1. 私の大学院体験:ケーススタディ

1-3 修士課程時代(後半)

私の取るべき道は、修士を留年しながら論文を書きなおし、別の大学院に進むことを検討することでした。既に大学を二度出ている上に、修士も二度やり直すのは年令的にかなり厳しいのですが、このままX大大学院に止まっていては朽ち果ててしまうのは明らかでした。早速論文の全面的な書き直しの準備をすると同時に、他大学院の様子を探ることにしました。問題はその方法ですが、私は直接教授に合うのが一番でないかと考えました。まず自校の教授に紹介状を書いてもらう。これに論文を添えてねらいを付けた大学院の教授に送る。その後直接合って意見を聞けば、論文の内容についても、なによりその大学院の教授はどのようなものか(もうひどい教授は御免でした)も分かるのではないか。こうなれば一石二鳥です。幸い、他の哲学科の教授に比較すると多少は教育的配慮の見られた哲学科のある教授に相談すると、彼はこころよく紹介状を書いてくれました。こうして私は、まず関西のある大学を訪れました。しかしその結果は大きな失望でした。この大学のE教授は、送った私の論文を読んでいなかったのです。彼は決してそういうことは言いませんでしたが、自分が書いたものなのだから、相手が読んでいるかどうかは中学生でも分かることでしょう。仕方なく読んだほうがよい本などの話を聞いても曖昧な言い方しかせず(そののらりくらりとした態度はB教授のそれとそっくりだったのには強い印象を受けました。どうやらこの雰囲気は「ある種の傾向」を持つ教官に普遍的なもののようです。)、結局関西方面の教授の噂話をしただけで帰るしかありませんでした。帰りに少しは大阪の町を観光して…などと考えていましたが、さすがにそういう気にならず、その足で新幹線に乗り込みました。帰りの地下鉄御堂筋線の中で暗澹たる気分になったのを今でもよく憶えています。少なくともその大学院を受けないでよかった、と考えるしかありませんでした。

これに懲りた私は、次に関西の超一流のK大学を約束もせず直接訪れることにしました。まず学生課を訪れて大学院の試験を見せてもらったのですが、生憎学生証を持っていなかったにもかかわらず、コピーを取るために親切にも試験を貸し出してくれたのには腰を抜かす程驚きました。(学生課がこのような親切な態度を取るなど、外の大学では聞いたことがありません。本当に驚きました。)また研究室では助手の方が対応してくれたのですが、彼は突然の訪問にも快く応じてくれました。(この助手の方は私の事を覚えていてくれて、公的な立場にある彼が直接行うと問題があるので、研究室の学生の方を表に立てて、講義ノートのコピーまで送って来て下さいました。)また彼の話は、論文の読み方など極めて有益なものであって、ここでも素人的だと反省していた自分の態度を再び反省する材料を得ました。また、有能な人に話を聞くことがいかに為になるかを再び感じました。ただし試験の難しさとその採点基準の高さは半端ではなく、私の実力では突破はまず不可能でした。一年間研究生をすればどうにかなるかもしれないが、既に時間を使ってしまっている身としては躊躇するものがありました。

こうやってさまざまな研究者に触れ、他大学の状況をかいま見るにつれ、ようやく私は様々なことが分かりはじめました。前に(自分の論文も含めた)素人論文の様々な欠点について述べましたが、これはこのころやっと理解できたものです。それと同時に、なぜ私が学問の素人の持つような欠点が身に付いてしまったのかも次第に理解されてきました。学問を始めた学生がまず学ぶべきことは、繰り返しになりますが論文をきちんと読むこととは何かを知ることです。これは演習の時間に教授がみっちりと仕込むことであるはずです。指導する立場にあるものはこの訓練を通して論文をきちんと読むこととは何かを学生に教えねばなりません。しかし私の出た演習では学部生を無視して一部の大学院生だけと議論をしたり、学部生のスチューピッドクエスチョンに嫌な顔をして答えない演習や、ただ外国語を訳して、それに教授がぶつぶつと簡単なコメントを付けるだけといった演習ばかりでした。これでは論文をきちんと読むというような姿勢が身につくはずはありません。いや、それ以前にその重要性を認識することすらないでしょう。私は何もいちいち細かくそういう指示を出して手取り足取り指導せよ言っているのではありません。(勿論そうしてもらえれば学生にとっては一番有り難いのですが。)しかしそういう指導もせず、かつ教授自身が行動で手本を示すのでもなければ、一体何が「教授」なのでしょうか。(教授が行動で手本を示しているのにそれに気が付かないなら、それは学生の責任でしょうけど。)もちろん自分の欠点の修正は自分でして行くべきことです。しかし高い立場からそういう点を指摘し、自覚させることこそ教育というもの、教授の役目というものであるはずです。

