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●□ 『ネットワーク テーブル』第80号    天地シニアネットワーク
○■                          2003.2.5発行
  http://www5a.biglobe.ne.jp/~tenti/
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● 会員の広場
 ◎ {評論}蕪村の俳句 第24回 <最終回>   高野 冬彦
      歴史句の名作  V
◎ 2003年度の株価見通しと投資方針      相羽 晃
 ◎ イスラエル (その9)          野崎 誠介
 ◎ 仏訳:ポケット論語 (27)第25章      柴田 雅寛 
       事君数。斯辱矣。朋友数。斯疏矣。
 ◎ 海のシルクロードを西南へ(第9回)    大竹 漠州
 ◎ 盤上遊戯 ― 囲碁散歩 (24) ―       小俣光夫
       囲碁ゲームの起源(7)
≪ひとこと≫
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● 事務局から
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● 会員の広場

◎(評論)蕪村の俳句   第24回       高野 冬彦 (79才)
   <最終回> 歴史句の名作 V

 最後に蕪村が歴史句として最も成功したと自負したであろう作品を挙げておく。

       耕すや、法三章の、札の下      蕪 村

 法三章と言えば、これは間違いなく漢の高祖・劉邦の出した政令。秦の時代の複雑煩瑣な法令を全て一掃して、「人を殺すな。傷つけるな。盗みをするな。」 この三ヶ条以外は、全部廃止すると宣言Lた大改革の出発点である。
 時はBC202年、あの独裁者・始皇帝が没して僅か6年、各地に反乱が勃発して社会は混乱の極、楚の項羽は咸陽を陥れて、かの絢爛たる阿房宮に火を放って、辺りは一面の廃墟と化していたはずである。劉邦は身分は卑しい宿駅の亭長だったのだが、温厚で公平な人柄から多くの人々の敬愛を受け、特に韓信とか張良など優れた人材の支援を得て、終に漢王の地位に就いたのである。

 法三章の単純にして明快な政治方針は、多くの人々の歓迎を受け、未来への明るい希望を生んだと思うが、蕪村のこの句はそれより更に一歩を進めた所をみているのではなかろうか? 新しい目標を明示した高札の下に、戦乱に荒れ果てた田畑を耕す農民の顔には、何の喜びも浮かんでいない、そんな語調がこの句にはあるのである。誰が王様になろうが、どんな方針が示されようが、政治の本質は変わることはないのだ。我々はただ土にしがみついて、一粒でも多くの麦を作り出す事、それ以外どんな生き方も、抵抗の仕方もないのだという農民の魂の叫びが、蕪村にははっきり聞こえていたのではなかろうか? そんな気のする句である。
 最後にもう一つ、

      指南車を、胡地に引き去る、霞かな   蕪 村

 此処ではまず指南車の解説から始めないといけない。百科事典によると、「中国古代に発明された方向指示機」ということで、箱の上に置かれた可愛い人形が南の方角を指している略図が添えられている。お祭りの山車の上で宙返りをするカラクリ人形を見るようで、いささか幼稚で田舎臭い感じもするが、実は中国史上、見落とすことの出来ない重要な文化遺産なのである。
 指南車を創ったのは、中国の始祖・黄帝だったと言う。それほど深い伝説の霧に包まれた昔の話しである。彼は万物の支配者で、人間が生きて行く基本的な知識、農業その他の生産から医薬・住宅、船舶や車などの交通手段まで、全てを教え導いてくれた万能神のような存在だったのである。

 しかし、これほど偉大な支配者にも反対勢力はいたようで、蚩尤(しゆう)という悪神がその支配権を覆すべく反乱を起こしたのである。何しろ外観からして四面六臂、人首牛蹄、銅の頭に鉄の額、好んで鉱石を食べたというから、かなり念の入った化け物である。

 この怪物が、風伯という風の神、雨師という雨の神を味方に引き入れ、72騎の魑魅魍魎を率いて反乱をおこしたというのだから大変である。
 黄帝の知能を以てしても平定は困難を極め、「九度戦って、九度勝たず」正に悪戦苦闘の連続であった。殊に敵の軍師、風伯・雨師の方術で、「五里霧」という濃霧を発生させ、軍隊の方向感覚を失わせる戦術は、黄帝軍に大打撃を与え、しばしば危機に瀕することもあったと言うが、この窮状にあって、最後の逆転の決め手となったのが、この指南車だったと言うのである。
 どのような暗黒・濃霧の中にあっても、常に正しく方向を示す機械というのは、言うまでもなく磁石の利用によるもので、これは人間の文化史の中でも、かなり重要な発明であり、火薬の発明と共に、中国人がその独創性において、世界の歴史に貢献した顕著な一例と言って差しつかえないと思うのだ。
 ましてこれが、黄帝が異形の悪神を討伐する決め手になったということは、中国の合理主義の文明が、野蛮な迷信に勝った事を意味する訳で、中国人にとっては正に民族の誇りであり、自負の象徴だったのである。
 
