70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅠ-⑦ 最終回 2014・08・07~09・01

8月7日(木)出立
Paris(パリ)--①②--Olreans(オルレアン)==(SNCF:鉄道)==Bourges(ブールジュ)--③--Issoudun(イスーダン)--④--
--Neuvy St.Sepulchre--⑤--Eguzon
(エグゾン--La Souterraine-⑥--Benevent l'Abbaye--⑦
--Pont du Dognon(ポン・デュ・ドニョン)--St.Leonard de Nobelt(サン・レオナル・ド・ノブラ)


今回の総歩行距離:472.4km 総歩数:706,517歩(万歩計) 実質歩行日数24日 1日平均:19.68km

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『「巡礼」は、フランス語では「ペルリナージュ」と呼ぶ。何らかの聖なる性格をまとわしめられた土地に向かい、心には尊崇、献身、信仰の思いを
しっかとこめて、
幾山河をも越えて旅することをいとわぬ情熱がそれである。フランス文化を愛して、これを極みまで学び究めようとねがうならば、

ついには、このような性格の旅へと最後は収斂していくはずのものではないだろうか。』 =「フランス巡礼の旅」田辺 保著 朝日選書=


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8月30日(土)晴れ:
 Benevent l'Abbaye--Saint Goussaud--Chatelus le Marcheix(シャテルス ル マーシェ) 20.34km 32,708歩
 
  

 前日背中と腰が少し痛くなったが、一晩ゆっくり寝たらすっかり良くなっていた。長歩きの疲れだったのだろう。
峠の方から四輪駆動の車(?)が降りてきた。
"Bonjour!"手を挙げて行き過ぎたかと思ったら、止まってこちらを振り向
いている。近づいて行くと、
「あんた日本人か?」
「ウイ」
「この車KAWASAKIなんだ。最高だぜ。イエイ!」野山を駆け巡るのに打ってつけだそうだ。

 
天気も良く、緑が本当に綺麗だ。ブナの木の一種であろう、天に向かってグンと伸び、緑が輝いていた。ただ、森の中で
の一本道は道標で確認して歩いているとはいえ、30分も道標がないと『道を間違えたのではないか』『分かれ道はなか
ったはずだが・・・』と多少の不安が頭をよぎる。そんな時、少し先の樹の幹に
『アッ、道標だ!あった!』とホッとしたら、
《黄色の葉っぱ》だったり、ハタマタ《光が黄色く輝いていたり》したこともあり、がっかりしたことが何度かあった。
東海道中膝栗毛の弥次さんと喜多さんがキツネやタヌキに化かされたという話を思い出し、何となく理解ができた。
(>_<)

 小さな峠を上りつめて10分程歩くと大きな広場に出た。St. Goussaudの【死の角灯】のある広場だった。そこには何と
またポアテイエのマダムがいた。彼女とはもう4回目の出会いだ。
「お昼ご飯を食べていたの。小1時間休んだわ。今日は暖かくて最高に気持ちが良いわね。あなたはもう済ませた?」
そんな話をしているところへ、一匹の黒い犬、ラブラドール・レトリバーを連れた男性がやってきた。
「彼は昨日同じシャンブルドットに泊まったドイツ人よ。」
「ヤア、初めまして、私は日本人でAkihikoと言います。難しいですから
AKIと呼んでください。」
「私はドイツ人のヘルベルトです。
ハーバードの方が言い易いでしょう。」
 犬がクンクンしながら私の方にやってきた。この旅の間に何度犬に吠えられたか。私は大きな犬が苦手なのだ。
「大丈夫です。まだ4歳で子供ですし、彼は大人しいですから。」と言いながら、彼はしきりに頭を撫でていた。
「この子はYOSHIと言います。」
「YOSHI?」
「日本人の名前みたいでしょう。」
(^_-)-☆
「良い名前ですね。日本語の意味では、英語では"Good boy"フランス語では、さしずめ"Bon garcon"かな。」
「それは良い。お~、Bon garcon, Bon garcon」と言いながら、嬉しそうに又頭を撫でた。

 縁は異なものである。話しているうちに、彼の住んでいる町は私の友人(日本人)が住んでいる町(フライブルグ)の本当に
直ぐ近くであることが分かった。
(^_-)-☆ また、彼は牧師さんでカソリックに纏わる【死の角灯】についても説明してくれた。
《この地域には100か所近くある。巡礼者や旅人たちの安寧を
祈って、12世紀に建てられた。》とのこと。いわゆる常夜灯で
ある。ただ、なぜ【死】なのかについては、語学力不足で理解することができなかった。

