もう一度行ってみたいブルターニュ(7)
(1)市電の走るナント
 何かの本で、ナントに流行したペストについての記録を見たことがある。
6世紀のことである。ヨーロッパ全土を恐怖のどん底に落とし入れたペストは、
マルセ−ユからローヌ川を上り、ロワール川を下ってナントに至った。そして、
中世までの間、何度となく流行し、町全体が消滅してしまったということなの
だ。

綺麗な電車の切符

ナントは、そんな私の勝手なイメージとは全く無縁の、近代的な、きれいな
町である。ナントには市電が走っている。ところが、切符をどこで、どうやっ
て買ったらいいのか分からない。
「自動販売機があるよ。」と、女房が屋根付きの停留場の端を指して言った。
販売機のコインの入れ口は、『1フラン、2フラン、5フラン』と3つある。
押しボタンもいろいろある。
「何だかよく分からないが、とりあえず1フラン入れてみよう。」と言って、
その近くのボタンを押してみた。すると、スカイブルーのきれいな切符が出て
きた。1時間乗り放題、1フランとは誠に安い。何回も乗って要領を覚えると、
自分がこの町で生活しているかのような錯覚を覚えた。

(2)日曜日はナント只〜ナントの美術館 
 パリでもそうだと聞いていたが、晴れているかと思ったら、にわかに曇って
きて雨が降り、又しばらくするとやんでしまう。霧のロンドンではいつも傘を
片手に歩くが、フランスではほとんど傘を持っていない。多少の雨には慣れっ
子になっているフランス人は『すぐにやむさ』ということで、堂々と濡れて歩
いている。それが又格好いい。将に映画の世界である。
 ところが、ナントのこの日ばかりは違っていた。一転にわかにかき曇り、
えらい風とともに大粒な雨がザーッと降り始めた。私たちは大急ぎで近くの
大聖堂に飛び込み、そこで休憩することにした。思えば、次から次へと見学を
し、あまりゆっくりしたことがなかったので、この休憩は丁度よかったかもし
れない。
 大聖堂の中はあくまで厳かであり、
 親子づれ2組しかいない。堂内は、
 敬謙な静けさに満ち満ちていた。パ
 イプオルガンの音があれば最高なの
 だが・・・・・
  小1時間も休んでいたろうか。雨
 が上がったので美術館へ行くことに
 した。モネやルーヴェンス、レンブ
 ラントなどの作品のあるこの美術館
 には、是非行ってみたいと思ってい
 た。窓口でチケットを求めようとす
 ると、
 「今日は日曜日だからフリーです。」
 と言う。入場料などそう大した金額

ではないのだが、ものすごく得をしたような気分になるのもおかしなものだ。
 大きな中央階段を上がる。大理石の右段、重々しさをひしひしと感じながら、
一歩一歩上がる。その階段自体が芸術品のような、そんな気さえする。
 中でもモネの風景画は、私の心を和ませるに十分であった。モネの心が直接
私の心の中まで伝わってくるかのごとくであった。いつの時代も人の心をゆさ
ぶるのは同じである。
  **
 裸婦が振り向いて『オッホッホ』、例の『千年灸』の宣伝の原画が、ナント
の美術館にあるとは知らなかった。女らしさの象徴、ビーナスである。躰の曲
線はあくまで柔らかで、まさに自然の美である。その美しさに魅せられ、胸の
鼓動さえ覚える。これぞ美の極致である。
 ところが、帰国をして調べてみると、『千年灸』の宣伝に使われているのは、
どうやらルーブル美術館にある、アングルの『グランド・オダリスク』という
絵であるということが分かった。ナントの絵も極似していた。『女性の美は普
遍的なもの』ということなのであろう。
 
 
(3)ピョンピョン飛ぶのは・・・・
 ナントには大きな港があるので、さぞかし魚貝類が豊富でおいしいだろうと
思い、ホテルのフロントで尋ねると、歩いて約10分程のレストランを紹介し
てくれた。ところがそのレストランがなかなか見当たらず時刻も8時を過ぎて
疲れてきたので諦めて、『地元の人で賑わっているレストランはないものか』
と探してみた。中華料理店、イタリア料理店いずれも一人の客も居なくて入り
辛い。


ナントのお城

 いやな予感がする。『このまま食事にありつけないのではないか。さっきの
レストランにしておけばよかった。』などと思いながら3〜40分は歩いたろ
うか。『もうどこでもいいや』と半ばやけっぱちでいると、かなり混んでいる
レストランがあった。
「ここにしよう。」と言って、私はドアを開けた。愛想の良さそうな若いウェ
イトレスが店内を忙しそうに飛び回っていた。私たちは角の方の小さなテーブ
ルの席に座った。忙しさもあって、なかなか注文を取りに来てくれない。空腹
も手伝って少々イライラしたが『なにはともあれ食事にありつけそうだ』とい
う安堵感はあった。
 かなりの時間が経って後、
「お待たせしました。」と言って、ウェイトレスがほほ笑みを浮かべながらや
って来た。メニューを見ながらいろいろ説明を聞いた。『港町なので肉より魚
の方が良いだろう』と思い、二人とも『魚(タラ)の定食』にした。
 ところが、しばらくすると申し訳なさそうな顔をして、
「あいにく今日は魚は全部出てしまった。」と言う。
「フィッシュ、フィニッシュ?」と私がおどけると、
「ウイ、ウイ、フィッシュ、フィニッシュ!」
 再びメニューを見て、女房は、
「もう面倒だからビ−フ・ステーキにしておくわ。」私は『ナントまで来てス
テーキなど食べたくない』と思っていたので、『魚の定食』の下に書いてある
行を指して尋ねた。
「ミート?」
「ノン」
「フィッシュ?」
「ノン」ウェイトレスは少し困ったような顔で、『ピョンピョン飛ぶものだ』
という手つきである。『いったい何だろうか?』ヨーロッパでは兎をよく食べ
るが、ミートではないと言っているし・・・・15分程でお皿が運ばれて来た。
見ると、何と『カエル』である。食用ガエルの足がニンニクバターで炒めてある。
以外なもので、少々ビックリしたが食べてみるとなかなかおいしい。繊維質がか
なりきついが、鳥肉より臭みがない。さすがにウェイトレスも気になったとみえて、
「味はどうですか?」と尋ねに来た。
「オー、イッツ、グッド!」
    **
 翌朝、霧の中のナントを発った。一週間のブルターニュの旅も終わろうとして
いる。思えば5年前、スペインから夜行でパリに入った時も、深い霧の中を走っ
た。ロワール河を逆上り、その時と同じルートでパリに向かっている。
 ジャンヌ・ダルクを生んだオルレアンを過ぎる頃から霧が晴れてきた。フラン
スの大地を、汽車はパリヘパリヘと走る。ブルターニュの思い出を乗せて、汽車
はパリ・オステルリッツを目指してひた走りに走る。