フランスの小さな村で10日間2014(2)
3月4日(火)パリ着・・(SNCF:フランス国鉄)・・オルレアン(1泊)・・(SNCF)・・ブールジュ(3泊:友人の家にステイ)・・
・・(SNCF)・・トウールーズ(1泊)・・(Bus)・・アンドラ(1泊)・・ラ・セウ(2泊)・・(Bus)・・バルセローナ(3泊)・・
・・(Bus)・・フィギュレス(1泊)・・(TGV)・・ベジエ(5泊)・・(SNCF)・・サン・フルール(3泊:友人の家にステイ)・・
・・(Bus・SNCF)・・パリ(3泊)27日出発==28日(金)帰国
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3月21日(金)Beziers9h37----(IC特急)----14h05St.Flour(曇り) 友人宅ホームステイ 泊
世界に完たるTGVを走らせるフランス国鉄も、地方の支線ともなると《これが特急?》と首を傾げたくなるほど古めかしい列車で、
ゆっくりのんびり走る。南フランスのベジエから、綺麗な渓谷を縫いながら中央山塊のサン・フローへ至るコースは、フランスの旅案
内の本にも紹介される興味深いコースである。1日1本、ベジエからパリ行き特急に乗る。
2時間もするとブルーチーズの代表格であるロックフォールの村が見える。確か最初にロックフォールを口にしたのは、もう40年も
前のことである。忘れもしないマルセーユのホテルの夕食のとき、ツアの仲間に「美味しいですよ!」と言われて食べてみた。《なんじゃ、
これ!》 初めて食べた味は、まったく理解できない、石鹸が腐ったような異様な味だった。ところが、今では大好きな味になったのだ
からわからないものである。《あの山の洞窟で作られているんだ》と思いながら、車窓に広がる景色を楽しむ。
ベジエで乗車して3時間。《そろそろ途中の大きな駅のミョーに着くかな》と思っていたところ、谷間から大きな橋が見えてきた。「ミョー
の橋だ!」と私が叫んで、カメラを構える。「どこ、どこ?」家内も慌てて車窓に目をやる。実は、私たち夫婦は6年前の夏に友人夫婦
と4人で、この世界一橋桁の高いミョーの大橋を車で走っている。で、今回は列車でその下を潜り抜けようというのだ。《6年前の感動よ、
再び!》との思いである。車窓に近づいてくる橋を下から見た景観は、正に「圧巻」であった。
パリの《エッフェル塔》を手がけた、アレクサンドル・G・エッフェルが設計したという《ガラビ鉄橋》を過ぎて10分もすると目的地の
サン・フローに着いた。ベジエを出て4時間半の、ドキドキする程興味深い列車の長旅であった。
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友人のマダム・ミッシェルが駅に迎えに来てくれていた。駅前から見たサン・フローの町の景色はいつ見ても綺麗だ。高台に家並が
見える。遠くからも大聖堂が良く見える景観は、この町が中世の巡礼の町であることを物語っている。私たちが駅頭に立ったのはこれ
で5回目である。ミッシェルがまだ仕事が残っているというので、私たち夫婦は2時間ほど町を散策することにした。石畳の古い街並み
を歩く。カテドラルに行きゆっくり休む。人々の生活や土地の匂いがする。
【駅前から見たサン・フローの家並】 【高台から見た新市街地】
【彼女は150年前に建てられた農家を購入し、改造して住んでいる】 【久しぶりに会って話が弾む】
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3月22日(土):曇り 友人宅ホームステイ 泊
朝食前に一人で朝の散歩に出てみた。小川がゆったりと
流れている。フランス中央山塊、オーヴェルニュの小さな村
(ラトガ)の風景である。3月下旬とは言え、南仏の春とは違
い、空気が冷たくむしろ気持ちが引き締まる。牛がのんびり
《も~う!》と鳴いた。10軒足らずしかない村の十字路に、
手作りのサンタクロースが立っていた。《もう、3か月もこうや
って村を守っているのかなあ》と思った。
土曜日の午前中には《サン・フローの教会で市が開かれる》ということで出掛ける。ミッシェルの家からサン・フローの町までは車で
15分ほどである。田舎とは言え車が多い。いや、田舎であるが故に車が多い。近隣の村から買い出しのために多くの人々が集まる。
《さあ、着いたわよ!》と言って、ミッシェルが教会の中に入る。私には教会で市場が開かれているということが信じられなかった。
フランス各地の市場にはかなり行っていると自負している。私たちにとって初めての経験である。《なぜ、教会の中?》 《ここは雪国だ
からよ!》 毎年雪の降り出す11月から翌年の3月の5か月間は、雪が降ろうと天気が良かろうと教会の中で開かれるのだとか。
《ガッテン!》
ミッシェルはもう25年もここに住んでいるので知り合いが多い。「よ~、ミッシェル、元気か!」と豆屋のムッシュから声が掛かる。
「あ~、パトリック!」と言いながら、チュ、チュとお互いにハグをする。『日本の友達よ。』と私たちを紹介してくれる。「日本人かい!