  
St. Goussaud:《死の角灯》のある広場】
   

 
その後、Chatelus(シャテルス)には3時15分頃に着いた。Gite(簡易宿)へは前日観光案内所のマダムに予約を入れて
貰っていた。
「管理人は居なかったけど、留守番電話に入れておいたから大丈夫よ。直接行けば良いわ。」とのことであった。Giteは町の
真ん中で番地から直ぐに分かった。

 
管理人が居ない。うろうろしていると隣のマダムが出てきて、「いつも6時頃には来るわ。中に入っていても良いわ。」と言って、
郵便受けにある部屋の鍵を出して私にくれた。二段ベッドが二つ。ダイニングキッチンとシャワー室。トイレは部屋の外にあった。
ただ、ここも掃除が行き届いていて清潔感があり、綺麗だった。
 まず、いつものようにシャワーを浴びてさっぱりした後、湯を沸かし熱いコーヒーを入れて一休みした。誰か他の人が来ると
案内書の翻訳もできないと思い済ませてしまった。午後5時を過ぎていた。町に出てカフェでビールを飲んだり、そこに居合わ
せた人たちと他愛もない話をして戻ったら6時を少し過ぎていた。管理人の方はまだ居なかった。『どうしたらよいか?』『もう少
し待ってみようか。』いろいろ考えた末、『そうだ。カフェのマダムに管理人に電話して貰おう。』と思い、再びカフェに出掛ける。

【気さくなカフェの若いマダム】
 「6時に管理人の方が見えると聞いていましたが、6時になっても来ないので
 電話して貰えませんか。」
 「Giteは今日は休みですよ。」 
え~っ!(>_<) どうしよう(>_<)!
 
『黙って泊まり、10€位おいて行くことにしようか。』とも考えたが・・・・、
 「さっきここにドイツの方がいましたよね。彼はこの近くのシャンブルドットに
 泊まると言っていましたが、そこは近くですか?」
 「すぐ裏だ。付いてきなよ。」と言って、居合わせた男性の客が私を案内してくれた。
 「ボンジュール!」マダムが出てきた。
 「今日部屋は空いていますか?」「エー、空いているわよ。」
(^_-)-☆ 
 それではということで、Giteに戻り、何か夜逃げのような感じで荷物をまとめ、
 
急いで移動した。結局、Giteでは無断でシャワーまで使わしてもらったこと
 になった。


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【新鮮なサラダと豚肉のステーキ温野菜(隠元豆)添え】
 

 
夕食は《新鮮なサラダと豚肉のステーキ、温野菜(隠元豆)添え》 久しぶりの温かい手料理で、大変美味しかった。!(^^)!
一人で夕食を終え部屋にいると、トントンとドアをノックする音がした。出てみるとドイツ人の彼だった。彼は近くの池で泳いで
来たという。『これから夕食を作って食べるので、一緒にしないか。』という誘いであった。私は既に夕食を食べ終えていたが、
『コーヒーなら飲めるし、話をするだけでも』と思い、巡礼者専用のキッチンに行った。
「今日は疲れたでしょう。」と言って、彼は白ワインを奨めてくれた。 疲れた身体に吸い込まれて行くようで美味かった。
結局、日本語の挨拶や数字の数え方等他愛もない会話で10時頃まで話が弾んだ。


8月31日(日)
曇りのち晴れ Chatelus le Marcheix--Pont du Dognon--St.Martin Terressus 18.70km 29,125歩

  【シャテルス村の朝霧:部屋の窓から】
  

 朝ご飯はハーバードと一緒に食べたが出発は彼の方が早かった。
「また、夕方会いましょう。」と言って、彼は愛犬"YOSHI"と一緒に出て行った。前日の夜、マダムに頼んでこの日は彼と同じ
シャンブルドットを取って貰っていた。

【フランスでは自転車が盛んで、時々出会う:お互いに "Bon courage"《頑張って!》と声を掛け合う】
  
                                【シュマンは続く】

 あと2日。《一歩、一歩》の旅は続く。シュマンから国道に出たところに標識があった。そこにコンポステーラまで後1678km
とあったのには驚いた。『まだそんなにあるのか。この調子だと後3年は掛かりそうだ。』
 私は小さなカウベルを鳴らして歩いている。お蔭で村々では犬に何回も吠えられた。垣根の内側から吠えられるのは平気
だが、さすがに大きな犬が庭先から私の足元まで出て来て吠えられたのには閉口した。そんなことが2~3回あった。(>_<)
『カンカン、カンカン』小さな子供が寄ってきた。‟ボンジュール”と言っても、恥ずかしそうにニコッと笑っただけ。私のカウベル
を手に、いかにも欲しそう。小さく何度もカラカラと鳴らしている。一瞬『上げようか』と思ったが、実はこのカウベルは自分に
とっては大変思い出のあるものだったので止めた。