しかし私の見た教授はそうでないばかりか、まさにこの逆を行なっていたように思います。これについては、今述べたような演習に対する取り組み方以外に次のような事例が挙げられます。彼らは自分の専門以外に、副次的に他の分野へも興味を広げていました。例えば専門はギリシャ哲学だが、分析哲学の様々な議論に首を突っ込んでみたり、キリスト教哲学を専攻しながらプラグマティズムを漁っていたりという具合でした。このこと自体に問題は全くありません。彼らはそれぞれ専門分野で既に一流であり、さらに興味を広げるのは望ましいことであっても非難されるようなことではありません。しかし私のいた大学院では、学問的には専攻分野さえあやふやな学生がそれをまねして、あちらこちらと中途半端に手を出すようになっていました。学問の間口を広げるのも大切ですが、学生のうち(特に修士)はまず専攻分野について基礎をしっかり固めることが大切なのは明らかであるように思います。このような浮ついた態度が、もう一方で論文をいい加減に読むという姿勢を招いたと思わざるを得ません。そして各研究室のトップである教授こそその良い手本になるべきなのは論を待たないことです。私は、各教授はこのようなことについて余りに無責任であったと非難されるべきだと考えています。

こうして私のまわりの大学院生の間には私と同じ素人臭い雰囲気がみなぎっていました。(これもこのころ分かったことですが、私の進んだ大学院の入試は、全国的に見ても非常にレベルの低いもの、言い換えれば非常に通りやすいものだったようです。他の大学院に落ちてX大には受かったと言うものも多くいました。)身の回りに良い手本が一つもないということは非常に恐ろしいことです。まわりがすべて駄目なら、自分が同じように駄目でもそれに全く気が付かないのです。逆にまわりに良い手本があるなら、自然にそれを真似して次の良い手本が育つものです。私も、他大学の優秀な教官や助手から私の欠点を気付かされて、はじめて自分のレベル、X大大学院という学習環境のレベルを認識できたのです。外部の人と触れることの無かった学部や修士前半の当時は全くそのようなことは分からなかったのです。自分の状況が理解できてくるにつれ、私は一層必死に他大学への道を探り続けました。しかしそうするうちに別の問題が生じてきました。

大学院に学ぼうとするものにとってある意味で決定的なのは、経済的問題です。大学院で学ぶのに必要な経費は、授業料、その他の学費、生活費に分けられるでしょうが、いずれもかなり高額なものです。特に私立に進んだ場合は授業料の大きさに圧倒されてしまいます。また、文系の場合殆どの書籍は自費で購入するしかない点を忘れてはならません。(これについては、所属大学の図書館の質によるところが大きいと思います。)生活費については、かなり切り詰めるにしても最低限のものは出て行くし、都市圏での家賃の大きさは異常なものがあります。(生活費に関しては自宅通学生は猛烈に有利です。)総合的に考えて、毎月大学初任給の六〜七割程度の収入がないとかなり苦しいというのが実状でしょう。その程度の金をアルバイトで稼ぐのは不可能ではありません。しかしそれでは、よほどの努力家を除いて勉強に差障りが出るはずです。もちろん救済策は用意されています。それは、授業料免除と各種奨学金です。しかし私立では授業料免除は難しいし、国立でも、誰でもが容易に免除になるわけではありません。一方奨学金ですが、金額、返還義務の有る無しで様々な種類があります。当然額が大きく、返済義務のないものほど競争は激しくなります。奨学金のなかで最もポピュラーなのは日本育英会のそれです。これは金額もまあまあだし、就職後一定期間指定された職に就けば返還は免除になります。採用人員も非常に多いし一見良さそうに思えます。しかしこれにも問題があります。それは、大学院修了後一定期間内に就職しなければ返還せねばならず、しかも一度返還を開始したなら、その後就職したとしてももう返還は免除されないという点です。問題は、現状では定められた一定期間(非常勤をしなければ2年、非常勤をするなら5年)内に就職するのがほとんど不可能になっている点にあります。つまり実質的にこの奨学金は返済義務のあるものになっているのです。非常勤をしながら返済をするのはかなりきついはずです。それでももらわないよりもらったほうが良いということは言えます。多分、この奨学金を受け取り、その一部だけを使うというのが一般的な大学院生の姿でしょう。自宅外通学の場合、首都圏でない限り、授業料免除を受け、日本育英会の奨学金を受け取っていれば、学業に響かない程度のアルバイトだけでどうにかやって行けると考えられます。

