4 J&J
        Henty====Sydney====Brisbane
             
        私たちは、ヘンテイからシドニーを経て、ブリスベーンへ向かった。ブリスベーンには
        友人のJ&Jがいる。JenniferとJulianである。ジュリアンが豊橋技術科学大学に留学
        していた頃、縁あって友人となった。彼らが再来日したときは3ヶ月我が家にホームス
        テイしたし、ヘンテイのご両親も我が家に泊まったことがある。

        ブリスベーンの空港に着くと、ジュリアンとジェニファの妹のバーバラが迎えに来てく
        れていた。バーバラも又豊橋で会ったことがある。私たちは彼らの住むブリスベーンに
        初めて訪れたのだ。市内を通り抜け、郊外のジュリアンの家に向かった。

ブリスベーンに住むジェニファのご両親も来て
私たちを歓迎してくれた==晩餐会==
J&Jのお子さんのネイオミは豊橋の病院で生まれた
日本名『音緒美』をプレゼントするととても喜んでいた

       
  翌日、私たちはジュリアンに案内されてブリスベーン市内を
  歩いた。彼が働いているクウィーンズランド大学は広大なキャ
  ンパスで緑の多いすばらしい環境の大学であった。
  美術館には主に近代美術の作品が多く展示されており、
  私には少し難しかった。
  少し遅めの昼食は、ブリスベーン川の観光船に乗ってゆっくり
  食べながら過ごすことにした。デキシーランドの愉快な音楽が
  私たちを迎えてくれた。
  川風が冬にしては暖かい。オーストラリアではかなり北に位置する
  ブリスベーンは冬でも暖かいのだ。

                      

コアラパークではコアラを抱いて、ハイ、ポーズ!       ブリスベーンの市役所

       ***
       お別れの夜は、オーストラリアで一番美味しいと言われているレストランに連れて行って
       くれた。最高級の肉のステーキである。私の頭の中ではオーストラリアの肉は大味で
       あまり美味しくないというイメージがあったが、それは全くの先入観で、本当に美味しい
       ステーキであった。

       食事を注文し、料理が出てくる間の少しの時間を見て、ジュリアンが女房とジェニファを
       残して私だけを別の部屋に案内した。チョット薄暗いビアホールであった。大勢の男の
       人達が楽しそうに立ち話をしていた。
       「ここは男だけが来るところです。料理を待っている間、こうやってビールを片手に立ち話を
       しているのです。しかも、一人一人が順番にみんなの分を奢り合うんだ。二人なら良いが
       大勢だとなかなか終わらないし、大変だ。」と言いながら、乾杯をした。
       オーストラリアでの旅のことやお礼、これからの生活やお互いの変わらぬ友情について
       等々・・・・話をした。
       オーストラリアに乾杯!豊橋に乾杯!お互いの家族に乾杯!
       話が弾んで、結局私たちは2回ずつ奢り合って、つまりは4杯も飲んでしまった。
       
       ***
       私のこのオーストラリアの旅は、実はもう10数年前のことである。以後、J&Jとは毎年
       クリスマスカードを交換したりしている。その後彼らには、ステファニー(女)とマシュー(男)
       という2人のお子さんが生まれた。そして、2年前ネイオミ(音緒美)が交換留学生として
       来日したとき短時間であったが会うことが出来た。そして、彼女が生まれた豊橋の病院へ
       案内すると彼女はとても喜んでいた。彼女はもう18歳の高校生である。

                       
                         J&Jから届いたグリーテイングカード