4. 追記

4-2 カウント5000のタイミングで


(1) これから先輩の意見を聞く人のために

これから大学院へ進もうと考えている方の中には、直接目標とする大学院を訪れて、その構成メンバーに直接意見を聞いてみようと考えている人も多いと思います。そういう方のために大切なことを書くのを忘れていましたので、ここに追加します。私自身他大学院を探訪してはじめて知ったことですが、大学院と言う所は、構成メンバー等をはじめとする様々な要因によってその雰囲気や事情が非常に大きく異なるものです。しかしながら一般的に言って大学院生は非常に狭い世界で過ごしている上に発想が硬直したものが多く、自己の置かれている雰囲気や事情を一般化しがちです。当然でも普通でもないことについて「そんなの当然。普通そうでしょ?」と言ったり、普通のことに対して「そんなこと見たことも聞いたこともない。普通違うでしょ?」と言う大学院生は非常に沢山います。しかし本人はそれが極度の局所でのみ成立していることだとは夢にも思っていません。(もっともどうしてもその研究室に進みたいなら自分もそれを受け入れざるを得ません。そういうときにはそれが極度の局所的ルールであると知っていることでかえって辛さが増すことがあるかも知れません。)さらに、一般に人は自分が受け入れたくない不快なことに対して、その存在そのものを否定する態度に出るのが普通です。大学院生の中にも自分の環境の中の矛盾や問題点を感じながら、それを肯定する苦痛や苛立ちから逃れるために、本能的に「そんなものは存在しない」「そんなはずあるわけが無い」「そんなことを言うやつは変だ」と主張するものが多数見られます。また大学院生の中には一般社会的に見てその精神状態が正常とは言いがたいものも散見されます。更に助手ともなると「立場」と言うものが生じ、確信犯的に嘘を言う場合さえあります。つまり大学院生や助手の意見を聞いたとき、それは、本当のことなのか、当人の知識や経験の限界から生じる無知からそうだと認識されてはいないが、実は局所のみで成立していることなのか、逃避と言う心理的メカニズムによって生み出された嘘なのか、単なる狂気なのか、確信的に語られた嘘なのかを見抜かなければならないということです。これから大学院を選ぼうとし、私のように方々の大学院を尋ねて様々な大学院生や助手の意見を聞きたいと思っている方は、このような可能性を常に忘れないようにしなければなりません。

もちろん経験による限界があるということは私自身にも当てはまることでしょう。例えばもし私が理科系を卒業しただけだったら、ステューピッドクエスチョンに答えない教授がいると聞いたら「そんな教授いるわけない」と口走っていたかも知れません。本サイトを私の体験記から始めた理由の一つは、そういう意味で本サイトの作者の限界を明らかにすることで、読者により公正な判断材料を提供するためです。(またこの部分は自分が己の愚かさに次第に気が付く過程であり、一酸化炭素中毒のように「まずいと気が付いたときはもう遅く、体は動かないままじわじわと死ぬ」という恐さを後進の方へ伝えたかったという意図もあります。)本サイトを読む方は、私自身自分の置かれていた環境の極めて特殊な事情を一般化してしまっている可能性が大いにあることも念頭に置いておいて下さい。

しかし体験記を載せたのは決して私怨を晴らすためなのではありません。もし私怨を晴らすのが目的なら、本サイトの理科系版と言うべき某サイトのように実名一歩手前の書き方をしたでしょう。一部では本サイトはいわゆる「告発サイト」に分類されているようです。私もいくつかのそのようなサイトを見たことがありますが、「告発サイト」の目的は「私怨を晴らすこと(あるいは同情を乞うこと)」と「社会に警鐘を鳴らすこと」の二つに分かれると思います。本サイトを作成するときには、あくまで「警鐘を鳴らすこと」を目的としたものであろうと努力してきたつもりです。具体的には、「警鐘」は結語の部分に集約されています。「(大学院には)行ってはいけない。行くのなら十分に情報を持て。」ということです。これまで小数派であったが故に個人の問題(本人の無能)にすり替えられて終りにされていた大学院の問題が、官僚の独善と大学人の保身によって生じた大学院バブルとでも言うべき状況と少子化に伴うポストの激減によって、社会問題として顕在化するのは時間の問題だと思います。私はその実情が広く知られるまでにその被害者をできるだけ少なくしたと思って本サイトを立ち上げました。まあ正直言いますと、最初(まだインターネットが普及していなかった頃です)に書いた本サイトの前身は、自分の気持を整理するための私的覚書で、私怨だらけのものでした。そして現在私自身は大学や学問から遠く隔たった所に居り、大学や学問の将来やこれから大学院に進みたい人がどうなるかには全く関係ありません。従って、これらを冷笑しながら横目で見ていることもできました。しかし時間を置いてこの覚書を眺めてみると、まだ大学院と言う特殊な世界の特殊な事情を知らない後進の方にとって有益だと思われる情報も含まれるのではないかと考えるようになり、大幅に書き換えて出来上がったのが本サイトです。私の経験した過去は、真面目にきちんと大学院で研究を進めている(いた)人から見ると唖然とする程程度が低くく、本来恥じて隠すべきものです。それを公開するのも、これがわずかでもこれから人文系大学院に進む人に役立てるならばと考えたからです。その際に「私怨」に相当する部分はできるだけ排除したつもりです。これに成功したかどうかは分かりませんが、どうしても怒りを押えて書くことになりがちでしたし、また事の性格上ユーモアを交えることも控えましたので、押し殺したような読みにくい文体になっているように思います。そうであるとすれば、どうか御勘弁頂きたいと思います。

しかしながら、そもそも本サイトそのものが、絶望に追いやられた数人のOD達が怨念からでっちあげたフィクションである可能性も否定できません。インターネットというものはそういうものでしょう。その場合「私」の個人的な愚かさや、「私」の私怨は単なる作り話に過ぎず、これに情緒的に反応するのは愚かなことでしょう。しかしたとえ本サイトがまったくの作り話であったとしても、それによって本サイトが無価値となるとは思えません。 本サイトの目的はあくまで「これから人文系大学院に進む人のために」役立つ情報を提供することであって、それがフィクションであれノンフィクションであれ、それを用いることでこれから人文系大学院に進もうとする人が何らか利益を得て頂けたのなら私の意図した目的は達成されたと言えます。例えば私(私達?)の体験(でっちあげの?)も「地方」「貧困」「愚か者」等のハンディがあった場合の一事例として見て頂ければ良いのであって、首都圏の裕福な家庭出身の賢明な方や他のハンディを抱える方にはほとんど役に立たなかったり無縁だったりするものなのかもしれませんが、私と同じハンディを持つ人には有益な情報であると考えます。一部のハンディを共有する方は有効な部分だけを活用すれば良いことです。私(私達?)の私怨(グループ怨?)はどうでもよい話です。本サイトの目的は一貫して「これから人文系大学院に進む人のために」(本サイトは、既に大学院に在籍しておられる方は読者として想定していません)情報を提供することであって、私個人の私怨を晴らすことでも同情を乞うことでもありません。(…が完全にそう切り離せるものでもない、というのも事実ですが。)

4 追記:目次


表紙