「なんだい君頭を抱えたまま逆さまになり脚を前後に大きく開いてつむじを支点にぐるぐると回転したりして。なにかあったのかね」
「ああ博士、私はこともあろうに『だし』と『爆竹』を間違えて入れてしまったのです。おかげで鍋がドンパチパチ、ドンパチパチと激しくスパークしております」
「そうか。それで君は何を作っていたのかね」
「みそ汁であります大佐」
「なるほどみそ汁か。ということはみそはちゃんと入れたのかね」
「いや今はそれどころではないのです閣下。鍋がスパークしているのです」
「いいから私の質問に答えなさい。みそ汁を作っていたということは中にみそをちゃんと入れたということだ。そういうことでいいんだね君」
「わかってください課長。目下の所の問題は『みそ』ではなく『だし』なのです。事は一刻を争うのです」
「何度も言わせないでくれ。私が聞きたいのは何よりもまず最初に『みそ』のことなんだ。みそ汁を作る際にその本質たるみそを忘れることなくちゃんと入れたかどうか。これは一見些細なことであり改めて確認するまでもないようなごく当たり前の事でもある。しかし私はあえてそうしたことにこだわっていきたい。みそ汁にみそを入れたか。これは本質的なことであり、本質的であるがゆえに見落としがちなことでもある。毎回毎回確認を入れるのは大変なことであり面倒なことでもあるがそれは決して忘れてはならない重要なことだ。私は常にその重要なことを自分へと戒めていくことを忘れないようにしたいし、現にこれまでも出来る限りそのように生きてきたつもりだし、またこれからもそのようにして生きていくつもりである。まず何はなくともみそ汁にみそを入れたか。君の言う『だし』やら『爆竹』やらのことはあとでいい。先ずは私の『みそ』の質問に答えなさい。その上で君の『だし』や『爆竹』の話を聞こうじゃないか」
「いやだからそうではないのでありますキャップ。事は一刻を争うのであります」
「まだわからないようだね。いいかい勘違いをしないでくれ。君がどれだけ重要視しているのかは知らないがはっきり言って本質的には『だし』や『爆竹』のことなどどうだっていいのだ。事の核心、肝心かなめはただ一つ、君がみそ汁を作っているというその鍋の中にちゃんとみそが入っているかどうかということだけなのだ。そのように、事の本質というものは元来常に単純なものだ。しかし単純ながらにその本質を実行することは実は最も難しい。ここが私たちがいつでも見落としがちなことなのだ。事の単純さに惑わされ、ついついそこをおろそかにしたまま他の具体的な問題の方へ目が行ってしまう。しかしそうではないのだ。事の本質、肝心かなめの核心こそが唯一無二の最優先事項であり最重要実行事項なのである。まずは、そして全てはここを押えることなのだ。逆に言うならそれさえ怠らずに堅実に行っておけば他の周辺の些細な事どもなど、自動的に破竹のごとくなるべしである。これは私が長年かけ、確信をもって築き上げてきた哲学だ。私にだってプライドというものがある。私はこの哲学だけは誰にも譲るつもりはない。君がまず私の質問に答えないつもりなら、私としても断固とした姿勢を貫かせてもらうぞ」
「あああああ。こうしている間にも鍋がドンパチパチ、ドンパチパチと激しくスパークし続けている。一体将軍にはどのように申し上げれば事の重大さをご理解していただけるのだらう」
「何を頭を掻き乱し毟り取った頭髪の束を鼻から口に通しそれを前後にリズミカルにスライドさせつつヨガのポーズを決めその直後に自分の力では外せないことに気付き股関節脱臼の兆候に怯えながらも両手を捕らえられたハチドリのごとく時おり実際に2、3センチメートルほど宙に浮き上がるほどあわただしくはためかせながら訳の分からないことを言っているのだ。まさか君、そのみそ汁を作っているという鍋の中にみそを入れていないというのじゃあるまいね?」
「ま、まさか。みそ汁には通常、みそを入れるものと相場が決まっております現場主任。断じて」
「私は通常の場合の話をしているのではない。今の場合の話をしているのだ」
「ならば教授、今御自らの御手によって御味見を御なりなさったら御よいでは御座いませぬか」
「なるほど。どれどれ」
「私も。どれどれ」
ドンパチパチ、ドンパチパチと激しくスパークする鍋の中に指はおろか頭から丸ごと身体を突っ込み無間地獄にて汚物の沼に浸かり世にも恐るべき必死の形相で汚物を貪り喰らう亡者どものごとくみそ汁を喰らう二人。しばらくして鍋の水面に浮かび上がり
「・・・なるほど。みそ味だ」
「みそ味です」
「しかし汁ではない」
「いかにも。汁では御座いません」
「分からない。私はすっかり分からなくなってしまった。君、私はすっかり分からなくなってしまったよ。これは確かにみそ味だ。しかし汁ではない。ということはつまりみそ汁ではない。みそ汁ではないのだとしたら私のこれまでの哲学はどうなる?そして一体これは何だ?何だと言うのだ?」
「だから言ったでしょうお父上。問題は『みそ』ではないのです。ようやく観念なさったようですね。ふふふ今度は私の番です覚悟なさい」
ドンパチパチ、ドンパチパチと激しくスパークしながら回転し始める鍋。舞台暗転。
場面は変わり真っ白で何もない広大な部屋。
中央に木魚。
しばらくして木魚は喋りながらひとりでにポクポクと音を鳴らしだす。
「お寺の和尚さんが叩いているのは、木魚」
ポクポク
「木魚」
ポクポク
「木魚」
ポクポク
「木魚」
ポクポク
・・・