 ここでもう一度原句に戻ってみよう。この民族の誇りが、なぜ胡地に去って行くのであろうか? 手近な解説書など見ると、
 「指南車を中心に、胡地に進撃する中国軍勇姿を想像しての句か?」
 などと書いてあるが、そんな解釈では蕪村の詩が死んでしまう。
 「胡地に引去る−」という言い方の中には、もう二度と還ってこない、悲しみの心が見えなければいけない。つまりこの軍隊は、中国のものではなく、胡地と呼ばれる夷荻の軍隊でなければならないと思うのだ。
 そんなことが本当にあったのだろうか? あった所ではない。中国は昔から、北方民族にどれほど苦しめられたか一あの万里の長城一つを見ても明らかである。
 中でも所謂「五胡十六国」の時代はひどく、永嘉5年(311)匈奴の猛将・石勒は西周軍を殲滅し、首都洛陽を攻略して、国王を捕虜として連れ去ったというのである。この国王は虜囚の地で奴隷同然にこき使われたと言う。
 夷荻の軍隊が、多くの戦利品と共に引き上げる最後部に、哀れに引去られる中国の誇りの指南車。人形はこの敗戦の隊列の中で、やはりいつもの通り故郷である南の方角を指していたのではなかろうか?

 蕪村はこうしたイメージの中で、広漠たる大地を舞台に、四千年の長きに渡り、絶えず繰り返された民族の興亡、国家の盛衰に思いを致し、深い感慨に捕われたに違いない。しかも僅か十七文字の小詩形の中で、これだけの広大な叙事詩的感銘を見事に掬い上けた蕪村の力量は、正に神業と言っても良いのではなかろうか。

 長々と繰り返してきた蕪村礼讃の駄文もこれを以って終わりとしたい。
                               (完)
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◎ 2003年度の株価見通しと投資方針 相羽 晃

 今年度の著名人の株価見通しは、日経新聞によりますと、前半安の後半高というのが大多数の意見のようです。過去を見ましても2〜3月に安値をつけ、10〜12月に高くなるという見方が多いようです。しかし、実際の動きを振り返りますと、前半安・後半高は過去5年では99年の1回だけで、他はすべて前半高・後半安となっています。前半に買って後半まで持った人は殆ど損をしたことになります。著名人の相場観はあまり、あてにはならないようです。

<今年度の景気見通し>
 3月の企業業績は今後、減額修正が予想されるものの、前年比では大幅に改善しそうです。しかし、昨年1〜3月から上向いた景気はここに来て回復テンポが鈍くなり、景気判断も1年ぶりに下方修正されてしまいました。
 今年の景気見通しも政府が名目―0.2%実質+0.6%。民間の見通しでは名目で―0.9%実質+0.3%と殆どゼロ成長の見込みとなっています。
 しかも中味は相変わらず輸出頼み、即ち米国の景気回復頼みとなっています。小泉首相も登場当初は「聖域なき構造改革」を掲げ、「構造改革なくして景気回復なし」と80年代のレーガン、サッチャーの再来かと期待されましたが(当初、私も構造改革が成功すれば日本経済は失われた10年間を取り戻し、株価も大相場が期待できると、この欄で見通しを述べさせていただきました)、最近は構造改革=行財政改革と矮小化され「聖域なき構造改革」「構造改革かくして景気回復なし」という言葉は殆ど聞かれなくなりました。レーガン、サッチャーと比べる人物ではなかったようです。

「金持ち優遇税制」と「大衆課税の強化」、失業率の上昇と、景気回復とは逆行する政策および現象が次々と出ています。政策面での景気回復は当分見込めません。救いは伸び率が鈍化するとはいえ、米国、アジアが元気なことです。日本の景気は輸出により、かろうじて下支えされそうです。

<投資方針>
 シニアの方は当分株式投資は控えられたほうが良さそうです。特に2〜3月は米国のイラク進攻の可能性が高いこと、および、企業の持ち合い解消売りが見込まれるため、買うべきではないと思っています。

中期的に見ましても、
@景気回復の見通しが立たないこと。
A金融機関の不良債権処理に伴い、倒産企業が増加し株式市場に悪影響が予想されること。
B政府の政策に期待できないこと。
等から現在は株式投資に不向きな時期と思っています。

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◎ イスラエル (その9)       野崎 誠介(66歳)

