もう一度行ってみたいブルターニュ(3)
    

 (1)石畳と古い家並の残る町、ディナン
 ブルターニュを回ることを計画してから、いろいろな案内書 を調べ、
石畳の
坂道と古い家並の残る町・ディナンを知って、是非行ってみよ
と思った。
 サン・マローからフランス国鉄のローカル線に乗って、モン・サン・
ミッシェルに行く時に通ったドールで乗り換え、デイナンに着いた。ホ
テルにチェックインした後、街に出た。

 夕やみせまる街を歩いていると、ふと『この坂道を私と同じように何
百年も前から人々が歩いていたのだなあ。』という感
慨にひたる。
「やっぱり坂のある街はいいなあ。情緒がある。見てみろよ。 この擦り
減った石畳、ブルターニュ独特の木造りの家、中世そ
のものだ。」
 町はずれのサン・ソヴアール教会の裏には美しいイギリス庭園があり、
そこからはるか下に見る谷を船が往き来している様
子もめずらしい風景
であった。

「サン・マローから列車で来ずに、この渓谷を船で来ることもできるん
だよ。」と私が言うと、

「フ〜ン」と気のない返事。女房はそうしたことには、全く 疎いのだ。
 城壁の東の門、ジェルジュアノ門をくぐると職人の住む家並があった。
下町そのもの、子供たちが遊んでいた。しかし、彼
らは私たちに気づく
と、ものめずらしく物陰からのぞくよう
にして私たちを見ていた。
 どの家も2階、3階の窓ぎわには植木鉢が置いてあり、生活を楽しんで
いる様子が分かった。

“ゴ〜ン、ゴ〜ン、ゴ〜ン‥‥”
15世紀に建てられたという時計塔が人口1万4千の町の人々に重々しく午
後8時を告げた。

城壁の上から中世の家並みを見る 街は木組みの造り、中世の雰囲気抜群


(2)ホテルで本格的ピクニック
 ディナンの夜は二人でピクニックをした。街の惣菜屋さんでハムやサラ
ダを買って来て、ホテルの自室でワインを飲みながら
二人で過ごす。既製
のツアーでは味わえない楽しみである。

 赤かぶらのようなビーツの油漬け、もっこりしたマッシュル ーム、生ハ
ム、鮭のテリーヌ、人参のサラダ、新鮮な真っ赤な
トマトそれにパンとレ
ッドワインなどが所狭しとベッドの上に
並ぶ。しめて、85フラン(約2000
円)である。

「日本でお皿にきれいに盛って食べたら、一人2500 円はするだろうなあ。」
 女房は、『ビーツとマッシュルームは日本ではこんなに贅沢には食べ
れない。』と言ってパクつく。私は私で、生ハムを大きなま
まで頬張りワ
インをかたむける。答えられない幸せというもの
だ。やっぱり、お互い食
べている時が一番いい顔をしている。
人生の喜びである。
  ***
 午前8時32分発の列車に間に合うようにホテルを出た。朝のディナンは、
昨夜の賑わいとは全く別の町であるかのように静
かであった。その静寂が、
古く、重々しい威圧感となって私を
包む。駅までの約10分の道のりを、
ディナンの街の良き思い
出にひたりながら歩いた。
 ディナンはもう一度訪れてみたい町である。
 朝もやの中から一両のディーゼルが浮かんで来た。ヨーロッパの田舎の
汽車の旅。私は子供の頃からこんな旅がしたいと考え
ていた。今の自分
を夢の世界の自分に写している。

 白い霧の中を、音もなくディーゼルは近づいて来る。

(3)レンヌの裁判所

レンヌの裁判所 裁判所の中のタピストリー

 次の宿泊予定地ヴアンヌには夕方に着けば良いので、途中レンヌに降りた。
ブルターニュ半島の入口レンヌは、この地
方最大の都市であり、サン・マロー
やディナンと違って近代
的な都会である。
 フランスでは駅と中心街とがかなり離れている町は沢山ある。駅は町の玄関
口だと考えた方があたっている。レンヌも
また同様であった。中心街にある
裁判所は直ぐにわかった。
ただ、館内の案内時間までには40分位あったので、
街を
散歩することにした。この時、姪に買ったサンダルの左右が異なっていた。
気付いた
のは帰国後で後のまつり。いくら3才の子供だとはいえ、 『今フランス
では、左右異なるデザインのサンダルが流行
っている。』と言って、ごまかし
て履かせる訳にもいかず、半年
経った今も、『おじさんからのおみやげ』とし
て床の間に飾
ってあるという。
 さて、裁判所のタピストリーはゴブラン織りで、想像以上にすばらしいもの
であった。その細かな模様が壁いっぱいに、
天井いっぱいに広がっている。ヴ
ェルサイユ宮殿で働いた画
家たちによる、ルイ14世の時代のものという。レン
ヌの町
の繁栄を思う。

(4)レンヌのお嬢さん

 フランスの女性を見ると、20〜25才位まではスマートで、本当に綺麗な人が
多い。カルナックのバス停で出合った
お嬢さんは、肌が透き通るようで、私が
今までに見たことの
ない程綺麗な、将に、夢の世界に出てくるような美人であ
た。
 ところが、その綺麗なフランス女性も、40、50を過ぎると見るかげもなくブ
クブク、ブクブクと太ってくる人が多
い。背も高いから、もう山のようなとい
う形容がピツタリの
人もいる始末だ。皆が皆そうではないにしても、フランス
性はこの国民的体質がいつ自分の身に降りかかって来るかかなり気にしてい
る。

 そんなことから、フランスでも軽食レストランが流行っている。私たちがレ
ンヌの街角でふっと入ったのもそ
んなレストランであった。隣のテーブルには、
メガネをかけた、
少しインテリ風の女性が座っていた。ボーイさんがメニュー
を持ってきてくれたもののフランス語ばかりでサッパリわか
らない。そこで、
その隣の女性にカタコトの英語で尋ねてみ
ると、気軽に、親切に教えてくれた。
「このレストランはサラダだけでもいいのよ。私はいつもそうしているの。」
とフランス語なまりの英語で話す。

「ダイエットのためよ。太った母を見ていると、自分の将来を見ているようで
いやなの。」と言う。それにしても、ひ
とこと言っては、“アンダスタン?”
(understand)の連続で、
いまでも彼女のその響きが耳に残っている。
 彼女はレンヌ郊外に住む銀行員。30才、独身。一ケ月後にはアメリカヘ研修
に行くというキャリア・ウーマン
である。
「日本へもいつかは行ってみたいわ。その時はもう少しましな英語が使えるよ
うになっているから。」と目を輝かせて
いた。