日本人のトーテム

                              今野 哲夫
 中伊豆町には環状列石がある。環状列石は世界中に大小様々にあるようだが、我が国の場合は北海道から東北に多く発見されたという。時代は縄文といわれるから数千年前であろう。
 数千年前の人々はそこで何をしたのだろうか。
 昔から人々は石には神霊が宿っていると考えてきたらしい。岩石を信仰の対象とする傾向は世界的にどの民族にも認められることであろう。
 我が国ではどうか。石器にはじまり石でいろいろな物を造ってきた。神籬は元は比較的大きな丸いような三角っぽいような石を祀ったものということもあったらしい。これは獣の内臓の形だともいう。脳、心臓、肝をイメージしたのか。磐座、磐境という構築もある。神社の原形とも考えられている。磐境の遺跡は玄界灘の小島にみられるがこれも一種の環状列石である。(もちろん造ったのは縄文人ではないだろうが)
 他にも、大きな石を力自慢が抱き上げてその重さで願成就を占う「伺い石」の儀式、川中の石を動かして雨乞いする「雨降石」、妊娠を願う「孕石」、子供が産まれたらそれを祝う膳に小石をのせる「依代」などがすぐ思いつく。大瀬崎の大瀬神社には小石をたくさん俵に詰め込んで海で禊して神前に供える大漁、航海安全祈願の儀がある。三島には耳の病を癒すという耳石を祀る神社がある。 
 ゴツゴツした岩石から鉄や銅などの金属が抽出される。その様を見て古代人は神の業を感じ取っていたのだろう。現代では化学変化(反応)である。酒造りでもそうだが、不思議な化学変化(反応)を見て古代人はそこに神の存在を想像したのだろう。だから化学変化を利用して造られる物は神聖視された様である。
 また、中には宝石の様に永久的に変わらず妖しく美しく輝くものもある。これら永遠に変わらぬ物も古代人は神聖なものと感じたにちがいない。
 山道の傍らに座している苔むした岩には人生の長さとは比較にならないほどの時間的奥行きを確かに感じるものである。
 現代でも墓標の多くは石である。
 ここで蛇足だが、「岩」とは「巌」の簡略化の過程でできてきた字体である。「巌」は大地に根を降ろしたように山や海に鎮座しているものであり、「石」は海や川の水中などにころがっている、元「岩」がfragmentまたはbroken pieceとなったものである。だが日本語はそんなに厳密に区別しているわけではないようで「石清水」のように「イワ」という音に「石」の字をあてている例も少なくない。また、「祝う」とは「巌」から派生した動詞化と思われる。
 そんな神聖な石を環状に並べて人々は何を考えたか。その中心の石の下に土壙つまり埋葬施設が発見された例もあり、墓地であったとも考えられる。また、石の上には生贄が捧げられたかもしれない。それは何だったか。そう考えて行くと、日本人のトーテムとは何だったのだろうかという疑問が湧いた。
 トーテム;アイヌなら熊、朝鮮神話では熊と虎である。中国では四神獣か。東に青竜、西に白虎、南に朱雀、北に玄武となるが最初の王朝が成立した時に東西南北の四部族が共和したシンボルとしてそれぞれのトーテムがデザイン化されたものではなかろうか。
 だが、どうも日本人のトーテムがはっきりとしないのである。トーテミズムは全世界に広くあり多分古代においては普くどの民族にもあったと思われる。
 日本の神話、発掘遺産などからそこに登場する動植物をあげてみると代表格はこんなものか。
 馬、蛇、鮫、鳥、猪。 
 馬は日本書紀に「月夜の埴輪馬」の説話として登場する。実際に埴輪の馬は発掘されている。河内の巨大古墳時代は騎馬民族を思わせる遺産に富む。近年韓国の南部の伽耶の遺跡でも共通の発掘があり関連が興味深い。
 蛇も伝説や説話にしばしば妖しく登場し神聖視されてきたことが伺える。
 鮫は「鰐」とも記されている。和珥氏族のシンボルか。因幡伝説に登場。縄文時代の土偶にも鮫をかたどったものが見つかっている。
 鳥も装飾古墳壁画によく登場する。船の舳先にとまった鳥の絵はエジプトのピラミッドの壁画を思い出させる。神武神話にも八咫の烏、金鵄が軍を導いたとする。
 日本書紀の雄略条には赤猪が登場する。
 他にも狛犬や狐(稲荷神社)、猪(摩利支天社、土偶にもあり)、牛(天満宮、新羅王子天日矛伝説にも登場、スサノヲを牛頭天王とする神社もある)、河童(熊本の八代のガラッパ伝説は気になる)など気になる獣、妖精はたくさんある。