 この「イスラエル」シリーズも、紀元前5世紀のユダヤ教の誕生に辿り着いたので、この辺で趣向を変えてイスラエルの地を北から南へ縦断する形で、各地に於ける古代イスラエル宗教、ユダヤ教、キリスト教にまつわる話を述べてみたい。

 ヨルダン川は、ヘルモン山にその源を発し、一旦ガラリヤ湖を経て直ぐに南下し、約320KM先の死海に達している。ヨルダン川は、現在はイスラエルとヨルダンの国境になって居り、金網のフェンスが延々と築かれているが、将来パレスティナ国家が誕生すれば、パレスティナ/ヨルダンの国境となる筈である。
 ガラリヤ湖を出てすぐのヤルデニットという場所では、ヨルダン川の水量も多く、流れがゆったりとして、時々行われるらしい洗礼の儀式の場にふさわしく見えるが、南へ下るに従って水量が減り、やや貧弱に見えるのは残念である。福音書によれば、イエスは洗礼者ヨハネによって、ヨルダン川で洗礼を受けたが、その場所は何処か今では知る由もない。

 このヨハネは、ユダヤ教の一派「エッセネ派」の出身か、又は強くその影響を受けていたとされている。エネッセ派の遺跡は死海を望む北東の「クムラン」の丘で発掘されて居り。考古学上「20世紀最大の発見」と言われる「死海文書」を付近の洞窟に隠したのは彼等である。死海文書については改めて述べる事としたい。

 ガラリヤ湖はティベリア湖とも呼ばれるが、元々は「キネレト湖」と呼ばれ、ヘブライ語の竪琴(キノール)に由来し、形が似ているからである。東西12KM、南北21KM、周囲は約55KMであり、水深は最も深いところで45Mである。湖面は海抜マイナス212Mと低い為、比較的温暖な気候であり、この地域は雨も多く、青々として、乾燥した南部のユダ高地とは別世界である。

 湖の西岸にティベリアという町があり、これはヘロデ王朝時代に、ローマの第二代皇帝ティベリウスから名付けたものである。イエスは北岸のカペナウムを中心に活動した様であるが、その頃(又は若干後の時代)のシナゴーグの跡が発掘されている。近くには「ペテロの家」の跡と伝えられる場所もあるが、その真偽は確かめ様もない。南西にはマリアの出身地マグダラがある。
 ガラリヤ湖を船で遊覧すると、静かな風景の中で、時の流れもゆったりとしている感じを受ける。私が1995年に訪れた際、湖岸で紀元前後と推定される木舟が発掘された事を聞いた。まさか、ペテロが使っていた舟という事もないであろうが、今頃は、きれいに洗われて展示されていると思われる。考古学では、C14法(放射性炭素年代測定法)によってかなりの精度で時代測定が可能である。

 新約聖書の福音書には、ガラリヤ湖の魚の話が再三出てくる。此処には、「ペテロの魚」(ST.PETER'S FISH)と呼ばれるテラピア類で体の両側に斑点のある魚がとれる。私はエルサレムで一度、ガラリヤ湖畔で二度、この魚を食べたが、日本の様に焼きたてを供さない為か余り美味しいと思わなかった。
 「マタイによる福音書」第17章によれば、イエスの言に従ってペテロが釣糸をたれると、一匹の魚が釣れ、その口中から一枚の銀貨が見付かったという。この魚は「口内孵化」MOUTH-BROODINGを行う習性があり、稚魚が若干育つと、親魚は口中に石を含んで、稚魚の親離れを促すらしい。従って、魚が湖底に沈んでいた銀貨を石の代わりに含む事はあり得る話である。「ルカ福音書」の第5章に、シモン(ペテロ)が一晩中漁をしたが、不漁であった処、イエスの言う儘に網を入れると、網が破れそうになる迄、魚で一杯になったという。平凡社「世界大博物図鑑−魚類」によれば、この魚は水面近くを群れ泳ぐ習性がある由で、これは別に奇蹟でなくてもあり得ると思われる。

