清野浩志の日記 鉄道チャレンジ誌は永遠に続く
★鉄道チャレンジ誌はついに116号を達成した/2014.1.1★
どうせ消えるだろうと100号達成の時に思ったが意外に長生きしている
鉄道イベントや鉄道会社協力で華やかな時もあったが、だんだんバカらしくなった
それしかアタマにない人も大勢いたが、次々と消えていった
それでも鉄道チャレンジクラブは存在しつづけている
物言える鉄道チャレンジクラブにしたいと誌の発行は益々重く続く

2014.1.1

★111号以後も鉄道チャレンジクラブは続く★
★ささえた人・かんがえた人★

★鉄道チャレンジクラブは続く★


鉄道チャレンジクラブと「共に考える場」である。その場にいれば立派な鉄道チャレンジクラブのメンバーである。とはいえ、誰でもいいのかといえば、そうでもない。ヤッパリ自分勝手きわまりない人は遠慮してもらいたい。鉄道チャレンジクラブ本部がきよの写真館という写真撮影専門を仕事とする清野浩志のワークスペースなので、その関連もあって、鉄道ファンだけが関わるというものではなくなってきた。近所の人や、仕事関係や、展示会などで知った人まで、数はわからないくらいに広がってきた。その責任も重くなってきた。同時に真剣に考えてくれるメンバーも増えて、単なる「電車大好き」という感覚ではなくなってきた。そういう意味でいい加減な人は消えていき、共に考える人たちの場になってきた。

なやんであたりまえ

★ふるさとを想う★

「ふるさと」は故郷であるなら自分の生まれた環境だけなのだろうか。それは想いとして良い思い出となるのかイヤな思い出なのか様々である。ふと考えた。何も生まれ故郷だけが「ふるさと」であってはならない。自分の感動した場所、自分らしい場所、自分が安心していられる場所、というような故郷であってもいい。そんな想いをはりめぐらして過去の道程を眺めていると、忽然と現れる駅舎や古風な鉄道車両も「ふるさと」に見えてきた。そんな想いをまとめてみたい。そういう視点で人を見ると、まち違った世界があるだろう。何も考えないで「電車デンチャ電車」ではすこぶる空しすぎる。鉄道チャレンジクラブの目指すものは「どう表現を表現しきれるか」という賭けである。「電車デンチャ電車」ではない。それは単なるモチーフの1つでしかない。記念切符、鉄道部品、鉄道玩具、鉄道写真、等々・・鉄道趣味といわれるジャンルは数多くあるが、そればかりに熱中するのは、あまりにも情けない。それらをステップにどう人を表現できるかという道程があって始めて感動がある。人々が幸せに生きるための感動である。

そして鉄道チャレンジクラブ本部のスグそばが、日本最大の鉄道事故/1947年2月25日の八高線高麗川事故現場である。そういう現場を日常的に前にして、鉄道チャレンジクラブは常に考えなくてはならない。鉄道趣味ののぼせ上がりも、鉄道商売も、鉄ちゃん有頂天も、ここでは許されないという事だ。そうした厳粛な想いを常にもち、鉄道チャレンジクラブの活動はあるという事だ。