AZUKIはどうだい?」と。 小豆は〝AZUKI〝 として売っている。どういうわけか、昔懐かしい駄菓子屋の《あられ》も売っていた。
パトリックは《日本びいき》なのかもしれない。
【教会の中の市場。大勢の人たちが買い出しに来ている。】 【フランス人はあられが好き?】
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昼食は私たちが土産に持って行った《札幌ラーメン》にした。家内が作る。ミッシェルはそのレシピを真剣に書いている。楽しい
ひと時である。《日本人はラーメンを食べるとき麺をすすって、ズー、ズーと音をたてて食べる。》と、ラーメンの正式な(?)食べ方を
彼女に伝授したが、フランス人にとっては、《音を出して食べることなどありえない!》とその余りに《フランス人にとって下品?》な食べ
方は受け入れられなかった。(>_<)!
食後は、ミッシェルはシエスタ(昼寝)。家内は本を読んでいる。私はクルミ割に挑んだ。1時間もしたら結構沢山割ることができた。
自分が割ったので、半分は貰って行こうと思っていたところ、《全部日本に持って帰って良いよ》と言われた。ラッキー!
3月23日(日)曇りのち晴れ 友人宅ホームステイ 泊
《今日は選挙がある。》と言って、ミッシェルが投票に行くという。日本で言えば《統一地方選挙》らしい。それにしても、町中にポスター
らしきものも見当たらないし、日本のようなスピーカーでがなり立てる選挙活動(騒音)もない。《どうやって立候補者の考えを知るのか》
と問うと、《新聞や集会所での演説会で》とのことであった。そう言えば、《1週間前位からテレビで地方選挙がある》というようなことを
言っていた。
「私たちも一緒に行って良いか」と聞くと、「勿論!」
車で町に出る。投票所は町の小学校である。大勢の市民が集まっていた。フランス人は選挙にかなり関心が高いと見た。ミッシェルは
受付に行く。私たちは投票所の隅の方で待っていた。投票所の様子は日本とほとんど同じである。町から郵送される連絡用紙と身分証
明書で本人確認をした後、投票用紙が渡される。その際、サインをして来るという。そして、記載した投票用紙を投票箱に入れる。ただ、
その投票箱が透明のアクリル樹脂で作ってあり、用紙が入ったかどうか見えるようになっていた。
『多分今の市長さんは人気があるので当選すると思うわ。ただ、私は友人が立候補しているので、その人に入れたわ。』とのことであ
った。《フランスでも考え方よりも地縁が優先されるのかなあ。》と思った。ともかく、1回目の投票の結果過半数を獲得した人が居れば
それで終わり。当選ということになるが、過半数を獲得した人が居ないときは翌週の日曜日に上位2人で決選投票をするという。私たち
は翌日サン・フローを離れてしまったのでその結果を知ることはなかった。
【3人で全部食べた】(^_-)-☆
この日の昼食は《仔羊のモモ肉》をオーブンでローストした一品。朝投票に出かける前にミッシェルが準備をしていた。私は、
それは夜の為の準備と勝手に思い込んでいた。出掛けにオーブンに入れて行き、帰ってきたらできていた。彼女の段取りの良さ
に感心した。私が解体作業(?)をし、アリゴ(じゃがいもとチーズ)を添えて出来上がり。絶品であった。彼女は本当に料理上手
である。勿論、赤ワインで乾杯!昼のごちそう。至福のひと時であった。
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午後から隣のタナベル村まで一人でハイキングをした。このところぐずつき気味であった天気がようやく晴れてきた。家の中で
のんびりして居るのも良いが、折角の機会なのでラトガの村の周りを歩いてみようと、フランスに来る前から考えていた。ラトガ
からタナベルまでは約1時間。往復2時間である。
田舎の道を歩く。車も人もいない。見渡す限りの緑の絨毯が広がる。思わず《広いなあ!》と口に出る。空気が美味い。気分
爽快である。
【タナベル遠望】 【要所要所に十字架の石碑がある】
3月24日(月)晴れ St.Flour 08h35---(bus)---10h00 Clermont Ferrand 10h29---(IC:特急)---13h59
Paris(Bercy)
朝起きてみると辺りは真っ白。夜中に雪が降ったのだ。3月にサン・フローに来た目的。一度雪景色が見たかった。
ただ、今年は暖冬ということで雪はなかった。ところが、帰る日になって雪が降ったのだ。ラトガの村が化粧をした。
本当に綺麗だ。
駅に向かう途中、オーヴェルニュの最高峰、プロム・ド・カンタールの雪景色が見えた。2年前の夏に友人ら4人で
登ったことを思い出した。暑かった。そして、今日は雪景色。オーヴェルニュの姿を味わった。
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今回のフランスの田舎を味わう旅も十分楽しむことができた。