ロベルト・バッジオ (サッカーイタリア代表選手) 入手日 2000.10.3. 東京都内のホテルにて |
サッカーが好きな人なら必ずといっていいほど誰もが知っている名プレイヤーです。1990年のワールドカップイタリア大会で国際舞台のデビューを飾り、94年のアメリカ大会ではチームを準優勝に導きました。その時に日本時間では朝7時ごろにテレビで放映していた、あの決勝の最後のPKはとても印象に残るものでした。98年のフランス大会でもイタリア代表としてメンバーに選ばれワールドカップ3大会連続出場をしている選手です。 クラブチームはセリエAのインテル・ミランでしたが、2000−2001からセリエAのブレシアに移籍して、なおの活躍を期待したい選手です。 で、このサインは2000年10月3日に東京都内のホテルで頂いた物です。サッカーの「JOMO CAP 2000」に出場のために来日して、その時に知り合い4人と宿泊しているホテルを探し、そして頂きました。 バッジオ以外にも外国人選抜の選手が泊まっていて、次の日のJOMO CAPのミーティングと顔合わせを兼ね、食事が午後7時ごろ地下にある部屋で行われました。しかしバッジオは現れませんでした。たぶん別行動だろうとみんな言っていました。8時ごろミーティングを終えた外国人選手が出てきてファンの人たちがサインをもらっていました。私もビスマルクやツットなどのサインをもらいました。 選手が全員行って行ってしまうと20人くらいいたファンの半分は諦めて帰ってしまいました。無理はありません。本当にバッジオがそこに宿泊しているかどうかも分からないのでは仕方ありません。私たちもとりあえずここ(地下)にいても仕方ないので1階のフロントで待つことにしました。 しかし1時間半くらいフロントで待っていましたがいっこうに来る気配はありません。フロントに移動した残っていたファンも少しずついなくなっているのが分かりました。中には一番やってはいけないエレベーターの探索(書くもの書かれるものを参照)をしている人もいます。そういう人もいなくなった午後9時30分頃、お付の人とエレベーターに乗っていたバッジオを私の知り合いの一人が見つけました。エレベーターは既に閉まっていたので下に行く階段を急いで下りました。地下に行くと誰もいません。そんなはずないと思い、みんなで考えていました。ここのホテルの地下は地下2階まで。見つけた知り合いは間違いなくエレベーターより早く地下2階に着いていて、乗っていないことを確認しているのだから「必ず地下1階にいる」とヤマをはりました。地下1階はちょっとしたバーと食事をするところがあり、外に出るようなところもないのでバッジオはここで食事をしていると踏んで待っていました(ちなみに地下2階は地下駐車場)。その間、私たちはバッジオがいると思われるとふんでいる店の近くのバー(通路にある)で座りながら張っていました。 ・・・他のファンはたぶん諦めたのかもう私たち4人だけしかいません。そんな中また知り合いの一人が「あれ、杏里じゃない?」と言いました。近くのバーから出てきたのは本当に杏里(ミュージシャン)でした。いきなりの出現に驚きましたが、ちゃっかりちゃんと予備の色紙にサインをもらいました。 そんなこともしていた午後11時過ぎ、バッジオが出てきました。お付の人を約15人を引き連れてバッジオが出てきました。4人はすかさず本人の前に歩み寄り、サインを求めに行きました。私の知り合いの一人が大きく引き伸ばしたバッジオの写真をプレゼントしようとすると本当に喜んでいて、通訳を通して知り合いと話したりもしています。私も本人と話しましたけど、とてつもない内容なので言えません(大したことじゃないけど)。 最後にみんなで記念撮影し、私はバッジオと肩を組みながら撮りました。そしてみんな一人一人に握手してくれて本当に言うことありません。エレベーターに乗って行ってしまった後、みんな放心状態と興奮で口だけが笑っていました。 みんなサインを2つも3つも書いてもらい、本人と喋り、一緒に写真を撮り、握手もするという、私も過去に経験がない経験(二度はありえない経験)をし大満足でした。 |
サインの詳細 |
書いてあるもの | 色紙 |
色紙の種類 | まる松 |