ROUTE NAPOLEON(ナポレオン街道) 2010.8.29 - 8.31

 1815年3月1日、イタリア半島近くのエルバ(Elba)島を脱出したナポレオンは、約千人の兵と共に、カンヌ(Cannes)に近い
ゴルフ・ジュアン(Golf Juan)に上陸した。その後、カンヌ(Cannes) == グラース(Grasse) == ディーニュ(Digne) == シストロン
(Sisteron) == ガップ(GAP) == グルノーブル(Grenoble) と約320km(ナポレオン街道)を7日間で踏破。そして、リヨン(Lyon)
== パリ(Paris)  その間、沿道の民衆は彼を英雄として迎えたが、結局は百日天下。6月23日退位に追い込まれ、10月15日、
今度は決して戻ることのできない大西洋の孤島、セント・へレナ(St.Helena)島に流された。1821年5月5日死去。現在彼は、
パリの中心部のアンバリッド(軍事博物館)に眠っている。
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 私達夫婦は、この夏、グルノーブルの友人を訪ねるために、ニースからバスと友人の車でナポレオン街道を辿った。

8月29日(日)

  ニース・バスターミナル(Gare Routine)発7:00 == 7:50(グラース)8:00 == 9:00(カステリャーヌ)9:10
 == 10:10(ディーニュ)10:15 == 10:45(シャトー・アルノー)10:50 == 11:05(シストロン) 約4時間半

  バスはほぼ時間通りに走る。海水浴客で賑わうニースの海岸通りを抜け、一路香水有名なグラースを目指す。私達は、
バスの最前列に陣取り、写真を取りながら車窓の景色を楽しむ。シストロンまでの4時間半の旅は、途中のパノラマの素晴
らしさに圧倒されて飽きることはなかった。

日曜日の村の広場は、不要品の持ち寄り市で
賑わう
グラースを過ぎるといよいよピロン峠と
フェ峠を越える。約200年前ナポレオンが
千人の兵と共に通った道と思うと感慨深い
カステリャーヌでトイレ休憩:山間の村の
岩山の頂上にはマリア像が・・・
バスは石灰岩の岩山を抜けて快調に走る。
ベテラン運転手さんもCDに合わせて鼻歌まじり。
シストロンまであと1時間。 

 シストロン(Sisteron)へはほぼ定刻に着く。ホテルのチェックインまでにはまだ少し時間があるので、先ずは予定通りインフォメー
ションへ行く。街の地図を貰い、ホテルの位置を確認して、ホテルへ向かう。バスセンターからは歩いて5分と掛からないはず。事前に
インターネットで調べておく。迷うことなく到着した。
"Bonjour!"
 若いご主人が出てきて、「まだ少し早いから、先に昼食を済ませて来てください。」という。8月末の日曜日、観光シーズンからは
少々ずれているためか町中はあまり込んでいなかった。ミシュランの赤本に出ているレストランが開いていたので、「ラッキー!」と
思ったが、飛びきり美味しくもなかった。

仔羊のカレーソース煮 牛ステーキは香ばしくて美味しかった 市内中心部のレンパートの塔
背後にシストロンを象徴する岩山がある
青い空に石灰岩の白さが綺麗に映える

8月30日(月)


 午前中、旧市街地(シテ)を歩いて散策。午後からは城(ナポレオンの博物館)へ登った。ゆったり流れる川の名は、あのデュランス川。
"デュランス川の流れのよう〜に♪" シストロンでの時間の流れもゆったり、のんびり・・・

8月31日(火)
 グルノーブルから友人が2時間掛けて車で迎えに来てくれた。天気にも恵まれて、最高のドライブ。

 シストロンのホテル(TIVORI)発 10:10 == 11:00(Gap)11:30 == 12:15(チーズ工房で昼食)13:00 == 14:30(巡礼の地:La Sarret)15:00
 == 16:15(Ferry 湖)16:30 == 17:15 友人宅着



チーズ工房で昼食
ナポレオン街道は岩山を縫うようにして走っている。天気も良く、牧歌的な風景。


【ナポレオン街道の景観や歴史、そして、人々の心に触れた素晴らしい旅でした:友人宅のすぐ近くで】