名医が語る健康と医療のはなし

佐藤武男さん
〈大阪府立成人病センター名誉総長〉

大正十四年大阪生まれて大阪高校卒。大阪大学医学部卒。大阪大学助教授、熊本大学教授 、大阪府立成人病センター院長総長を経て、現在名誉総長。

五十歳以上・男子・ヘビースモーカーは要注意
声枯れがニカ月続けば必らず専門医の検査を
早期発見すれば放射線療法で百%治癒 全摘手術しても、食道発声法、人工喉頭で言声を
人間が人間であるしるしの一つは言語。この言語の源を襲うのが喉頭ガンです。喉頭ガンの日本的、世界的権威である佐藤武男先生にうかがいました。

喉頭ガンは日本では大阪、世界ではフランスが多い

――佐藤先生は、喉頭ガンでは、世界最高の治癒成績をあげておられるとお聞きしていますが……。
佐藤 直接治療した患者は三十年間で三千名。少なくとも数では世界一でしょう。と言うのも、日本中で大阪が喉頭ガンが一番多く、その文化風土が喉頭ガンの発ガン要因にピッタリなのです。

――それはどういうことですか。
佐藤 御存知のように大阪は、近世において封建制度をもろに受けていませんね。町人文化を中心にお上をこわがらない、どちらかというとお上をなめているところがある。日本全国から商売の好きな人が集ってきて、アクティブな生活態度が主流になる。大声でよくしゃべる、生活は不規則、タバコはのむ、酒は飲む、ワンマン的。ところがこういう生活態度は喉頭ガンを引き起す最大の母地なのです。世界的にみるとラテン民族、特にフランス人が多いのです。彼等は水の代りに朝から赤ぶどう酒を飲み、タバコを喫い、歌と音楽を好み、性格的にも外向的、享楽的です。やはり大阪人と共通したところがあるのです。大阪は非常に優れた独自の文化をもっているのですが、それがまた喉頭ガンの母地であるということは残念なことです。

――喉頭というのはどこにあって、どういう機能をもっているのですか。
佐藤 喉頭は呼吸と発声という二つの機能に深く関係しています。喉頭の断面を見ると、左右の壁から二枚のひだが張り出していて、これが声帯です。呼吸をしている時にはこの二枚の声帯の間の門(声門)は開いていて、声を出す時には、ぴったり閉じられています。声門の部分は全開していても気管の半分くらいしか開かず、ガンなどの病気が起こりやすいのです。

――喉頭ガンの原因は……。
佐藤 まず年をとること。五十歳以上の人が九十五%を占めています。次に大声を出すこと。性別では、男性に圧倒的に多く、十対一でほとんどが男性で、これは男性の生活態度が外向的、活発で、声帯を酷使するためと考えられ、女性でも男性的性格で外向的、活動的な人が喉頭ガンにかかりやすくなります。第二に、喫煙。喉頭ガン患者の喫煙率は九十七・七%、非喫煙者はわずか二・三%です。喫煙量の表現法にブリンクマン指数というのがあります。これは、(一日の喫煙本数)×(喫煙年数)で示され、たとえば一日三〇本を三〇年間喫煙すれば、ブリンクマン指数は九百となります。喉頭ガン患者の平均ブリンクマン指数は千で、六百を超えると喉頭ガンの危険性がかなり高いということになります。

――タバコをのむと喉頭はどんな風になるのですか。
佐藤 喉頭の声帯の上下は、線毛上皮といって、毛がはえた粘膜になっていて、たんなどの異物を上へ送る機能をもっています。ところが喫煙を長く続けていますと、この線毛上皮の毛がとれて、扁平上皮と呼ばれるものに変ります。この変化を「化生現象」と呼んでいますが、これが喉頭ガンの発ガン母地となるのです。

