアメリカ、インドに次いで世界第3位であり、ロータリー財団への寄付額もトップレベルで、大きな貢献を果たしています。
2011年5月現在 RI統計資料より