 ガラリヤ湖の西岸約25KMの処に、ヨデファット(YODFAT)という場所がある。特に聖書に出てくる場所でもなく、私も行った事はないが、山本七平氏は、「聖書の旅」の中で、この地を訪ねた事を書いている。ここはユダヤ戦争の初期、紀元67年頃、北部のユダヤ軍の司令官ヨセフス(後のフラヴィウス・ヨセフス)がローマ軍に降伏した場所である。ヨセフスの「ユダヤ戦記」によれば、ヨタファタの砦が落城した時、ヨセフスは40名の部下と共に付近の洞穴に隠れる。密告によってローマ軍に囲まれ、降伏を勧められるが、ユダヤ人達は死を選ぶ。但し、自殺はユダヤ教で禁じられているので、くじを引いて一人づつ殺していく方法をとった。ヨセフスによれば、最後に彼ともう一人になった時、相手を説得して、ローマ軍に降伏したと言う。ヨセフスは後に「ユダヤ古代誌」、「ユダヤ戦記」等の貴重な文献を残し、ローマ市民権を得て、ヴェスパシアヌス、ティトス二代の皇帝に仕えた歴史上の重要人物である。このくじの一件はどうもその儘では信じ難い。つまり、ヨセフスが何等かのトリックを用いたのか或いは「ユダヤ戦記」の記述には脚色があると思われるのだが、確かめ様もない話である。尚、山本七平氏が訪れた処、紀元1世紀にヨセフスがひそんだと思われる洞穴はその儘の形で残っていた由である。
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◎ 仏訳:ポケット論語 (27)       柴田 雅寛 (63歳)
 第25章 事君数。斯辱矣。朋友数。斯疏矣。

●訓読
君に事(つか)えて数(しばしば)すれば、斯(ここ)に辱められ、朋友に数すれば、斯に疎(うと)んぜらる。(里仁第4−26)
…………………………………………
●現代語訳(宮崎市定)
君に仕えてしつっこくしすぎると、腹をたてられる。朋友に対してしつっこくしすぎると、嫌われる。
…………………………………………
●仏語訳(柴田)
Si vous exagerez les services que vous rendez a votre superieur, vous serez humilie. Si vous exagerez votre presence aupres de vos amis, vous en serez rejete.

Cf. Comparez ce chapitre avec un proverbe Confuceen sur l'amitie :
<<L'amitie du gentilhomme est douce comme l'eau; l'amitie du petit homme est sucree comme le nectar.>>
…………………………………………
●参考英訳(Chichung Huang)
Serving the sovereign intimately brings humiliation ; associating with friends intimately brings alienation.

cf. Compare the Confucian proverb on friendship : ≪ The gentleman's friendship is as bland as water ; the small man's friendship is as sweet as nectar. ≫
…………………………………………
● MY COMMENT

竹内均氏の解説:
「ほどほどの頃合いを間違えると命取りになる! 人に仕えるにも、友人と交わるにも、物には<ほど>というものがあり、これを礼という。もしそのほどを過ぎて主人にうるさくすれば、自分では誠心誠意尽くしているつもりでも、かえってうるさがられて辱めを受けることにもなる。友人と交際するにもうるさくつきまとえば、自分では親切のつもりでも、これまたうるさがられて敬遠されてしまう。
かの荘周が、<君子の交わりは、淡きこと水の如し>と言っているが、たいへん味わいのある名言である。」

将に至言である。私自身も、常に<過不足のない礼>と<淡々とした交わり> を心がけているが、言うは易しく、行うのは難かしい。
…………………………………………
●論語こぼれ話

孔子とキリストとソクラテス
<宮崎市定著「論語の新しい読み方」より>

『嘗てユダヤの民は古の預言者の言を信じて、しきりに天国の到来を望み、それが遂に実現しそうにもないのを見て,憤り絶望に陥った。そこへキリストが現れて、汝の心の中に天国を立てよと教えた。ここに天国は新しい解釈を下され、天国は人類と共に蘇生したのである。そこにキリスト教が発生した。
同じように孔子によって、学問が新しい解釈を下された時、そこに儒教が成立したのである。孔子の道は神の道でなく人の道であった。信仰に対して道徳を説いたものであった。

西洋ではソクラテスが天上の学を地上に引き下ろしたと言われ、倫理学の開祖と仰がれているが、東洋では孔子が丁度それに相当する。孔子こそは実に神の道を人の道に引き下げた人であったのである。』
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●フランス語ひと言コーナー

「アジアとヨーロッパとアフリカの語源」
安岡正篤著「朝の論語」に次のような面白い話を見つけた。
『西洋は、ヨーロッパでも中央ヨーロッパから北へ行くほど実に日差しがない。確かに日本はそれに比べると日出づる国であり,先方は日没する国であります。ヨーロッパとアジアといふ言葉の語源をいろいろ学者がいろいろ詮索いたしてをりますが、よく知られてをる説に従いますと、ヨーロッパという言葉はヘブルーのエレブ(ereb)といふ言葉から出てをり、アジアはアズー(asu)から出てをる。エレブといふ言葉は日のないところ、日差しの薄いところ、アズーは日の出づるところ、日のさすところといふ意味だと申します。』

