扶余(プヨ)仏教文化を育んだ百済最後の王都
海印寺===扶余===儒城 儒城スパピア(泊)
世界遺産の「海印寺」は、大邱から1時間と言ってもかなり山奥である。
バスは海印寺から更に奥に入って、山の尾根づたいを走る。緑の山々が連
なる。思わぬ光景に、皆夏の暑さを忘れた。
再び、高速道路に入る。釜山、ソウルを結ぶ大動脈である。車窓に30階
はあろうかと思われるアパート群が見える。大都会である。
「金泉です。」とガイドの鄭さんが教えてくれた。韓国には地震がないた
めに高層マンションが多くある。
「最近では、韓国でも核家族化してきてマイホームの夢があるんです。そ
れが高層アパートに住むことです。中は結構広いんですよ。それに、今、
韓国ではインターネットが大はやり。ブロードバンドで、多分、日本より
進んでいると思いますヨ。」
ただ、鄭さんは家族を大事にする儒教の教えと核家族化の流れのギャップ
に戸惑いを感じることもあるという。
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『仏教は1212と百済から』
中学校で覚えさせられた記憶がある。
扶余は新羅王朝に滅ぼされるまでの間、
それ程長い期間ではなかったが百済王
朝の都であった。
日本の飛鳥白鳳文化に多大な影響を及
ぼした扶余は、今も、その風格を備え
た街である。
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『百済金銅大香爐』(国宝第287号)
扶余の古墳から発見された。高さ64
センチ、直径19センチで、繊細な文
様と規模の面で世界史上最高の美的水
準を持った傑作である。
百済工芸美術の優秀性を総合的に知る
ことができる最上の国宝級の文化財で
ある。【扶余案内書】
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「エー、私は司馬遼太郎 先生の『韓のくに紀行』 にでてくる、あの【李夕 湖】です。本物です。」 という自己紹介から始ま った。 「皆さんの前にあるこの 【百済金銅大香爐】は・ ・・」流暢な日本語で、 しかもユーモアたっぷり の解説に皆感心。 |
【金銅弥勒菩薩半跏像】(国宝83号) 京都・広隆寺、弥勒菩薩のルーツ。京都 の方が気持ちふっくらしている。 日本文化と百済文化の繋がりを大変強く 感じる。 【韓のくに紀行・司馬遼太郎P215】 百済の古都扶余には扶余の代表的郷土史 家として李夕湖先生という白セキの偉丈 夫がいた。その李夕湖先生が百済の美を 激賞し、ついに激情のほとばしるあまり 新羅を悪国として罵倒し、 「新羅なんぞ唐の力を借りて百済を滅ぼ したんだ。それだけのことだ。新羅文化 のどこに独創性がある。みな百済がお手 本じゃないか。」 |
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【儒城スパピア】ホテル・レセプション代表挨拶
一昨日釜山に着いてから3日間、韓国の人々や風景を肌で感じ、少なくともこれま
で抱いていたイメージとはかなり異なった印象であったことだけは確かであります。
特に、儒教の教えが根付いて、それが人々の生活の支えになっていることを知り、宗
教観のない日本との違いを感じております。
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私の家の庭には、毎夏、ムクゲとサルスベリの花が綺麗に咲きます。韓国ではどこへ
行っても
この2つの花が今を盛りと咲いていました。多分、私は、このムクゲとサルス
ベリの花をみる度に、この旅行のことを思い出すことでしょう。
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実は、私のこの挨拶に対して、通訳の金さんの面白い後日談があった。
『ムクゲは分かったが、サルスベリは何なのかさっぱり分からなかった。そこで、
ムクゲ等々と訳しておいた。』と。
そう言えば、それまですらすらと訳していた彼が、その時だけちょっと躊躇していた。
韓国では、サルスベリ【百日紅】とは表現しないようだ。
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