私の古代史に関する考え方

(1)日本の古代史に対する私の想像

1、縄文時代 多数の部族が日本列島に分布しており各々独自の文化を継承していた。勿論、部族間交流はあっただろうが、統一国家というものではなかった。また、海辺にすむ部族は、中国大陸や朝鮮半島、インドシナ半島、台湾、フィリピン、インドネシアあたりとの行き来もしていたかもしれない。
2、紀元前3〜4世紀頃、朝鮮半島から稲作農耕民が渡ってきた。渡来は、弥生時代全般に渡り続いた。特に南部の伽耶諸国から渡来したものが多かった。彼等の話していた言語が日本語の原形であろう。また、彼等は製鉄技術を日本列島へもたらした。
3、玄海をはさんで九州側と伽耶側は向かいあうが、これは国境ではなく彼等の経済圏であった。
かれらは、天候がよければ、盛んに行き来していた。
4、1〜2世紀頃は北方から諸勢力の侵入があり対抗するために朝鮮半島には統一国家形成の動きが生じ、百済、新羅が興った。伽耶は統一には至らなかったが、クニ意識が高まり、次第に九州とは別のクニという認識となっていった。それまでは九州や他の日本列島内のムラムラもひっくるめて伽耶といっており彼等は中国側からは倭人と呼ばれていた。しかし、1〜2世紀以降は朝鮮半島南部を専ら伽耶と限定していうようになった。
5、日本列島内でもクニ形成は各地で起こった。北部九州(筑紫)、熊本、宮崎、瀬戸内海沿岸(吉備、安芸、讃岐、伊予など)日本海沿岸(出雲、因幡、ホウキ、古志)河内、明日香、伊勢、静岡などかなりあちこちでクニは形成された。そのうち魏に使いを送った邪馬台国とは現在の筑後側流域の勢力であろう。(つづく)

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