=ドイツ・フランスの旅=2024

 猛烈な残暑の日本を脱出。9月10日(火)〜9月25日(水)知人・友人宅に泊まりながらドイツ、フランスを旅した。

 9月10日(火)〜13日(金) フランクフルト友人宅
 9月13日(金)〜15日(日) フライブルグ友人宅
 9月15日(日)〜18日(水) Le puy en velay(Hotel)
 9月18日(水)〜21日(土) 知人宅
 9月21日(土)〜24日(火) 知人宅

 訪れた時、ヨーロッパは突然の寒波に見舞われていて、友人にセーターを借りた。また、ドイツもフランスも
鉄道事情が悪く、列車の遅れは日常茶飯事。帰国してからのJRに感動すら覚える。
《教訓》最終日は少なくともパリ(出国空港)に1泊する。

Le puy en Velayについて報告します。

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Le Puy en Velay 2024/9/15〜9/18 シャンブル・ドット泊

 9月15日(日) 午後5時15分 Le puy en velay の駅に着く。
 重たいバッゲジをガラガラ引きながら予約したホテルに向かうと、建物の間から大聖堂と聖母マリア像が見える。
『あ〜、ル・ピュイに来た!』と実感した。

 

  10分ほどで予約したシャンブル・ドットに着くと、ドアが閉まっている??? ガラス戸越しにフロントと食堂が見えるが、ドアには鍵が掛かっていてどうにもならない。
 5分程待っていたが埒があかない。プリントした予約表を見ても、日にちは合っている。諦めて、近くのホテルに泊まろうとホテル探し。幸いにも、安くて感じの良さそうな
 2☆ホテルが見つかる。「ボンジュール!部屋はありますか?」片言のフランス語。「何泊ですか?」「3泊です。」「あ〜、申し訳ないですが、3泊は無理です。」アチャ〜!((+_+))
 ダメか!
  「実は、自分は今日このシャンブル・ドットに泊まろうと思って行くと閉まっていて困っている。」と言って予約表を見せると、親切にもムッシュが「電話して上げるよ。」
 と言ってシャンブル・ドットに連絡を取ってくれた。結果、「今、ホテルの前にムッシュが出てきているから、すぐに行きなさい。」と言ってくれた。「メルシーボークー!」

  予約したシャンブル・ドットに行くと、マスターが立っていた。取り合えず、挨拶をして部屋(2階=日本の3階)へ向かう。エレベーターがないので、重たい荷物は
 マスターに運んでもらった。
 「床がギシギシきしむので、余りドンドンさせないでください。下の客に迷惑が掛かるので・・・・」 安いとは言え、えらいところを選んだものだ。バスタブには栓も無し、
 (シャワー使用のみらしい)しかし、カーテンがないので、使用後は床がビチャビチャになってしまった。ゴミ箱も無し・・・・・XXXXX((+_+))

 9月16日(月)
  市内散策。午前中は大聖堂に行く。

 
  300段位の階段を上る。天気が良く汗をかく。『25、6年前に女房と来た時は雪で閉鎖されていたなあ〜』と思いながら上る。
 ル・ピュイのシンボル、サン・ミッシェル礼拝堂が見える。また、遥か向こうにはポーリヤック城も見える。素晴らしい景色に見とれる。

      

  昼は『レンズ豆を食べよう』と思って注文すると、豚肉のドでかい塊が出てきた。美味かった〜!ワイン付きで20ユーロ(3000円?)位だったと思う。


 昼食を済ませ、ホテルで休憩の後、サン・ミッシェル礼拝堂に行く。ここも300段ほどの階段を休み休み上る。
         

     


 9月17日(火)
  午前7時。巡礼者のためのミサに参加。

 
大聖堂への道には貝の印が埋め込まれている。 =大聖堂正面=
     
     =黒いマリアさま=

 
 早朝から大勢の巡礼者(カミーノ)が集まっていた。200人位? ミサが終わると中央の床が開いて、巡礼者が階段を降りて出発する。

 
階段を降りると、大聖堂正面に出る。赤煉瓦の街並みの向こうの山を越えて巡礼路は続く。

          
         =さあ、サン・チャゴ・デ・コンポステーラを目指して出発だ!=