 ついでに狛犬、あれは犬というより獅子像だと私は思う。獅子は中国や東南アジアでは神獣としてよく門などに守護神としてその石像が置かれているではないか。神社の狛犬もそれによく似ているような気がする。その顔のデザインはペルシャのライオンの描き方を模しているようでもある。聖徳太子ゆかりの法隆寺夢殿に伝わるササン朝ペルシャ風の四騎獅子狩文錦(7世紀初)に描かれた獅子の絵は狛犬に実に似ている。あれはシルクロードを通じてもたらされたシンボルなのではないか。ではなぜ狛犬というのか。7世紀に唐獅子像が入ってくる前は実際には犬の像があったのではないかとも想像する。しかし犬は長い間人類のよき友であったはずなのに本当の犬の像形はなぜか出てこないようである。あまりにも身近なためか、友、家来ではあるが神にはなれなかったのか。
 このように我が国におけるトーテム候補には時代的にも地域的にも実に多様であり、どれも決定的なものはなく唯一の何かの動物を日本人トーテムのシンボルとしては絞り込みにくいのである。
 弥生時代の銅鐸にも決まって登場する神獣はない。また、実用的な土器には動物の絵は書かなかったようである。銅鏡の神獣は中国のそれを模したものであろう。
 古墳時代には馬が神聖視されたようではあるが、普遍性についてははっきりしない。
 大和朝廷となるともはや仏教を受け入れておりトーテミズムは主流ではないはずだ。
 フロイトが「ひとりで女を独占していた原父(一族の長)を息子たる人々が羨み、殺してその肉を喰い一体化しようとしたが、罪悪感が生じてきて、これを後悔し代わりに神聖な動物を祀り原父の行った一族内の女に対する行為をやめ近親相姦を禁じたのがその起源だ」といったのは有名である。実際にそんな殺人事件があったのかどうかわからないが、トーテムは神の化身であり民族の精神的統合のシンボルであったはずである。
 トーテムとされた動物を殺すことを固く禁じている民族もあれば、年に一回の祭の日だけその動物を食べる儀式をもつ民族もある。神の化身たる動物を食べるということはどう解釈したらよいか。
 それは神と一体化するということか。或いは皆で罪を分かち合い精神的結束を固めるということか。或いは祖先の犯した罪をも体験し、それと一体化するということか。フロイト流にいえばトーテムは原父コンプレックスの所産といえそうだ。(また、トーテムとタブーには密接な関係がありそうであり世界中の民族をみわたせば非常にトーテムのありかたには多様性があり単純には論じられない。)
 人間が生活する上でコンプレックスをもつことは避けられない。コンプレックスは個人や集団が意思をもって行動する際、時にその心理的障害となる。コンプレックスが自我を時として脅かすからである。もちろんコンプレックスが自我を修正したり潤いをもたせたり、魅力的にしていることもあろう。自我が心の主役ならコンプレックスは脇役である。
 人は何かを犠牲に快楽を得たり、新しい技術を発見したりすると喜びとは裏腹に罪悪感をも同時に感じるものである。神の秩序を壊して、その技術、知識を盗んだとか、神の領域を侵したとか、神の宣したタブーを犯したなどである。或いは神という言葉は使わずとも「倫理に反していないか?」などもそれに近い。ギリシャ神話の世界のプロメテウスの火(大神ゼウスは人間に火を与えることを拒んでいたがプロメテウスが天から火を盗みとってきた話し)から現代の原子の火、遺伝子技術にいたるまで人間は「知る」という冒険を経てそこに常に罪悪感を克服しながら進歩してきたともいえよう。
 人類の進歩や苦難の歴史は人類の脳細胞の機能の所産ともいえるコンプレックスに無意識的に裏うちされてきた。この民ひとりひとりのコンプレックスが集合して部族、民族のコンプレックスとなりそれと関わりあう(対決、克服、受容などいろいろな関わり方あり)なかでトーテミズムを形成してきたのであろう。
 私はかつて堂ヶ島の大岩をみてふと思ったことがある。日本人の共通のトーテムはもしかすると「磐」なのではないかと。totemとは「部族が崇拝あるいは神聖視しその象徴とする動植物またはその他の自然物」と定義できるから、そんなふうに考えてもいいのではないかと。
   賀歌
 題しらず                     よみ人しらず
 わが君は 千世に やちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
                         (古今和歌集 巻第七より)            

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