1999年のアカデミー賞授賞式で栄誉賞を受けた
E・カザンが壇上に上った瞬間、会場の反応が大
きくふたつに別れた事件が、遠く日本のマスコミ
をも騒がせた事は、いまだ記憶に新しいところで
す。
会場のほぼ半分以上の人々が立ち上がり拍手を
送っていた中で、そこに断固として加わらず、座
り込んだままの人々がいた。人によっては腕組み
をする事で拒否の姿勢を示している。ニック・ノ
ルティが、厳めしい顔で腕組みをしていた映像が
記憶に残っている人も多いと思います。
カザン個人の、転向と共産党員を売った行為、
については同情すべき部分もありますが、執拗な
赤狩りで失われた優秀な映画的才能を思うとき、
人はそこで何かが引き裂かれてしまった事を意識
せずには、いられなくなります。
赤狩りが始まったのは1940年代ですから、
既に60年近い歳月が過ぎ去ってはいるのですが
、にも関わらず今年起きたこの事件は、赤狩りが
過去の歴史の一事象として済ますことのできない
傷を残し、映画に関わる者たちの心を固化させず
にはおれない事態を60年後の現在でもつくり出
してしまう程のものだった事を教えてくれます。
そして50年代に映画監督としてデビューした
アルドリッチにも、小さくない爪痕を残している
ようです。
50年代中盤「The Big Knife」
「攻撃」「キッスで殺せ」等でハリウッドにおい
て映画監督としての地位を固めつつあったアルド
リッチはそれでもイタリアに渡ってしまいます。
この時、アルドリッチが如何なる理由でそのよう
な、大きなリスクを伴う行動に出たのか?真実に
ついては本人にしか分かりようがないものなので
、想像するしかありませんが、50年代といえば
アメリカでは二度目の赤狩りの嵐が吹き荒れてい
た時代であり、アルドリッチの周辺では、盟友ジ
ョセフ・ロージーがヨーロッパに逃亡せざるおえ
ず、後に「ガンファイター」で組む脚本家ダルト
ン・トランボ、助監督をした事もあるエブラハム
・ポランスキー等といった才能ある者たちも、そ
の波にのまれて苦渋を味わっています。
付け加えるならば「攻撃」が反軍的な内容とい
うことからアメリカでの上映禁止にされたのは渡
欧直前のことでした。
アルドリッチ自体は政治的には、共産党員では
無かったようですが、当時は愛国主義的な表現で
無いという理由だけで共産主義者ではないかと疑
われた事もあるというほどの状況であり、周囲の
友人達の苦境とも併せて表現者にとっては自由な
空気の場と感じることは出来なかったようです。
アルドリッチは「キッスで殺せ」について語る
中で当時のアメリカの空気を次のように表現しま
す。
「アメリカ中がどちらを向いても皆、おど
おどしていて、どんなにひどいことが起こっ
ても誰もが顔を背け、抗議する勇気のあるも
のは一人も居なかった時代です 」
そしてアルドリッチはハリウッドを後にし、イ
タリアへと渡ってしまいます。
アルドリッチがハリウッドを離れて撮った映画
は
1959「Ten Seconds to Hell」
1959「The Angry Hills」 怒りの丘
1961「The Last Sunset」 ガンファイター
1963「Sodom and Gomrrah」 ソドムとゴモラ
の計4本ですけれども「ソドムとゴモラ」以外
は、今では見られませんから、これらがどの様な
作品なのかは、わかりません。
(1986年に日本のアテネ・フランセで「ハリ
ウッド・フィフティーズ」という特集上映が行わ
れた際に
「Ten Seconds to Hell」
「The Angry Hills」
は上映されています)
ただ、イタリアの批評家には芳しくない評価だ
ったという事が蓮實重彦氏のいくつかの発言から
推測され、イタリアでの映画製作が困難に満ちて
いたことが想像されます。渡欧以前の「悪徳」が
ベネツイア映画祭銀獅子賞を受賞しさえしたのに。
アルドリッチは「何がジェーンに起こったか?
」でハリウッドに復帰するわけですが、ハリウッ
ド裏幕告発物への執着はその後もしばらく収まる
ことなく
「何がジェーンに起こったか?」
「甘い抱擁」
「女の香り」
といった作品群を残すことで、その想いの激烈
さをフィルモグラフィーの中に刻印しています。
帰米後のアルドリッチの旺盛な活動を見るとき
、赤狩りやハリウッド的欺瞞に対する強靭な反骨
的意志を感じ、J・ロージーのその後と比較した
とき、アルドリッチの動物的にすら感じられる生
命力は世界の映画史において、極めて例外的なも
のであったことに気付かされます。そして、その
ことがアルドリッチが60年代以降のハリウッド
で撮った映画群の存在の輝きを増すと同時に、そ
の輝きの中に深い陰影をも忍ばせていることに気
付くのです。
(このページの記述をするにあたり蓮實重彦氏
の「ハリウッド映画史講義」を参考にしました。)
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