卒業していく子どもたちとワタシ

 

 学校事務職員として採用されて以来、縁あって卒業文集に寄せさせていただいた文章を集めました。

 原稿を寄せるとき、手書きのものがそのまま載る場合が多いです。 小規模校の小学校の卒業文集は、ほとんど<自家製>で、担任の先生が学校の印刷機で土日にせっせと印刷するんです。
 卒業する子どもが少ないとき、文集に寄せるお祝いの言葉に一人一人の似顔絵を入れました。自家製文集のいいところは、寄稿した職員にも記念にその文集をいただけること。書いたものが冊子になって手元に残るのです。だけれど、中規模以上の学校の多くは印刷・製本を業者さんにまかせるため単価も高くなり、卒業生分しか作れません。悪いことに、その場合はたいてい原稿は戻ってきません。(自分でも、原稿の控えをとっておかなかったのはうかつでした。)それらのものが、ここにまとめられなかったは、ちょっと残念です。

 あらためてまとめてみると、青臭いことを言っていて恥かしい気もしますが、そのときごとにそのときを一緒に過ごした子どもたちの、顔をひとりひとり思い浮かべて、いっしょうけんめいに言葉をしぼりだしたことを思い出しました。

 

2002.3

2001.3

1996.3

1995.3

1994.3

1993.3

1992.3

1990.3

1989.3

 

 

2002.3

ご卒業おめでとうございます。

「自分こそ正しい、という考えが、
あらゆる進歩の過程で
最も頑強な障害となる。
これほどばかげていて
根拠のない考えはない。」
                   byJ.G.ホーランド

 文明が進化し科学はどんどん発達しているのに、
人の心は100年前からちっとも変わっていないそうです。

「知性や教養とは、
たくさんの知識を持っているかどうかではなく、
人の心をわかろうとする心だ」
とは、

ある解剖学者の言葉です。

 中学生になってもたくさん勉強して、
心の柔らかい人になってくださいね。

       2002年3月 

 

2001.3

ご卒業おめでとうございます。

立派に大人への道に一歩踏み出した皆さんに贈る言葉は、
「人の批評をする暇があったら自分自身を研鑚しよう」ということです。

心に余裕がない状態にいると、人を見る目も厳しさが増し、
どうしても批評的な目で物を見てしまいがちです。
そして、だんだんと人の短所ばかりを意識する方向に
気をとられやすくなるものです。

批判がましい意地悪な気持ちになったら、次のように考えるといいかもしれません。

「人や周囲を変える事が本来の目的なのか?そうではなくて、
自分の力を向上させるのが目指していることではなかったのか?」

 人を非難するだけでは、言いっぱなしの無責任な評論家と同じです。

「批評」の域を越えて「周りの空気がよい方向にかわる」ようにできたら、
その非難は「批評」ではなく「ものごとをよりよく解決する力」となり、
とても素敵なことだと思いませんか。

 どうか、そんなパワーのある大人になってくださいね。2001.3.吉日

 

1996.3

卒業おめでとうございます。

「やってみるをかなえる」

夢をかなえる前に、
やってみるということを
かなえるんだ。
わかるかい
やってみるということをかなえろ

三代目魚武濱田成夫


自分の夢は      です。

そのためには      という困難があるけれど

いま自分は       を頑張っているところ。

できることからはじめよう!!

卒業生の皆さんへ 1996.3

 

1995.3

卒業おめでとうございます。

6年生になったばかりのみんなが、なんだか

心細くて心配だったのに、今ではみんな

すっかり立派な6年生になりました。

それを考えると1年に入学したての頃から

どんなか大人になったことでしょう。

「きのう」と「今日」と「あした」を比べてみても

そんなに変わっていなくって、毎日がいつのまにか

過ぎているみたいな気がするけれど

「きのう」と違う自分が今ここにいることを

しっかりとかみしめながら、充実した中学校生活を

送ってください。

♪人生楽ありゃ、苦もあるさ〜♪ってね。

卒業生の皆さんへ1995.3

 

1994.3

卒業おめでとう

大きくなったらなんになる?大きくなって考える?(テレビのコマーシャルみたい。)

じゃあ、いま何がしたい?いま君に何ができる?何をしなくちゃいけない?

偉い人ってどんなひと?カッコイイってどんなこと?気分のいい時はどんなとき?
頭にくるのはどんなこと?「ムカツク〜」ってどういう場合?
涙が出るのはどんなとき?

なぜそう思う?じゃあどうしたい?

