FONTAINEBLEAU/BARBIZON ☆☆(世界遺産)
フォンテーヌブロー バルビゾン
Paris Gare de Lyon =====(SNCF)===== Fontainbleau
Avon
8:27 9:05
パリ・リヨン駅から
フォンテーヌ・ブロー行きの電車は、リヨン駅から出る。概してヨーロッパ
の大都市の駅は大変立派なものが多いが、このリヨン駅
もほとんど博物館の
ような重厚な建物である。人々にとって駅は単に列車を乗り降りする場所だ
けではなく、彼らの人生の一駒一駒を記す重要な場所である。
駅構内をお上りさんよろしくウロウロしながら、インフォメーションで
【フランス・バカンス・パス】の利用手続きをした。フォンテーヌ・ブロー
行きの列車は9番線から出るとある。広い駅構内、南フランス行きの超特急
TGVの勇壮な姿がずらりと並ぶ。それに見とれている暇はない。大時計を
見ると発車時刻の10時を差している。
「待って〜〜!」思わず日本語で叫んでしまった。私たちは息もきれぎれ
で乗ることができた。
***
電車は、広い平原を南へ南へと快調に走る。何処まで走っても緑の平野が
続く。本当にフランスは豊かだ。リヨン駅を出て40分も経ったろうか、列
車がウッソウとした森の中で止った。急にまわりが雑然となり、フォンテー
ヌ・ブローに着いたのかと思ったら、私たちの前に座っていた、いかにも人
の良さそうなおじさんが、
「シャトーヘ行くなら次の駅だ。」と教えてくれた。日曜日でフォンテーヌ
・ブローの森の中を歩いて楽しもうということらしい。リュックやナップサ
ックを担いだ家族づれのハイカーたちが、陽気に降りて行った。
それから10分位して、私たちを乗せた電車はやっとフォンテーヌ・ブロ
ーの駅に着いた。シャトーヘはバスに乗らねばならない。
***
どうも様子がわからないが、皆について行けばなんとかなるだろうという
ことでバスに乗る。しかし、何処で降りれば良いのかも、さっぱりわからな
い。そこで、案内書を開けて見ていると、隣に立っていた老人が、何やら私
に話しかけてくる。そして、『心配するな』と言って、案内書をたたみ、私
の脇にそれをかかえさせてしまう。近くの人たちがおもしろがって、手をた
たいて笑う。私はされるままで目を白黒、女房は何やら不安げ・・・・。
バスは、市で賑わうフォンテーヌ・ブローの街を通り抜け、しばらくして
終点のシャトー前に着いた。先程の老人がウインクをして降りていった。
***
フォンテーヌ・ブロー宮殿
もともとはパリの王族たちが、フォンテーヌ・ブローの広大な森で狩りを楽し
んだ時に泊まる小さな小屋であったのだが、フランソワ1世が16世紀の初めに、
イタリア・ルネッサンスに魅せられて建てさせたのが、このフォンテーヌ・ブ
ロー宮殿である。その後、ルイ16世まで7代の王が、つぎつぎと増築し、現
在の姿になっているという。王侯貴族の別荘として
その生活ぶりがうかがえる。
ナポレオンの調度品、絵画、寝室、どれを見ても、ため息ばかりである。豪華絢
爛、語彙の貧弱な私にはそれしか表現できないのがもどかしい程である。
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ミレーのバルビゾンへ
テオドル・ルソーやミレーがこよなく愛し、そして過ごしたバルビゾンは、
フォンテーヌ・ブローの森の一角
にある。普段は宮殿の前からバルビゾン村ま
でバスが通っているのだが日曜日は運休である。仕方がないのでタクシーで行
くことにした。15分程森の中を走って、バルビゾンの村に着いた。石畳の街
道が歴史の
重みを伝える。
ルソーを訪ねたミレーは、この
バルビゾンの地で自然に接し、
自然を描く画家たちと交って、
この地で死ぬまでの27年間、
土に生きる人間を描き続けた。
リアリスチックな農民画家であ
ったが故に、社会主義者のレッ
テルを貼れたのであるが、実際
には、彼自身それを強く否定し、
次のように言っている。
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『業師の使命とは愛の使命であ
って、憎しみ
の使命ではあり
ません。
また美術は、貧者の苦しみを
描き示す
場合にも、富裕階級
に対する嫉みを刺激すること
を目的としてはなりません。』
(『ミレー』ロマン・ロラン著)
〜ミレー博物館館長さんと〜
ミレー農民の働く姿を愛し続けた。彼の生きる姿にはバルビゾンの土の
匂いがする。その筆先に短調の響きを感じる。日本人好みである。『晩秋』
の表情に心のぬくもりを感じる。『落ち穂拾い』の中に演歌の世界を見る。
***
ゆったりとカーブした石畳の道は、静かなフォンテーヌ・ブローの
森に囲まれたバルビゾンの村の象徴である。古いレンガ造りの家並は、
まるでお伽の国に迷い込んだ錯覚をおぼえる。
メインストリートのグラン通りにはミレーの家の他、ルソー博物館、
芸術家たちがたまり場として利用していたガンヌの家などが並ぶ。村の
よろず屋に入って、アイスクリームを買う。乾いた喉に、甘く、冷たい
刺激が何とも心地よい。暑い中、カメラ片手に10分程歩くと村はずれ
となり、そこにはミレーがこよなく愛したバルビゾンの畑が広がってい
た。何のへんてつもない畑の景色も、『落ち穂拾い』や『種を蒔く人』
の舞台かと思うと、感慨深いものがある。道端の草花の一本一本が新鮮
に見えるのも不思議な事
である。
バルビゾンの村をぶらり |
***
バルビゾンからフォンテーヌ・ブローの駅まで再びタクシーに乗った。
森はどこまでも続く。緑が深く、何となくしっとりしていて、落ち着き
を感じる。ヨーロッパの森を『緑の海』と表現した作家がいたが将に至
言である。広い広い海原を、私たちを乗せた小さな船が行く。進んでも
進んでも大海原は続く。
30分も走ったろうか。見覚えのある家並に出た。フォンテ
ーヌ・ブ
ローの駅も近い。
「今日はいい一日だった。」私は、朝からの出来事を思い出しながら
言った。