早速、アジアの語源と言われる(asu)について調べたところ、BC2350−2180にバビロン北部に栄えたアッカド(Akkad)時代のアッカド語(Akkadian)でto go out,rise の意味であることがわかった。
それ以降、(ASU) >> ギリシャ語(ASIA)>> ラテン語(ASIA) >> 中世英語(ASIA)となった。

他方、英語語源辞典を調べてみると、ヨーロッパは次のように変わっていったと書かれている。
ギリシャ語(EUROPE エウロペ)>> ラテン語(EUROPA)>>フランス語(EUROPE)>> 英語(EUROPE)
ギリシャ語(エウロペ)はギリシャ神話の中に顔を出す。ゼウス(ローマ名:ユピテル、英語名:ジュピター)が、フェニキア王女の娘エウロペに恋をして、雄牛になって近づき、クレタ島に連れ去って、そこで結婚したという話である。

ヘブルー語のエレブ(ereb)のことは、更に調べてみたいが、百科辞典(Britannica2001)に、次の説明を見つけた。
『 Europeは、古代ギリシャ人が、AsiaとLibya(北アフリカ)と対比して命名したものである。Europeの語源については、以前は、sunset(日が沈む)と解釈されていたが、最近では、mainland(本土)という解釈に変わった』と。

「日が沈む大陸」では縁起が悪いから、歴史学者が「(グレコ・ローマン・ヨーロッパ文明の)本土」という語源をでっち上げた可能性も高い(?)。アジアにも中華と名のつく国があるが、欧州にも「(アジア・北アフリカに対して)中華大陸(mainland)」があるのである。そう言えば、極東にも西暦7世紀の半ばに「日の出づる国」と称した島国があった。

最後に、アフリカについては、百科辞典ブリタニカによれば、古代ギリシャ人は、リビア(Libya)と呼んでいたが、古代ローマ人は、アフリカ(Africa)と呼んでいた。これはラテン語(aprica=sunny)あるいはギリシャ語(aphrike=without cold)から来たらしい。
更に、アフリカという呼び名は、アフリカ大陸の北岸を表わす意味で使われ、実際には、ヨーロッパの南部の延長と見なされていた。従って、古代ローマの統治時期には植民地の南部を 「Afriga」 あるいは「Afrigsの土地」と呼ばれていた。これは、カルタゴの南に居住していた原住民ベルベル族が 「Afrigs」 と呼ばれていたからである。

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◎ 海のシルクロードを西南へ(スリランカ・第9回)大竹 漠洲(61歳)

"スリランカではサリーを着ている女性は少なく、男性も民族服サロンも地方のみです"

 インドの女性達にとっては、サリーが外出着であり作業服でした。野良仕事も工事もサリ−姿でした。カーストの上級階級は、好みのサリーをいろいろと持っていますが、下級の貧しい層は、一生2枚のみのようです。インドで女性がサリーを着用するのは、ヒンドゥ−教徒としての、アイデンティティが必要なのです。

 しかしスリランカでは、サリー姿の女性を探すのが難しいくらいです。日本で普段の日に和服姿の女性に出会わないのと同じです。スリランカを旅していてサリーを着用している女性には、ある条件があることに気が付きました。その条件とは、地域、年齢、職業です。都会でも、農村でも、高齢女性はサリーを着ていますが、農村の方が多く見られました。それから国家公務員の多くも着用しています。生徒達を引率している小中学校の先生とは、仏教遺跡でよく出会いましたが、全てサリーを着ていました。きつい階段も岩もその姿で上っていましたが、裾を踏みつけそうで苦労していました。また同じ国家公務員である国会議員や、銀行員もサリーを着用していました。

 サリーの着方は、インドと若干違うようです。6mの長さのあるサリーとブラウス・ペティコートは同じですが、腰の周りに巻きつけたサリーの一部を布ヒダにして外に出し、お洒落に飾りとしています。年齢の高い女性がサリーを身につけていますから、色彩も渋く落ち着いた感じがします。因みにスリランカのスチュワーデスのサリーは、孔雀の羽をデザインしたもので色彩は派手でした。
 スリランカに関する本を読むと、サリ−着用の歴史は長くありません。イギリスから独立した時に、インドと同じく反英国主義を鼓舞するために国家が奨励して着せたそうです。従って50年程度の歴史しかないのです。

 男性はサロン(サラマ)とズボンに分けられています。都会ではズボン派が圧倒的に多く、キャンディという古都でキリスト教のイースター祭のミサに出会いましたが、参列していた男性は全てズボンを穿いていました。"ズボンを穿く"ということは、植民地時代に"英語を話す"と同意語であり、当時のスリランカでは西欧化されたエリートとして見なされていたそうです。小さな町や農村に行くとサロン(サラマ)姿の男性が多くなり、この姿で商売や農作業をしていました。仲間も早速買ってサロン姿で旅を続けていましたが、湿気が多い低地では快適な様子でした。