私の場合、早くに父を失ったため、経済的には恵まれてはいませんでした。(もっとも中途半端に貧乏であれば奨学生にも採用されず、授業料免除もきかず、より苦しくなっていたでしょうが。)しかしそれでも必要な金銭を稼ぐということはかなりの負担でした。特にこたえたのが修士を留年して今後の対応を模索している間でした。留年中は当然奨学金は支給されません。授業料は休学することで払わずに済みました。また奨学金の一部は貯えていましたし、必要な文献は既に購入していたものの、生活費に加えて他大学院を訪問する費用一切を稼ぐ一方、論文そのものを書き直さなくてはならなかったのですから、時間的にも精神的にも生活はひどく辛いものでした。やがてそのうちに、経済的にとても他大学院へ進める状態ではないことが次第に明らかになってきました。引っ越しや敷金・礼金などの費用はどうするのか。試験に落第して研究生をするにしても、再び修士に入り直したとしても、もはや日本育英会の奨学金は出ません。(複数回大学、大学院に在籍したとしても、日本育英会奨学金はそのうちの一回しか支給されません。私は既に修士課程で奨学金を受け取っているので、もう修士として奨学金を受け取ることはできません。)さらに、知人も居ない移った先で生活費を賄えるだけの仕事口があるのかは確実ではありません。後先考えずに移って、ああ仕事がなかったでは生活できません。首都圏に出るにしても、関西圏でも、物価はここより大幅に高くつきます。学内にはこのようなことを相談する人は誰もいませんでした。論文の審査についても、例え私があの教授は信用できないと主張しても誰もそれを信用するはずはありませんでした。(もちろんそんな無駄なことはしませんでしたが。)一体誰が大学教授が言うことより一学生が言うことの方を信用するでしょう。私は完全に追い詰められていました。

このようなことを正直に言うのには抵抗がありますが、この時期私は精神的にバランスを崩しかけていました。多分欝病になりかけていたのだ思います。毎日暗い気持ちで頭がぼんやりして何もする気になれない。しかしその中でも論文を書き、なにより生活費を稼ぎに行かねばならない。これはひどく辛いものでした。こういう状態ですから、その頃アルバイトで一緒した人々にはひどい迷惑をかけていました。さらにそのことの自覚が再び気持ちを暗くするという悪循環でした。一方一度も生活費稼ぎのアルバイトをしたことがなく、すべて親の仕送りで生活しているという大学院生もいました。彼はいかにも「軽やかに知と戯れている」という風に見えて、非常に羨ましかったのを覚えています。こういう恵まれた人は少ないにせよ、貧乏人の子弟が大学院で研究を続けるのは多くの困難があることは覚悟するべきです。貧乏は、研究時間、必要な文献だけでなく、精神的余裕迄も奪ってしまいます。さらに私は、明らかに精神がおかしいという自覚がありながら、病院に行くことさえできなませんでした。その経済的余裕がなかったのです。幸い現在どうにかなっていますが、あのまま状態が悪くなっていたら人生そのものが失われていたかもしれません。これでは何の為に大学院に進んだのか分からないではありませんか。こうして修士の3年目も虚しく過ぎてゆきました。

しかし私の大学院生活で最初で最後の好運が訪れました。翌年例の分析哲学のA教官が海外留学することになったのです。御承知のように海外は秋から新学期が始まります。つまり大学院入試の時期はA教官が居ない時期にあたります。私はさらに一年留年をしてこの機会を待ち、同じX大大学院の博士課程に進むことにしました。そうしても、これまで同様学問的には得るものはないことは分かっています。しかし精神的にほとんど限界でした。とにかく博士課程に進学して奨学金がもらおうと思いました。そうすれば様々な点で精神的余裕も出てくるに違いありません。その段階でまた別の対策を考えようと思いました。この計画に合わせて論文もかなり変えることにしました。まず主題を「出来事」から「因果関係」に変えました。こちらの主題は、およそ哲学を専攻するものなら、それがギリシャであろうとスコラであろうと近代哲学であろうと誰でもが何がしかの見解を持っているものです。このような主題を選んでおけば、ある教官にはその内容が全く分からないと言う状況を避けられるはずです。また、そのアプローチは分析哲学の手法を用いるのですが、なにしろ専門外の人ばかりが読むのですから、取り上げた論文の解説を大幅に増やし、背景説明を充実させねばなりませんでした。多分専門外のすれ違い的質問が出て結局落とされてしまうかもしれません。しかしそれでも再び例の分析哲学のA教官から、背景も知らず、論文もよく読まずに罵詈雑言を受け、専門家の言うことだからとそれが信用されて落とされるよりよほどましです。こうして結局修士を4年やった後自校の博士課程を受けました。論文審査ではよく分からないやり取りがあった後、結局合格となりました。審査の際、例の手抜き教官Bからは、お前の論文は膨大な翻訳にすぎないと言われました。専門外の人間が読んで分かるように背景の解説を詳しくしたらこのざまです。しかしそんなことは、とにかく奨学金がもらえるようになったことで精神的に非常に楽になったことを考えると取るに足らないことでした。いやはっきり言うと、楽になったどころではなく、私は「救われた」のです。もし失敗していたら、精神の限界を越えていたに違いと思います。

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