これから君たちが大人になる途中で、ぜひ考えてもらいたい「?」です。

ええい、面倒だから人のマネをしちゃえ〜って思うかもしれません。考えていくうちに
どんどん答えがかわっていってもかまいません。

考えても考えても、ひょっとしたら答えなんてないのかも…。

「でもね、だってね。」って、言い訳するのはカンタンです。
でもずっとずっと言い訳してるだけじゃ、カッコワルイよね。

これから先、カッコイイ大人になった君たちと、どこかでばったり出会うことを
心から期待しています。1994.3

 

1993.3

 桃のつぼみもふくよかにふくらみ、待ちかねた春の訪れを告げています。

 みんな、元気でなによりです。

小学校に入学してからこれまでに、いろんな出会いがあったことでしょう。
修学旅行や親善大会で新しい友達を出会った人、絶体絶命の大ピンチに遭遇して、
思いがけず自分の強さに出会った人。

 私がもし、あと10年早く生まれていたら、みんなの中の誰かのお母さんだったかもしれないし、
10年遅く生まれていたら、みんなと机を並べて
一緒に勉強していたかもしれない。(え?計算が合わない?)
もしかしたら、町ですれ違うだけの、まるきり他人だったかもしれない。
そう考えると、これはきっと宝くじに当たるよりも運のいいことかもしれません。

 お茶目で、優しくて、まじめで、力持ちで、涙もろくて、運動が得意で、
歌も得意で、辛抱強くて、とんちがきいていて、ちょっぴり大人びたところもあるけど、
とっても愉快な皆さんと、同じ時間を一緒に過ごすことができたことに、
感謝の気持ちでいっぱいです。

 もし気持ちが弱くなって、くじけそうになっても、
みんなで過ごした確かな時を思い出して、元気に乗り切ってください。
1993.3.吉日 卒業生の皆さんへ

 

1992.3

卒業おめでとう

生まれたての頃、笑った!と言ってはほめられ、
おすわりができたとほめられ、歩いた、しゃべった…あなたが何かをするたびに、
お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、近所の人たちも
みんなが喜んでくれました。

 だけど、いつのまにか、早くしなさいと怒られ、きちんとしなさいと叱られ、
しっかりしろと励まされ、そうして大きくなるにつれ、
ついにはほめるどころか叱ってもくれない…そんなこともあるかもしれません。

「自分の人生、どう生きようと勝手でしょう!」なんて
叫んでみたくなることも、これから先、あるかもしれない。

けど、ちょっと待った。

 たとえほめてくれなくても、おうちの人や先生やまわりの大人たちは、
あなたのことを心配している。

「がっはっは!」とおなかの底から笑える日がたくさんありますように、と。
たとえ傷ついても、自分の力で立ち上がれるようにと。

他人がくれた100点満点ではなく、自分でつけた65点に自信が持てるようにと。

 そして、何よりあなたがあなたらしく、自分の人生に誇りを持てるようにと。

 たくさんの愛につつまれて、ここまで成長したみなさんに、
心をこめて、卒業おめでとう。
1992.3.吉日

 

1991.3

まわりにまどわされず、同じことのくり返しをおそれず、そうしてどこまでも高みをめざす…。

 小学生の頃、私は早く大人になりたくてしかたがありませんでした。
勉強とかお手伝いとかにしばられずに、時間もお金も
自分の思うように使えると思ったからです。

「子どもですから私。あはははは、」と、ごまかしがきかなくなって
何年か経ちますが、自分のことを自分できめることのむずかしさが
ようやくわかってきたところです。

 一見豊かで平和な今の世の中ですが、実は一番きびしい時代に
皆さんも私も生まれてきたんだなあ、と思います。
楽(らく)であることは、決して楽しいことではないし、
お金をもうけることだけがしあわせではないこと。
世の中にはいろんな価値観があって、どれも優劣つけがたい、
かけがえのないものであること。

抽象的な言い方になってしまいましたが、
皆さんがそれぞれ自分自身に誇りを持って
潔く生きていくことを願ってやみません。

小学校卒業という1番目のハードルを
元気に乗り越えようとしている5人の卒業生の皆さんへ

1991.3.吉日

 

1990.3

いつの時代でも、現在進行形でそのとき目に映っていることに

手に触れているものに、耳に届いた音に

素直に感動できるやわらかい心の持ち主でいてください。

「あの頃は良かった」と、

くよくよばりしているような、

今を簡単に放り出してしまうような

不マジメな人生を歩まないためにも。

最初の門出に、まずはオメデトウ。1990.3吉日

 

1989.3

まだ歩きはじめたばかりの16人のなかまたちへ

人と違った言葉をつかい、人と違った服装をすることが

とても格好よく思えたりします。

雨降りなのに長靴をはいているのが

なんだかはずかしかったり

おとうさん、おかんさんの言ってることが

うそっぽかったりすることもあります。

コドモと呼ばれているあいだは、

みんながいろいろと手を貸してくれるけど

だんだん、だんだん

自分で決めなくてはいけないことが多くなるんだよ。

急ぐことはないけれど

素敵な生き方を見つけてください。

1989.3

 

 

 

 

 

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