慶州(キョンジュ)  (世界遺産)

       名古屋→→→→→→釜山===(バス)===慶州

     大韓航空は予定通り名古屋から1時間半で釜山に着いた。8月7日夏の真っ
     盛り、
釜山空港に降り立つと、ムッとニンニクの臭いがした。韓国に着いたと
    いう実感で
ある。私たち名古屋からの一行6人は、日本全国からの他の参加
    者と釜山空港のロビーで待ち合わせ、
総勢23名用意されたバスで一路慶州
    に向かう。


     小生、韓国は3度目であるが、いつもソウルばかりであった。その意味で今回
    の旅は
大変興味深く、期待している。韓国の世界遺産を巡る旅である。

    バスは慶州郊外の長閑な田園風景を見ながら軽快に走る。日本の風景とほ
    とんど変わ
らない。ただ、農家の瓦が赤く、二階建てはほとんど見あたらな
    い処が少し違う。
しかし、違和感はない。
                         
    ホテルは【慶州コーロンホテル】閑静な森の中にある国際観光ホテルである。
    夕食は、『韓定
食』。十数種類の野菜料理やキムチが所狭しと並ぶ。キムチ
    と少し重めの金箸
で韓国を感じた。

         
     
   ==仏国寺== 

 一千年に亘って新羅王朝
の首都であった慶州にある
世界遺産の仏国寺は8世紀
に建てられたと言われてい
るが、秀吉の朝鮮出兵、加
藤清正率いる軍勢によって
1592年、文禄の役でほ
とんど消失した。現存する
のは、その後建てられたも
の。この文化遺産を焼いた
清正は、韓国では極悪人と
して紹介された。秀吉、清
正は、韓国人の日本人に対
する悪い感情のルーツであ
る。言い訳をするつもりは
ない。むしろ、ワールドカ
ップを機会に、文化交流な
どこれからの日本と韓国の
関係を論じたいと思う。今
が絶好のチャンス。韓国の
良いところを日本人も大い
に見て、認識を新たにする
ことだ。
仏国寺は日本でいうと、法隆寺や唐招提寺にあたるという。韓国人の心のよりどころ。

     ともあれ、慶州仏国寺は豊臣日本軍による名分皆無という侵略戦のなかで
    焼けおちた。元来、李朝朝鮮というのは儒教をもって国教としたため仏教を
    弾圧し、仏寺をこぼち、仏像を破棄したが、しかし、仏国寺ばかりはよほど大
    切にしていたらしく、その後王命によって修復されてこんにちにいたっており、
    とくにその石像建造物は戦火をまぬがれたため、新羅文化の威容と美を十
    分につたえている。
                     【街道をゆく2・韓のくに紀行:司馬遼太郎

  

 ==石窟庵==
     天気は上々。ただ、やはり暑い。それでも日本のような蒸し暑さはあまり感じ
    ない。
いたるところにムクゲと真っ赤なサルスベリの花が咲いている。ガイド
    の鄭(チョン)さん
が「ムクゲは韓国の国花ですよ」と流暢な日本語で教えて
    くれた。

     石窟庵までの山道はかなり
きつかったが、それでも木々の切れ目から時に 
    サッと涼し
い風が吹き、心地よかった。「それにしても、タバコの吸い殻やジュ
    ースの空き缶が一つ
も落ちていない。綺麗だ」「韓国では、ポイ捨ては罪悪
    です。」とガイドの鄭さん。
     石窟庵が建立されたのは8世紀である。主堂はドームになっていて、身の丈
    3.48メートルの釈迦如来像、韓国仏教芸術の最高傑作の石仏が静かに座
    っている。
その周りには何体もの菩薩像や羅漢像が、釈迦如来像を取り囲
    むように並ん
でいる。石仏は東をむき、毎朝、登る朝日に、額の玉がピカ
    ッと光るそうだ。
写真を掲載できないのが誠に残念である。