巡礼の道(その1)
フランスではどこの街にも教会がある。それは、Cathedorale(大聖堂)であったり、Chapelle(礼拝堂)で
あったりするが、いずれにしても、人々の心の支えとして宗教が深く根付いているようだ。この点が日本と
フランスの違いの一つと言えよう。
私は、フランス各地の大聖堂や礼拝堂を訪ねている内に、ある時、それぞれの教会が、点としてではなく
線として見えてきた。そして、それが遠く1500キロ先のスペイン北西部のサン・チャゴ・デ・コンポステーラ
へと続く、中世ヨーロッパの巡礼の道であることを知った時、少なからぬ興奮を覚えた。
【中世ヨーロッパ、巡礼の道】《グラフィック社「ヨーロッパ巡礼物語」より》
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PARIS(パリ)からの出発
今も昔もパリの中心はノートルダム寺院である。
そこから北へアルコル橋を渡ると右にオテル・デ・
ヴイレ(パリ市役所)がある。サン・ジャックの塔
(左の写真)は市役所前から西へ50m程のシャト
レ広場にある。高さ約60mのゴチック調のこの塔
は、16世紀に教会の鐘楼として建てられたもので
あるが、11世紀には初代の教会があり、巡礼たち
の基点であった。
私は広場に面したカフェテラスで小一時間凛とし
て立つ塔を眺め、巡礼たちの祈りを聞いた思いがし
た。遙かスペインの聖地、サン・チャゴ・デ・コン
ポステーラへ続くサン・ジャック通りは、広場から
南へ約500メートルのプチ・ポン橋を渡ったとこ
ろから始まる。角にはサン・セヴェリン教会がある。
約1000年前に建てられ、巡礼たちの心の支えと
してあったこの教会を私が訪ねたのは正月2日のこ
とで、まだクリスマスの余韻が残っていた。ステン
ドグラスが美しい。大きなパイプオルガンから荘厳
な賛美歌がドームいっばいに広がっていた。
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小雨の中、坂道を上がり振り返ると、建物の間から遠くサン・ジャックの塔が
見えた。多分巡礼たちもこの坂で振り返り塔を見て、はるか1000キロのかな
たに思いをはせ、心を震わせたであろう。右にソルボンヌ大学、左にパンティオン
を見て、都市計画から取残されたような狭い道を南へ下がると教会のような大きな
建物があった。私は石畳の広い前庭を通って中に入ってみた。誰もいない。正面に
はキリストが十字架に磔になっていた。大きな天蓋に威圧感があった。地図を確か
めるとそこは病院であった。デヴァール・デ・グレース病院である。
フランスでは、教会と病院がいつも同じ次元にあるようだ。それは人間の弱い部
分への癒しであり、悩みへの治癒として考えるのだろうか。解る気がする。大きな
事故や事件が起きると、すぐにカウンセラーが用意される。日本とは考え方に違い
がある。宗教が生活の中まで大きく入り込んでいる。そんなことを考えながら石畳
の庭から門を出た。プチ・ポン橋を渡ってから約1500メートル、サン・ジャック
通りの終点である。
街角のサン・ジャック通りの看板 | デユヴァール・デ・グレース病院 |
巡礼たちが往来した中世のパリは城郭都市であった。そして、いくつかの門で外部に
通じていた。オルレアンを経てサン・チャゴ・デ・コンポステーラヘの道はサン・ジャ
ックの門で通じていた。勿論、現在その門はない。サン・ジャック通りを抜けるとブー
ルヴァール・ポ
ール・ロワイヤル通りに出る。モンパルナス駅からオステルリッツ駅を
経て、新オペ
ラ座のあるバスティーユ広場へ通じる幹線道路である。この大通りを横切
ってフォーブール・サン・ジャック通りへ入る。ホテルや商店が並ぶ生活道路といった
ところか。ただ、手元にある1575年のパリの複製地図を見ると、ラ・グラン・ルー
・サン・ジャックとある。『サン・ジャック大通り』である。当時は大きな荷馬車が行
き来し、さぞかし賑わっていたことであろうと想像する。
そして、パリ天文台のある公園を過ぎると、地下鉄サン・ジャック駅である。何の変
哲
もないこの駅で、駅名板をカメラに納めている私を見て、何人もの人が振り返った。
現在は生活駅でこそあれ、巡礼の影もない。フォーブール・サン・ジャック通りもこの
地下鉄駅前広場出終わりである。
私の傘にパラパラと冬の冷たい雨が当たり、感傷を引き立てた.