小川未明がどんな人かごく簡単に書きました。詳しい話は彼についての多数の本やサイトがあるので、そちらを参考になさることをおすすめします。また下記の内容に誤りがある場合ご指摘下さればありがたいです。
作家名 小川未明(本名健作)
作家名の由来大学生時代の教授であり師匠ともいえる坪内逍遙から「ゲーテは○○(芸術だったかと思います)は黄昏からやってくるといったが、黄昏では具合が悪いので、未明にしたらいかがか」といわれて未明となったそうです
作家の特長 戦前に創作童話作家として赤い鳥等で活躍。当時としては珍しい童話作家専門を宣言。童話だけで約1000の作品を書き、日本のアンデルセンとも称されます。当時の人としては身長がかなり大きかったらしいです。お子様2人がまだ小さいうちにお亡くなりになり貧困に対しては並々ならぬ関心と情熱を注いでいました。戦前は社会主義、戦中は戦争に反対しませんでした。
作品の特徴 基本的に短編で当時ロマンチシズムと呼ばれた幻想的なものです。異界から来た人や色彩、船、ろうそくといった幻想的なものが題材とされることが多く、これに不安や心配や裏切りといった人間の情念が絡むため、時には恐怖さえ覚えます。それだけ人間の情と心理を大切にした作家とも言えます。また舞台は曇り空が多いなど、彼の故郷新潟県での少年時代の経験が反映されていると言われています。戦後、西洋の明るい話を礼賛する作家達から、その特異な作品性を糾弾される運動が起き、戦前の功績に比すれば現在はそう知名度は高くない作家です。ただ彼の書いた詩情あふれる美しさと人間の強い情念は、今日においても高い文学的価値があると思います。

以下は作家論の様なものです。作家論と言うよりは小川未明についてもろもろ記載されていたのを集めたものです。
作家論と言うもの自体、作者と作品の読解の一助となるとは思いますが、私見では読者と作品の関わりのほうが重要かと思います。現在、20年後、200年後のある人が偶然小川未明を手にし、作品中や作品から受けた印象がその世界で如何なものであるかが肝心かと思うのです。名作は その評価される時代においても名作であってほしいと思います。
日本古来の人魚の話日本古来の人魚の話は人魚を食べると不老不死になるという話が日本海沿岸に伝幡していたらしいです(「日本昔話事典」弘文社)高橋留美子にも似た設定の作品がありますが関連性は不明です
(削除)確証不明により削除しました
新潟県の物語新潟県にはふるやの森などの物語がありました「日本昔話大系」角川書店
赤い鳥において鈴木三重吉の考え鈴木三重吉が「児童のため」の物語や詩や唱歌の雑誌。刺激的な相応しくないものを排除するようにしていたそうです。メンバーも小川未明、芥川龍之介、西条八十、北原白秋と壮々でした。 因みに北原白秋は、戯れに金魚を殺して恐怖と反省にかられる児童についての詩「金魚を殺した‥金魚の目がぴかぴか」を西条八十に「ちょっと残酷では‥」と指摘され北原白秋は「反省しているのでありこれも芸術」 と反論した。ちなみにこの歌は後に作曲され節がつきました。歌わせるつもりだったのでしょうか?唱歌の方は作詞も作曲も「児童のため」を目指したため、制約があり作り手はそれに苦悩した模様です。
鈴木三重吉と赤い鳥鈴木三重吉は娘に読み聞かせるのに適当なものが無いため「赤い鳥」をつくったという伝説が残っています。
救われない終わり方小川未明の作品のうち救われない終わり方をしたのは他に「黒い旗物語」等あります。
未明と戦争山室静はかつてプロレタリア文学だった未明が戦時中、軍の支持派にたったことは文学上の転向でなく、「天下国家のため」ということにおいて両方の立場は彼の中では大差なく葛藤は生じなかったとしています
未明と戦争(その2)上笙一郎は小川未明が戦後、未明が戦時中の立場に責任をとっていないことを疑問に思っている
未明と戦争(その3)未明の戦争推進時期の作品は「ぼくは戦争に行くんだ」とかつてプロレタリアだったにしては珍しいタイトルでした。戦争支持の作品はいくつかあり、「ぼくは戦争に行くんだ」のなかでもお年寄りが「出征する兵士を見ると胸が熱くなる」など、さらさら書いています。 私見ですが、生活苦や階級に関しては熱心ですが、戦争と平和に関してはあまり熱心ではなく(というより作家としての根幹にない)、戦争支持の作品を書いた点は反省すべきと思いますが、未明自身は自分のやったことにぴんときていなかったのでは、と思います。戦後には戦争のむなしさを書いた作品をすぐに出しています。
未明と酒小川未明は酒が好きで新潟から来訪した方は手みやげに越後の地酒をよくもっていったそうです。
未明と菊池寛小川未明は雑司ヶ谷に住んでいたとき、近くに住んでいた菊池寛が遊びに来たそうです。将棋を指すと菊池寛の方が強かったそうです。菊池寛の旧居は今はきれいな学生の寮?になっています
未明と大杉栄小川未明は大杉栄も知り合いだったようです。また小川未明本人もプロレタリアが盛んな頃は集会に参加していたみたいです
古田足日のひとこと古田足日は「さようなら未明」の反論の反論の中で、未明は暗いから悪いのではなく明るい面もあり(月夜と眼鏡を引用)始源的な暗さを一気に作品に書いており物語というより詩や散文であり、児童文学としての構成は昭和30年代の作家が上としている。また小川未明に盲従している人に苦言を呈しています。