 サリーは6mの一枚の布ですから、どんな体型でも対応できる利点があり、着物とは違います。この利点を活かしてスリランカでは、サリーを代々母から娘が受け継いでいく伝統があるそうです。それに子供から娘になる成女式には、親や親戚が家に伝わるサリーを娘に着けさせる習慣があります。身に付けた娘は、自然と女性としての自覚が出てくるそうです。成人式を何か勘違いしている娘達が多くいる日本から見ると、スリランカは羨ましい限りです。

"スリランカの香辛料の産地は、高地にあってあらゆる種類のものが見られる所です"

 シーギリアから古都キャンディに至る道路は、スリランカの中央を南北に貫いている幹線道路です。南に向かうほど高度が増していきます。古都への途中にある街、マータレーはスリランカで有数の香辛料の産地です。古くはポルトガルの時代から既に知られ、オランダからイギリスへと支配権が移るにつれ大規模なスパイス・プランテーション農場へと拡大していきました。

 かつてインドとスリランカでは、黒胡椒とカレーパウダーであるターメリックの二つが、自生していた代表的な生産物で、現在のように多種類の香辛料は、収穫できませんでした。イギリスの植民地になって以来、モルッカ諸島やボルネオ、スマトラからたくさんの香辛料の種や苗が移植され、交易商品として育てられてきました。

 丁度昼時にマータレ−の街道筋にあるスパイス・ガーデンに到着しました。ここでは、香りが良く、程ほどに辛い田舎料理を味わいました。建物はオープンスタイルで、熱い身体に冷えたビールは最高です。しかも香辛料でHOTになった口の"泡消火"としての効き目もありました。スパイスの利点は、暑くて食欲を失った時でも食欲を増進し、塩分の多い料理と違って食べたあとでも喉が渇かないという所にあります。
 
 食後に日本では見ることの出来ない香辛料の樹木や実の説明を受けました。「海のシルクロード」の主役たちである「黒胡椒」「グローブ(ナツメグ)」「丁字」の顔をマジかに見ることが出来ました。「海のシルクロード」の旅を中国・抗州から始めて、香港・広州・ベトナム・マレー半島・南インド・モリジィブそしてこのスリランカと続けてきました。この旅を通じてマーケットや農園で数々の香料や香辛料に出会って、香(辛)料について一つの仮説が出来ました。この主役である香(辛)料は、南アジアから東南アジアに限られています。そして古くからヨーロッパではでは「香辛料」が好まれてきましたが、一方東アジアでは「香料」を用いる習慣がありました。その結果その中間に位置するインド・スリランカはその両方、つまり香(辛)料を使うようになったということです。

 神仏に接する際に、ベトナム・インド・スリランカでは、汗や垢によって強くなった体臭を清めるために、古くから沐浴したり香木を焚くことが習慣として行われてきました。この香木は、インドで「白檀」「伽羅」、ベトナム・マレー半島で「沈香」といわれ、非常に希少価値のあるものです。昔からインド商人や中国商人が中心となってインド−東南アジア−中国との間で取引されてきました。香木を粉にしたのが香料です。この香木が宗教的な意味合いを持つようになった時期は定かでありませんが、宗教の東漸・南漸とともに「香木」を焚くというという習慣も伝わってきたはずです。地域によって「香木」の焚き方が大きく変化していきました。中国や日本には線香として伝わりました。マレー半島の仏教寺院では、傘のような大きな線香が焚かれていたのを見ました。一方スリランカやインドでは見ません。
 
 結論としては、「香辛料」とはその文字が示すが如く「辛い」香料です。そして辛くないのが「香料」ということになります。しかも口で感じるのが「香辛料」であり鼻で感じるのが「香料」です。如何?
キャンディは、2000mの高地にあります。バスが高度を増していくにつれて車内も涼しくなり、「香辛料」と「香料」の違いについて考えているうちに突然、睡魔が襲ってきました。

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◎ 盤上遊戯 ― 囲碁散歩 (24)―     小俣光夫(65歳)
  囲碁ゲームの起源(7)  囲んでコマを捕る(続)

<お二人の方からメールでコメントをいただきました。>
・小生は、(日本の)囲碁は基本的には「陣取りゲーム」だと考えており、包囲するのはまず獲物(相手)ではなく自分の領域だと思います。そして自分の領域にしたいと思っている所に相手が入り込もうとすれば、やむなく相手を排除する(殺す)という手段をとることもある、というものなのではないでしょうか。 (A.Tさん)