――タバコをやめると喉頭ガンはぐっと少なくなるということが言えるわけですね。
佐藤 タバコを喫う習慣が人類からなくなれば、喉頭ガンは激減するでしょう。五十歳以上の男子に多いのも、老齢化、声帯の酪使ということもありますが、二〇歳からタバコを喫いはじめて、五十歳をすぎるとブリクマン指数が六百を超える時期と一致しています。今お話しした三つの要因は、喉頭ガンの中でも声門にできる「声門ガン」ですが、喉頭ガンにもう一つ声門の上部にできる「声門上部ガン」というのがあって、これは虫歯などがあって口腔衛生が悪い人に多く見られます。口の中を汚くしておくとバイキンが喉頭について、発ガン物質のニトロソアミンができやすいのです。

生活態度に注意すれば喉頭ガンは確実に予防できる

――喉頭ガンの予防は……。
佐藤 まず禁煙です。しかも若い時からタバコを吸わないようにすることです。私達が喉頭ガン予防の大きな目標の一つとしているのは若年者の喫煙をやめさせることです。またこれまでかなり喫ってきて、中年になって禁煙したという人は、発病の確率はかなり減少しますが、まだ発病の可能性は大きいのですから、年に一〜二回、喉頭と肺の検診を受けるようにすすめます。第二に五十歳以上になれば放歌高吟をつつしむことです。とくによくないのは演歌のように声帯を痛めつけるような歌です。最近はカラオケバーが盛んで、タバコをさかなにして酒を飲みながら演歌を歌うというようなことをやっていますが、これは一番いけません。喉頭ガンになるための人体実験をしているようなものです。同じような理由でタバコをさかなに酒を飲む日本式宴会もよくありません。酒そのものには直接喉頭ガンにつながる要素はありませんが、タバコとの相乗効果は見逃すことはできません。第三に、声帯を酷使したあとは十分に沈黙を守り、声帯を休めてやることです。仕事上あるいは、仕事のつきあいでやむを得ず声帯を酷使することがあるのは仕方ありませんが、体と同じで声帯にも必らず休息は必要です。第四に、虫歯を治療し、不適合な義歯は嬌正し、口腔を清潔にすることです。喉頭ガンは、自分でかかるガンなのです。ガンの中には本人が何も悪くないのに遺伝によって発病するガン、また原因不明のガンがありますが、喉頭ガンはその原因が、タバコを吸いたいだけ吸う、大声を出す、口腔を清潔にしないことなどが原因ですから、自覚さえすればならないですむガンなのです。

――喉頭ガンの自覚症状はあるのですか。
佐藤 声帯にガンのできる声門部ガンでは、声がれが初期症状です。「かぜを引いたあと」という場合をはじめ「タバコを吸いすぎて…」「大声でしゃべりすぎて」など、声がかれる原因はいろいろありますが、二週間以上も声がれの状態がつづくようであれば、必らず検査を受けるべきです。こういう声の異常は、少しよくなったかと思うとまた悪くなるという状態をくり返しながらだんだん悪くなっていきます。初期にはほかに何の異常もなく食欲もあって元気なのでなかなか受診する気にならないのですが…。声帯より上方に発生する声門上部ガンの初期の症状は、のどの異和感です。「何か毛がひっかかっているような気がする」「魚の骨が刺っている」「イガイガの感じ」が長く続くようであれば、検査を受けることがぜひ必要です。またその際に、一般の開業医では精密検査はできませんので、ホームドクターの紹介を受けて大阪府立成人病センターのようなところで専門医の判断を仰ぐことが必要です。

――喉頭ガンとわかった時の治療はどのように行なわれるのですか。
佐藤 図に示したように、声門部ガンは、早期ガン、中期ガン、進行ガンの各時期にわけられます。ガンが発生して六カ月までが早期ガンで、この場合には放射線治療によって、声がれが治って正常音声にもどるうえに、百%治癒します。六カ月をすぎて二年目までは中期ガンとよばれ声帯だけでなく他の部分にも広がりますから、部分手術をしなければなりません。音声は維持されますが、声帯を部分的に切除するので声がれが残ります。二年をすぎて進行ガンになりますと事態は深刻です。声帯はガンにおかされて運動がなくなり、深く筋層や軟骨にまで及び、三年前後になると呼吸困難となります。ここまできますと、全摘出手術をしなければなりません。当然自然の声が出なくなってしまいます。中期ガンまでは必らず治りますが、進行ガンになりますと他の部位への転移ということもあって治りにくくなります。