古田足日(その2)古田足日は「現代の言葉は用途に応じて意味が分けられているのに対し、小川未明は言葉の意味をふくらまして多義的に使っている」そして、それゆえに時代に逆行している旨を述べています。どの作品のどの言葉をさしているかは不明ですが、小川未明の言葉が一義的意味をなしていないことは、彼の作品が詩的であることをあらわしているとはいえますが、時代に逆行しているとは私は考え難いです。
いぬいとみこのひとこといぬいとみこは小川未明の作品に子供の視点がない点を指摘。村岡花子も同様の点で指摘があります。いぬいとみこは、特に小川未明の童心という言葉に敏感で、小川未明の童心は作家としての姿勢であって、子供の視点としては欠けており、その状態が成り立っている小川未明の全盛の時代は、世界の文学では異様だ、としています。
いぬいとみこ(その2)いぬいとみこは戦後「長い長いペンギンの話」で明るい作風の児童文学を提唱した。
某作家某作家は「赤いろうそくと人魚」とアンデルセンの「人魚姫」を比較し「赤い〜」の人魚が人間界に早くから受け入れられているのに対し「人魚姫」の人魚が試練(魔女とか足が痛いとかしゃべれないとか)を乗り越えている理由は、「赤い〜」が汎神論の日本で「人魚姫」がキリスト教文化で人間とその他のものに一線があること、という違いからきているとしているが、私見を申し上げるとこの設定は主題に従ったものであり、つまり「赤い〜」は人間の無常さを暴き「人魚姫」は得がたいものへの希求とい主題のため「赤い〜」は最初人間に迎えられ「人魚姫」は苦難が待っていたと思われます。
小川未明と鳥坪田譲治によると、小川未明は気ぜわな人だったようです。また鳥を好んでいたそうですが、飼う方ではなく食べる方で砲兵工廠出身の方と狩に出かけていたそうです。仲良しな人は岩野泡鳴氏がいます。鳥については作品中も「鳥」の表記は少なく「つばめ、すずめ、山鳩」と種類を書いていることから関心も高かったと思います
参考資料この上から6つまでは雑誌(雑誌名亡失)の小川未明追悼記念特集を読んだ際の記憶を頼りにしておりますので、間違いがある場合はご連絡頂けるとありがたいです。上記のように批判文も載せているのが特徴です。また「水害のお見舞い」という1/8pの広告があったりと当雑誌の姿勢が垣間見えます。
坪田譲治坪田譲治も小川未明と並び同時代の有名児童文学作家でしたが、実家のランプ工場の騒動に巻き込まれるなど生活は大変だったようです。父の代からの共同経営者ともめていた様で坪田譲治はこの共同経営者がやりこめられる小説も書いてますが実際は坪田譲治とその兄弟のほうが追いこまれているほうでした。
鳥越信鳥越信は小川未明を児童文学史に入れようとしない。小川未明はメルヘンを志向しているが、メルヘンは児童文学と異なるからである
「絵本の森」松居直(福音館の元社長)は「絵本の森」の中で絵本「めんどりの」の引用をもってストーリーがセリフでなく、歩くめんどりの絵と追いかけつつ失敗するキツネの絵といったように、子供の絵本は絵も饒舌であることを主張しています
某絵本の書き方の一節柵をくぐると、かえるになるおじいさんの話をして子供に「おじいさんがもどるにはどうすればいい?」と尋ねたところ「柵をくぐって戻る」という答えが多いことを受けて子供が論理を志向しているとしました。 私見を述べますと、子供は論理を志向しますが、それは子供に限らずの話であると思います。そして子供は大人よりも論理以外を志向しているように思います。子供が論理好きなのは西洋の作品で使われるエブリデイマジックという方式が日常世界とファンタジーを境界を使って分けるという論理を元にした性格を有していることからも推察されます。戦隊もののヒーローが人間→戦隊となるのも同様ですが同時に子供は戦隊の戦う事情をすべて理解しているわけではありません。設定やストーリーを子供は論理的に捕らえているわけでは無いと思います。
アンデルセンアンデルセンはデンマークで当時下層階級とされた靴屋の息子として生まれました。祖父と父は精神を病んで死に、少年時代は貧しかったですが、修道院や大佐等に支えられ、俳優→歌手→劇作家と志望を変え童話作家としての地位を確立しました。童話作家として確立する前の彼の友人?の言葉に「君は詩人として有名になったが童話作家になればその名は不滅となるであろう」といってました
アンデルセン(その2)アンデルセンは人魚姫の前に「(失念)」という作品を書いています。これは童話ではなく韻文だそうです(原文を読んだ事は無いので未確認です)女はいよいよ詩人との結婚というときに、人魚(男)があらわれ彼女は人魚を選んで結婚し海の中へともぐります。海の生活は7年続き、女が海面に出てくると景色はすっかり変わっていました。女は老人をみつけました。老人はかの詩人で地上では50年たっていたのでした。2人はお互いが誰かを確認し再会を懐かしみ、女は地上へ戻る決意をしますが、人魚は海中の子供のことを謳い、ついに女は引きとめられ、海へと戻っていきます。
戻ります