・平本弥星6段の「囲碁の知・入門編」P88では「将棋は、最も進化した包囲ゲームといえるでしょう。包囲ゲームは・・・」とあり、また囲碁については「碁も古代の包囲ゲームから生まれたという説(増川宏一『碁』)があります。けれど私は碁が包囲ゲームの一種であるとは思えません。石取りゲームを考えるとわかるように、碁は包囲ゲームとしては成り立たないのです。」例えば・・・といった様に続いています。そして植物的な生存ゲームで土地獲得の擬似ゲームではないかと結論付けています。私にはなかなか判断がつきませんが、どれが最も説得力あるか今後がとても楽しみです。(T.Sさん)
     ----------------
 現在、囲碁のルールは中国ルールと日本ルールとで大別できます。日本流は「陣取りゲーム」でり、中国流は「生存している石(コマ)の多寡を競うゲーム」といえます。どちらが囲碁の起源のルールに近いものかまだ未確定です。ぼくは中国ルールが近いのではないかと推測してますが、その裏付けができません。
     ----------------
・現在の日本ルールの囲碁は起源のものからは変質していて、地を囲い合うゲームになっている、と了解していいのでしょうね? 少なくとも日本ルールの囲碁では、相手の石を取るのはゲームの 本質的な目的ではなくて、あくまでも地を取り合う過程において邪魔をする相手を排除するという副次的な手段にすぎないと考えるべきでしょうね。 (A.Tさん)
     ----------------
 そのとおりだと思います。ただし、日本で出版されている囲碁図書には、いかに地を囲うかということより、セメ、シノギ、アツミ、スジとカタチ、サバキなど石(コマ)のせめぎ合いを述べているものの方がが多いようです。といって地を囲うことをなおざりにすると負けてしまう。

 「碁は包囲ゲームとしては成り立たないのです。・・・そして植物的な生存ゲームで土地獲得の擬似ゲームではないか」との平本6段の結論については次のように考えました。
 コマが生存可能なスペース獲得ゲームであるということであれば賛成できます。また、「ポンヌキゲームは習熟すると勝負がつかないので、ゲームとして成り立たない」(平本6段)とのこと。しかし、ポンヌキルールを教えないと囲碁ゲームは成り立たないのも事実ですから、囲碁の発生した時のルールにはポンヌキルールは存在していたはずです。
 このゲームの性格が植物的か動物的ということについては次回にふれてみます。

参考文献:「囲碁の知・入門編」平本弥星 集英社 新書 2001 
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≪ひとこと≫
● 何時も「ネットワークテーブル」は興味深く楽しんでおります。
 今回スリランカの貯水池の話が出てましたので懐かしく思いました。数年前に調査でスリランカへ赴いた際に灌漑用の貯水池の多さに驚きました。ちょうどこれらの池を利用し淡水魚などの増養殖が復活しつつある時で試験場やハチェリーなどを見て回りましたが技術者の育成が追いつかずまだまだの状況でした。一度は日本の援助でフィールドでの研究者が育ったのですが1995年まで数年ほど「仏教徒は不殺生」を表の理由として内水面での漁獲が禁じられたのでこの間養殖の知識や技術が広がらずほとんどの研究者、技術者が別分野に移り内水面漁業が衰退してしまいました。反対する声を抑える道具、恐るべし宗教の名を騙るものと感じました。

 さて、話は変わりますが事務局での翻訳斡旋業? に他言語も入れることが出来るのでしたら中国語はいかがでしょう。中日・日中でしたら私の事務所でも請合えます。ロシア語も複数の友人でプロがおりますがこちらはあまり需要がないでしょうね。(林 英一 65歳)

☆熊谷保守新党総裁の誕生、小泉首相の失言問題と、政党政治への失望感が益々高くなる。選挙が近いということで国会へ出席しない国会議員が増えているようだが、日本の 政界は末期的症状にあるようだ。政治変革への今後の期待として、政治評論家の森田さんは、インターネットという新しいツールの出現をあげていた。韓国大統領選が参考に なると指摘されたが、日本の若い人たちへの期待と同時に、シニアも積極的に行きましょう。(T.T 65歳)

☆ 朝日のWEB(asahi com 03.1.30) によると、北朝鮮「労働新聞」が「呼称問題で朝日新聞を非難」しているそうです。まあ、こういうことを朝日が記事にしたこと事態、驚きというか隔世の感あります。NHKも朝日と共同歩調をとってか、今年から「北朝鮮(北朝鮮民主主義人民共和国)」という呼称をやめ、「北朝鮮」と放送していますね。(藤田 暢明 63歳)