――喉頭ガンの治癒率はどれくらいですか。
佐藤 大阪府立成人病センターを受診した全てのガンの平均の五年生存率は五十六・六%ですが、喉頭ガンは八〇%です。他のガンにくらべて非常に治りやすいガンだということができます。

――進行ガンまですすんでから治療を受ける人があるということは、それまで自覚症状がないということですか。
佐藤 そのあたりがガンの難しいところです。ガンだと言われるのがこわさに検査を受けようとしない人が多い上に、患者にガンだと告げることができない場合には事態は複雑になります。喉頭全摘手術をする場合にはガンであることを告げます。日本には儒教の変形としての自殺の美化の文化がありますから、喉頭をとられるくらいなら死んだ方がましだ、ガンを宣告されるなら… というようなことがまかり通るのです。しかも自己の確立がはっきりしないので、手術が必要だと言っても、「どうしよう、どうしよう、ちょっと考えますわ」と直面することから逃げてしまったり、奥さんや子どもとあれこれ相談する、そのうちに手遅れになったり、呼吸困難というところまでなってかつぎ込まれる例があります。アメリカではガンは九〇%患者に告げます。その際に大きな役割を果すのがキリスト教の牧師で日本の医者は、宗教の代行までしなければならないということになります。そこまで医者がやっては、倣慢だといわれるのですが実際は、そこまでやらざるを得ない、そこに日本の医者のしんどさもあれば、また医者の人格が要求されるところでもあるのです。

余りにも人間的なガン、動物には喉頭ガンはない

――喉頭の全摘手術をして声帯がなくなった場合には代用音声を使うとお聞きしていますが……。
佐藤 喉頭が摘出されますと、呼吸は首の下方につくられた気管孔からされますので、鼻から空気が入らなくなり、発声ができなくなりますので、代用音声の練習が必要になります。練習の順序はまず食道発声法からはじめます。これは食道内に空気を自由自在に注入して、その空気を用いて発声するもので、練習に三カ月を要し、成功率は八〇%です。肉声ですからすばらしい声がでます。食道発声法がどうしてもできない人にはパイプ式人工喉頭を用いて発声します。これは練習が容易で、よい音声がでます。これも習熟できない人はブザー式人工喉頭を用います。

――これらの発声の方法、発声のための器具も先生が開発研究されたとお聞きしていますが……。
佐藤 今のところ、医療、福社の手がのびるのは病気を治すというところまでで、音声をなくした人が、音声を出すために必要な治療、器具については健康保険も適用できず、福祉からも見離されているのです。ところが人間は音声言語動物と言われるように、音声を持っているが故に人間なのです。人間が二足直立歩行をするようになったために、他の内臓とともに喉頭もその位置が著しく下垂し、声帯の上方に広い共鳴腔ができ、声帯でつくられた原音が上方で共鳴し言葉として放出されるのです。しかし一方、喉頭が下垂し、複雑な言語を発することができるようになったので、ここにガンが発生するようになったのです。人間以外の動物では喉頭ガンはまったくありません。喉頭ガンは、余りにも人間的な、ガンなのです。喉頭ガンを全摘手術をして命をとりとめただけで人間だけのガンである喉頭ガンを治したことにはならないので、いろいろと研究した結果、食道発声法の理論、人工喉頭をつくり出したのです。現在では喉頭全摘者の会「阪喉会」「成喉会」がつくられ、私がいろいろと指導にあたっています。医療は単に病気を治す、命を助けるということだけにとどまるわけにはいかないのです。

――ありがとうございました。
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