 日曜日であったが小さな村に入ると一軒のカフェが開いていた。
「ボンジュール!」昼時であったがコーヒーを飲むことにした。カウンターに腰掛け、
「巡礼の男の人が立ち寄りませんでしたか?」
"NON" 彼は『現金の持ち合わせが少なくなってきたので、どこかで引き出して行く。』と言っていた。ひょっとしてカフェで
一休みしているかと思って入ってみたのだ。

 『自分は日本人で、パリから歩いてきた。今回はサン・レオナルまで行く。』と話しているところへ、若い奥さんが2階から
子どもを抱っこして降りてきた。旦那さんが『この人日本人だって。サン・レオナルまで歩いて行くんだって。』と言うと、
奥さん、何を思ったのか、
「ええ~!日本から歩いて来たの?」これには旦那さんと大笑いをした。(^_-)-☆ 奥さんはキョトン($・・)/~~~

   
《コンポステーラまで後1678kmの標識に( ゚Д゚)

《タウリオン川に架かるドニョン橋》
 
                                    《ようやくシャンブルドットに着く》

 ドニョン橋から予約しておいたシャンブルドットまでは思っていたよりかなり遠かった。それでも3時過ぎには着くことが
できた。50歳近くのムッシュが迎えてくれた。
「お~!よく来たな。今、両親は外に出ている。私は息子のフィリップだ。よろしく。夕食は両親が帰ってきてからだから
9時頃になるけど良いかね。」
「大丈夫です。そのことは聞いています。私は日本人でAkihikoです。AKIと呼んでください。」とお互いに名乗ると、彼は私
を部屋に案内してくれた。
「ここは母親が30年も前からシャンブルドットをしていて、農家を改装したんだ。」1階には広いダイニングキッチンと家族
4人が裕に泊まれる広い部屋があった。
「もし、お望みであれば、ここでも良いよ。」と言われたが、余りの広さに遠慮した。2階にはトイレ・洗面所、シャワー室付
きの3部屋があった。私は階段から直ぐの部屋に泊めてもらうことにした。
「ところで、ドイツ人の方はまだ来ていないですか?」
「まだです。そのうちに来るでしょう。ところで、私は今から畑仕事に出掛けます。彼が来たら、どの部屋でも良いですか
ら入って貰っていてください。」
「大丈夫です。私に任せてください。」と言って、私は自分の胸をドンと叩いてみせた。

 遠くの農場からトラクターの音が聞こえてくる。確か、20ヘクタールの農場だと言っていた。私は取りあえずシャワーを
浴びた後、庭先でビールを飲み、翌日の行程の翻訳をしながら留守番をしていた。目の前に広がる広大な畑。遠くで
のんびり『も~!』と牛が鳴く。風が気持ち良い。贅沢な時間が流れる。(^_-)-☆

 
5時頃になり、フィリップが畑から戻ってきた。
「彼はまだ来ていないかね。」
「どうしたんだろう?朝私より早く出発して行ったんだが。」
「なあ~に、そのうちに来るよ。ワインでも飲むかね。」と言って、奥からグラスに白ワインを持ってきてくれた。私が『フラ
ンス語をあまり話せない。』と言うと、『私は日本語は全く話せない。それに比べれば、あんたのフランス語は上等だ。』と
か言って、数字など筆談交じりで話してくる。
「日本の農家の収入はどれ位かね。私はここ20年近く月に1000€しかない。どう思うね。」と言われても、実際問題日本
の農家の所得がどうになっているか知る由もない。ただ、レート換算しても15万円程かと思うと、
「物価のことを考えると何とも言えないが、大変なんだ。」と応えるしかなかった。ただ、20ヘクタールの畑を持ち、50頭の
乳牛を飼って、毎日乳しぼりに数時間掛けて出荷。その大変な労力を考えると『少ない』とは思った。

 また、私が日本人と知ると、どこででも『あんたの町は福島からどの位の所にあるんだ?』とよく聞かれた。フランスでは
原子力発電が主流なので福島の事故には大変関心が強い。私が『福島からは600kmは離れている。』というと、フィリ
ップも安心したようであった。
「フランスの田舎に行くと、風車をよく見かける。フランスも風力発電に力を入れ始めたのではないですか?」
「いいや、あれはまだまだ少ない。原子力に67%も依存している。大きな問題だ。」
「日本は火力発電が主で、原子力は1/3くらいかな?」
「それは良い。」
「ところで、ドイツは原発の廃止を打ち出しているが。」と私が言うと、彼は急に声を荒げて、
「あんなの全くまやかしだ!自分の国では原子力発電を止めて、金にものを言わせてフランスの原子力発電に頼るつもり
なんだから。」と少し興奮気味に言った。