☆ 有料老人ホームの管理者を経験した友人の話、「老人ホーム入居の選択基準」は、経営基盤の確実なことと食事のよいことだそうです。分譲と使用料方式とがある。都会がよいか田舎か、これは好みの問題。介護施設・条件を重要視すぎないこと。実際に重度の介護をうける割合は、7〜8%。介護保険料の算出根拠も同じとのことでした。(O.M 65歳)

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● 世事有情

☆ 今年は,首都圏各地で区切りの「周年」事業が行われると先日の新聞にありましたが、とかく沈みがちな世の中、おおいに盛り上がってもらいたいものです。予定されているのは,次のような行事です
・江戸開府400年
 「桜座(3月)」「寛永寺トーク(5月)」「江戸東京“華”パレード(10月)」「うえの秋の観光祭(10月)」「江戸天下祭(11月)」「江戸・食文化400年(通年)」
・日本橋400年  「全国こども橋サミット(3月)」
・玉川上水開削350年 ・ペリー来航150年 ・日比谷公園100年 
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● 提供情報
■美術展 第13回F・A展
 2002年2月23日(日)〜3月1日(日)
 会場 東京近代美術クラブ新館2F(中央区京橋)11:00〜18:30
 古河電工ゆかりのメンバー(藤田欣也さんを含む)が出展
■ 起業の広告(前回の訂正)
 ◎音声テープからテキスト文に変換(作業受託)
・正)「ボイス リライト M&N」とは
 誤)「テープ リライト M&N」とは
 M&Nとは、松本のMと長沢のNです……
 長沢さんからのメール(2002.2.2):
 <天地シニアネットワーク第79号の中にモロッコへ行ったというレポートがありました。何かとても懐かしくうれしくなりました。私たちは、モスクの中には入ることができませんでしたが、早朝どこからともなくコーランの歌?が聞こえていました。 最後に、仕事が来るのを待っています。>

■ 新聞雑誌から

☆ 会社更生法下で再建中のスーパー長崎屋は、1月から毎月13〜15日、60歳以上を対象に無料宅配などの特典を提供する。期間中、運転免許書などで年齢を確認し,60歳以上に「お元気パスポート」を無料発行。レジで購入額2千円ごとに100円の商品券(翌月15日まで有効)3千円以上の商品(生鮮・冷凍食品除く)は無料宅配。

☆ 東京都は都バスの運行状況を,携帯電話に配信するサービスを1月8日から始める。23区内を走るほぼ全線の129系統を対象に「目的地までの所要時間」や「最寄の停留所にバスが到着するまでの時間」が手軽に調べられる。PHSやパソコンでも利用可。アドレスは http://tobus.jp

■ 有用URL 最近目についた Web サイト
<シニア>
http://www.npoweb.gr.jp/ NPO・市民活動支援組織のサイト
<生活>
http://www.nta.go.jp/ 所得税確定申告その他/国税庁
http://www.tamabi.ac.jp/life/ 多摩美術大学生涯学習講座
http://www.tsk.or.jp/ 専門学校フェア(2/8池袋サンシャインシティ)
http://plaza24.mbn.or.jp/~cosmohp/ ボードゲーム愛好/NPO盤友引力

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● 事務局から
・兪教授(県立長崎シーボルト大学)の主宰する学生による上海研修旅行のお誘いをしましたが、数人の希望者がありましたが、2月の時期が難しく不調になりました。ただ3月スタートであれば、是非行きたいという学生もいますので、上海市友好協会に再度可能かどうか問い合わせ中。
・ 「蕪村の歴史句の名作」 さすが解説していただくとその見事さがわかります。前号で雑誌(芸術新潮2003.2)とありましたがミスで(芸術新潮2001.2)と訂正いたします。
・ユダヤ軍のヨスフスのくじ引は「継子だて」と呼ばれるトリック・パズル(特定の人を最後の順番とする)のようです。
・「ボイス(VOICE) リライトM&N」に訂正。最近、音声の録音媒体はテープに限らず多様化していますので、テープより実態に即しています。
・スキークラブの会長秋山みつ子さん(連盟公認指導員)が2/3事務所に来訪、シニア向けの企画も計画したいとのこと。
・ご意見・書評・感想文など長短にかかわらずお寄せください。
・会報郵送の場合毎月1回プリントしてお届けします。諸般の事情により実費1通分300円と改訂いたしました。 
・振込先:三井住友銀行「神田支店」 (普通)7871532
 テンチシニアネットワーク
・配信不要の場合はご一報ください、中止いたします。
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天地シニアネットワーク事務局 (津田孚人、小俣光夫、小作暁介)
〒101-0052 東京都千代田区神田小川町1−6−21−2F
TEL&FAX  03−3254−7321
E-Mail  tenti@mvc.biglobe.ne.jp
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