地球の食べ方・暮らし方 人間がひとり生きてゆくのに必要な食料は、穀物だけだとしたら150キログラム。穀物とは、米はもちろん、とうもろこしや麦、大豆などをいいます。もし、牛肉を1キログラム得ようとすれば、8キログラムの穀物をその牛に与えなければいけません。同じように、豚肉だと5キログラム鶏肉だと2キログラムの穀物が必要です。1998年に世界で生産された穀物のうち5割が人間に、5割が家畜の飼料にまわっています。ちなみに、食肉の一人当たりの消費量は、アメリカ112キログラム、ドイツやフランスで100キログラム、イタリアで70キログラム。アジアでは、タイやインドネシアで10キログラム、中国で30キログラム(急増中)、日本は50キログラム。 ノンキャリア・エンパワーメントー女性が働く、ということ― 能率、生産性、競争の原理だけが普遍的で、その枠組みが生活の全てのシーンであたりまえになってしまったのは、いつからだったでしょうか。景気が低迷している現在、女性を保護しながら差別する・・・ということが難しくなってきたなか、一方で出産や育児のために休みをとっても代替え人員を雇う体力がない多くの日本企業。国がどんな政策をかかげようが、「笛吹けど踊らず」な状況。5パーセントの金持ちと95パーセントの貧乏人の国へまっしぐらといった状況で、職業をもった女の人がほんとうに安心して子どもを生めるのはもはや、学校の先生くらいになってしまいました。 ケアリング&ナーチェアリング 「スローワーク」「スローライフ」で検索すると、特別な技術を持ち、職人技を極める人たちのサイトにヒットします。ポリシーを持って自分のやりたいことを極めるその姿勢はとても清清しい。2番目にヒットするのはNPOなどの非営利団体、もしくはワーカーズコレクティブなど市民の事業体。どちらの場合も、利益を得ることよりも、強い意思と信念のもとに誇りと夢を持って、仕事をすることじたいに価値をみいだす人々を紹介しています。 高度成長期以降、経済を支える生産活動だけが価値ある営みであるかのようにいわれてきました。またそのような仕事は貨幣的価値も高く、人々もそんな仕事を競って求めるようになると、世話をする(ケアリング)とか育む(ナーチュアリング)といった仕事は、社会的にも貨幣価値の低い仕事とされるようになりました。 人の営みには<仕事>と<余暇>ばかりではなく、次世代を育み老いていく人々を看取るという<生活>の領域があるはずです。しかし男女雇用の均等化は、そのような家庭的な責任を果たすことを棚上げにしたまま施行されました。頑張れば上に上がれる、ということは裏をかえせば頑張り続けないといけないということで、生活領域をどれだけ切り捨てることができるか(転勤、サービス残業etc・・・。)ということが、経営者にとってもっとも都合がいいのでした。 ということはつまり、被雇用者でいるかぎり、スローワークもスローライフも夢のまた夢、なのかなぁ。(2002.8.1)
「早くゴールをしたらもったいない」エコロジー少年、Sくん。 春のころ。二男とその友だちに連れられ(子どもが3人、大人はわたし。)ウオーキングに参加したときのこと。 いちばん短い距離とはいえ、参加コースは12キロ。初参加のわたしは、さっさと歩いてとっとと帰りたい。・・・そんなふうに思っていました。その不埒な気持ちを見透かしたのかどうか、「おばさん、早くゴールをしたらもったいないよ。」と参加者の友人Sくん。 「おばさん、そんなに飛ばして歩いたらバテるよ。」ではなくて「早くゴールしたらもったいない。」。 おばさんと呼ばれてむっとする年齢はとうにすぎているので(苦笑)それよりも、小学生の口からもったいない、なんて台詞がでたことのほうに新鮮な驚きがありました。2度目の参加という彼は、ほんとうに、ほんとうに楽しそうに歩く。 その楽しい気分は、歩き初めのときからぶちぶち言っていた、なんとなく参加してたもう一人のお友だちさえも、ゴールが近づにつれて残念がってたくらい。彼らを見てたら、「ほんとうはどんな子どももそのころの好奇心に見合っただけの時間の流れがあるのかもしれない。子どもを必要以上に大人の時間に会わせ過ぎちゃって、子どもも時計がおかしくなってきているかも。」などと思いました。首のうしろの三日月型の日焼けはそのときの気付きのしるし。(2002.7.24)
巾のある時刻表 6月の末のことです。とある勉強会に参加するために、東京にいきました。人波に乗れない、方向音痴、地図や案内図が読めない…迷うことは必死!と、早めに家を出ました。通勤時間帯はとうに過ぎていましたが、日曜日ということもあって、田舎の駅は町へ出たい人々でいつもより人が多い。自分が乗る電車が到着すると、降りるお客さんの中に、足がちょっぴり不自由な女の人がいました。電車からホームの段差にとまどっているように見えました。その様子を見て、すかさず、ホームにいる男性のお客さんが彼女を抱きかかえようとしたのです。しかし。 「あ、ごめんなさい、いいんです、時間がかかりますけど、自分で降りれますから。」 わたしはドキッとしました。そして、男の人の顔にもちょっと意外だという色が見えました。 降りてから彼女は言いました。「皆さん、見守ってくださって、ありがとう。」 ★ ★ ★ とっても算数の苦手な男の子がいて、個人的に居残りをさせて、どんなに丁寧に教えてもちっともわかってくれない。 ★ ★ ★ お年寄や子どもや障害を持った人々に対して、健常者の時間にあわせた動作できるようにサポートするのが、支援や手助けと思っているフシが、もしかしたらあったかもしれない。もしもそうだとしたならば、どんなに個別に支援したところで、本人にとっては生きてる手ごたえよりも生かされてるという心苦しさがあるのかもしれない。
いつまでにどれだけの成果をあげるか。 しかし、ふだんの暮らしの中で自分らしく生きる、ということは、自分のリズムが尊重される、ということであって、そんな暮らしのルールまでもがビジネスルールで動いていたのでは、ほんとうにほんとうに苦しい。。 いろんな人がいろんなリズムで生きていく。自分ができる精一杯のことをやって、それが生きる糧となる。 このコンテンツがどう転がって行くかは見当がつきませんが、えいやぁ!とアップロードしてしまおう。(2002.7.11) |