 そこに、鴨の親子が『クア、クア』鳴きながら、隊列を組んでやってきた。
「子供は何匹いる?」
「今年は12匹生まれた。」
「何のために飼っている?」
「勿論、食べるためさ。」と言って、両手で、鳥の首をキュッとひねる真似をして、
「美味いぞ!月に1匹ずつ食べて行けば1年間食べられる。」と言って陽気に『カッ、カッ』とフランス語で笑った。(^_-)-☆

 

 マダムが作ってくれた温かいかぼちゃのスープやパスタを食べた後、フィリップが牛の乳しぼりをしているというので見せて
貰った。午前に3時間、夜は9時から12時近くまで一人でやるのだという。1回に8頭ずつ。彼が外で『今度はお前の番だ。』と
ばかり牛のお尻を棒で突っつくと、牛は大人しく、ゆっくりゆっくり舎の中に奥から奥からと順番に詰めて入って行く。8頭全部
入ると彼は牛の大きなパンパンに張った乳に搾乳機を付けて行く。勢いよく搾乳され、タンクに溜まる。『時々、おしっこを掛け
られる時がある。』と言っていた。(>_<) これを毎日やって、《月に1000€》と思うと確かに少し気の毒になった。
 部屋に戻るとき、マダムに挨拶に行くと、
「ドイツ人の方から電話があって、日曜日で銀行が休みでお金が引き出せずサン・レオナルの町まで出てしまった。だから
来れなかったとか。‟AKIにもよろしく”とのことでしたよ。」私は最後の夜で彼とゆっくり話がしたいと思っていただけに残念で
あった。

9月1日(月):晴れ: St.Martin Terressus-----St.Reonard de Noblat==(TER)==Limoges 15.83km 24,861歩
 
 
                                      《森の中の巡礼安全祈願の塚》

 朝食を終え、午前9時にシャンブルドットを出た。その時フィリップはまだ寝ていたので、別れの挨拶をすることはでき
なかった。マダムが『これを持って行きなさい。』と言って、彼女手作りのパンケーキと一枚の絵葉書をくれた。絵葉書は
そのシャンブルドットのもので、表には、『初めての日本人、ありがとうございました。』と書かれていた。

 雲一つない全くの快晴。最後になってそれまでで一番良い天気となった。気分も晴れ晴れして出発したが、『ここで事
故にあったら何にもならない。足を挫くことの無いよう』注意しながら歩いた。

 10分も歩くと隣村に入った。前日、フィリップが道順を細かく教えてくれた。彼によれば、『その村には3匹の大きな犬
が放し飼いにしてある。必ず出てくる。』(>_<) ということだった。私がこの旅で犬に何回も吠えられたことを話した時に、
面白がって言っていた。『大人しいから大丈夫』とも言っていたが、ちょっと不安でもあった。村の中ほどまで行くと、『出て
きた、出てきた』中型犬だった。遠巻きの感じで、誰かに知らせるように吠えている。『これ以上出てこなければ良いが』
と思いながら、少し早足で歩いた。幸いそれ以上のことはなく、ホッとした。

 村を通り抜けてシュマンに入る。少し離れた先に、緑の木々の合間から万国旗が揺れているのが見えた。『何だろう』と
思って近づいてみると、『巡礼安全祈願の塚』であった。どうもこの地域の方達が作ったらしい。小さな石が積み上げてあ
ったので、私も一つ積んで『安全祈願』をした。

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 遠くの丘の上にサン・レオナル・ド・ノブラの大聖堂が聳えていた。心が震えた。『良く歩いて来たなあ。』という気持ちが
湧き上がってくるのが分かった。中世から何百万人の人がこの感情を味わったことだろう。そのことを思うと、
まだ1600kmも先の、サンチャゴ・デ・コンポステーラに着いた時はいかばかりかと思った。

 サン・レオナルの町の入り口で最後の一休みをして、大聖堂の前に立ったのは午後2時半前であった。早速、家内に
電話をした。『歩けて良かったね。おめでとう。』 最高に嬉しい言葉だった。(*^-^*)

  
                                             【お疲れ様でした。美味い!】

                                                           第Ⅰ巻の終わり